ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(36)
ヴィクトリア女王とウエディングドレス余話(36)プロが製作してくれるウエディングケーキは、瞬く間に評判となります。すると当然何軒、何10軒という同業者が出てきて、競争が激しくなります。菓子職人の競争といっても、そこはイギリスです。フランスやイタリア人であれば、競争は当然見栄えと味の両方を満たすことに重きが置かれるのですが、イギリスではもっぱら見栄えと日持ちと型崩れしないことが重視されたのです。1880年代中頃のミドルクラス対象の女性雑誌の広告を見ると、ウエディングケーキを専門に扱うケーキ店の広告が、たくさん出ています。これはプロの作るウエディングケーキが商業ベースに乗ったことを示しています。ではこうした専門のケーキ職人(プロ)が焼き上げるウエディングケーキというのは、どんなものだったのでしょうか。最初は、ロイヤルファミリーの結婚披露に際しても、ただ大きいだけの「プラムケーキの巨大なお化け」と新聞が形容するようなケーキが供されていました。それが、1882年のレオポルド王子の結婚の際には、遂に三段重ねの現在のものに近いようなケーキが作られ、注目を浴びました。下に掲載したのは、1890年に『ザ・クイーン』誌が紹介したウエディングケーキですが、三段重ねのトップに、生花が飾られている立派なものでした。評判を競う一流のケーキ店と目される店は、何処もこのような立派なケーキをショーウィンドゥに飾るようになっていたのです。各雑誌は、毎号少なくとも3軒のケーキ店の広告を載せ、夫々のお店が新作のウエディングケーキのイラストや写真を載せて、宣伝合戦を繰り広げたのです。こうして、プロの作るウエディングケーキが大きな話題を占めるようになると、誰もがプロに頼まないわけには行かなくなります。かつては家族で焼いた素朴なケーキを披露宴に出すのが普通でしたから、恥ずかしいことなどなかったのですが、見てくれの立派なケーキが次々と雑誌で紹介され、ケーキ店のショーウィンドゥにも並ぶようになると、自家製の質素なケーキは、出しにくくなっていったのです。こうした傾向の行き着いた所が、披露宴用の貸し部屋でした。50人ほど入る見た目は応接間風の部屋は、室料10ポンドが相場とされていました。テントや天幕も貸し出され、こちらは1,5ポンド~2ポンド程度だったとされています。このように1880年代から90年代にかけて、ブライダルビジネスは次第に本格化していったと言えそうです。 続く