ザビ神父の証言

2021/08/21(土)17:06

生麦事件 21日の日記

日本史(522)

クロニクル 生麦事件 1862(文久2)年8月21日 159年前の出来事です。幕末は益々遠くになりました。 大名行列の「した~にー、した~にー」と言ったところで、日本語のわからない外人にわかるはずがありません。しかし、おそらくは外国人をはじめてみたであろう、薩摩の田舎侍には、そんなことはわからないでしょうから、大殿さまの行列に、下馬して膝を折って見送ることもしないとはけしからんと、激高して切り付けたことも、良くわかります。 こうして、幕末の日本を彩る生麦事件は始まったのです。横浜の開港場に近い生麦村を、江戸を経って帰国の途についた、薩摩藩の島津久光の一行は、生麦村付近で騎乗姿の4人のイギリス一行に出会いました。 彼らが土下座で見送ることをしなかったため、薩摩藩士が彼らに切りつけ、2人が死傷する事件が起きたのです。時刻は、午後2時頃のことでした。この事件に、横浜に滞在した外国人及び外国政府は、野蛮な行為と一斉に反発し、幕府に謝罪と賠償の支払いを求めました。 幕府は英国の要求に屈し、賠償支払いに応じましたが、薩摩藩は応じなかったことから、翌63年には、薩英戦争に発展します。

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