ザビ神父の証言

2019/06/08(土)02:29

長崎造船所、三菱へ 7日の日記

日本の政治と政治史(756)

クロニクル 長崎造船所、三菱へ 1887(明治20)年6月7日 132年前のこの日、明治政府は、官有の長崎造船所を、三菱に払い下げました。官有物払い下げの一環でした。払い下げを受けた三菱は、やがて社名を三菱造船所に変更、客船・貨物船・海軍の軍船などの建造を手がけました。 この三菱造船所は、やがて三菱財閥の中核企業の1つに成長します。そこからさらに、三菱重工の主力部門にまで上りつめ、三菱のドル箱部門として活躍しました。 戦後、しばらくは苦難の時期を過ごしましたが、朝鮮戦争が追い風となり、それまでに蓄積した高い造船技術が米軍に評価されて復活、60年代に入ると大型タンカーの受注が相次いで活況を呈しました。その後、大型の豪華客船ブームが起きると、次々に豪華客船を受注するようになり、一方での自衛艦の建造と収益の二本柱になっています。 2002年10月1日のことですが、建造中の豪華客船ダイヤモンドプリンセスが火災を起こし、2003年7月に決まっていた施主への納入期限が大幅に遅れそうになった事故が起きました。テレビで大々的に報じられましたから、御記憶の方も多いと思います。 この時同社は、隣のドックで建造中のサファイアプリンセスを、急遽ダイヤモンドプリンセス仕様に改装することを決め、僅か7ヶ月遅れで、施主に納入するという離れ業を演じ、世界の海運関係者並びに造船業者仲間の称賛を浴びたのですが、こちらはほとんど報じられることはありませんでした。 なお、被災したダイヤモンドプリンセスは、同社の別の造船工場に移され、焼損部分を完全に取り除いて、今度はサファイアプリンセス仕様に改装し、2004年5月にデビューを果たしました。

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