ザビ神父の証言

2017/05/22(月)18:43

鎌倉幕府滅亡 22日の日

日本史(522)

クロニクル 鎌倉幕府滅亡 1333(元弘3;正慶2)年5月22日 684年前ですか(元号の前は南朝、後は北朝の元号です)。この日、鎌倉の北条氏の政権が倒れ、源頼朝が樹立した鎌倉幕府は141年目にして、倒れました。 下野の国の有力御家人足利高氏は、この年4月、北条氏の度重なる無理強いの出陣命令に怒り、反幕府の姿勢を鮮明にし、京都の天皇監視機関である六波羅探題を攻撃、5月上旬これを陥落させました。 こうした中、上野の国の有力御家人新田義貞は、3月まで反幕府派の討伐に加わっていましたが、幕府の戦費調達名目での、立て続けの資金提供の強制に怒り、反幕府の陣に加わる事を決意し、5月8日に倒幕の兵を上げました。新田軍は破竹の進撃を続け、17日には鎌倉附近に進出、総攻撃の準備を整えました。この日義貞の本隊は、稲村ガ崎から海沿いに鎌倉に侵入、執権北条高時らは、東勝寺で自刃し、ここに鎌倉幕府は滅亡しました。 この後2年は、後醍醐天皇らによる公卿政治となりますが、時代錯誤の守旧派支配は、武力の担い手である御家人層の離反を招き、僅か2年足らずで、権力の座を追われることになります。現実社会の変化を見定め、現実に適合的な支配を実現する事の重要性を、遂に理解できなかった政府は、国民と社会に混乱を残したまま、再び武家の支配にバトンを譲って、退場するしかなかったというのが、歴史の真実でした。

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