カテゴリ:自然災害
クロニクル 新潟地震発生
1964(昭和39)年6月16日 55年前になります。東京オリンピックの年のことです。この日、私は教育実習中で、東京北区の岩淵中学校におりました。お昼を食べ終えて教員室に戻り、指導の先生と午後の授業の打合せをしていた時でしたから、12時50分前後だったと思います。 大きな揺れを感じました。教員室においてあった金魚鉢(当時エアポンプ付の水槽なんて、見かけたことはありませんでした)の水がこぼれおちましたから、かなりの揺れでした。居合せた教生や先生方は,全員大急ぎで教室へ行き、生徒の無事を確認しました。なるほどこんな時は、こう動くのかと良い勉強になりました。 夕方になって、震源は新潟で、新潟市内に大きな被害が出ていることが分かりました。ここから後日談です。この頃、ゼミの合宿を毎年新潟県の阿賀野川沿いの津川の町に近い、麒麟山温泉で実施していました。別のゼミでしたが、親しい友人が新潟市内に住んでいて、見せたいところがあるから、合宿の帰路、新潟に寄れというのです。 そこで、ゼミのメンバー全員で、帰路新潟に立ち寄りました。駅の改札を出て、先ずビックリです。当時駅前に大型のホテルが出来ていたのですが、そのホテルが見るも無惨な姿をさらしていたのです。横長のホテルでしたが、中央部が2階部分まで地下に陥没して、両サイドは逆に浮きあがるように変形していました。 信濃川にかかる橋のうち、古い橋はビクともしていなかったのですが、前年の国体用に作られたばかりの新しい橋は、完全に倒壊していたのです。国体のメーンスタジアムしかりです。 国体がいかに、地方ゼネコンの儲け仕事であったのか、おそらく政治家にも相応の金額を贈って、儲けを分け合っていたのでしょうが、国体翌年の大地震は想定外だったのでしょうね。手抜きの欠陥工事であることは、新旧の橋のコントラストが、雄弁に物語っていました。 ゼネコンと政治家の癒着の決定的証拠がここにあるんだと、その友人は力説していましたが、確かに良いものを見せてもらいました。 あの印象は強烈で、今でも鮮明に脳裏に浮かびます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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