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テーマ:感じたこと(2893)
カテゴリ:思うこと
私が育ったのは、どちらかというと山手が近い周りは田んぼや畑 という環境の中でした。 実家は兼業農家だったので、もちろん米も野菜も作っていて 田植えや稲刈りの手伝い(と言ってもお茶を運んだりの軽作業)も 自慢にはならない程度は体験しました。 今でも畑はあるので、まだ元気な両親がこまめに野菜は作っていますが 子どもの頃は、果物でさえ「買う」という概念がなかったので 結婚してから、米や野菜や果物を買うという行為が新鮮なような 納得出来ないような、変な感じがしたのを覚えています。 恵まれた自然の中で、近所の子どもたちと思い切り遊べたことは 今思うと贅沢な環境だったのだと、感謝せずにはいられません。 もちろん、今でも日本のどこかでは そんな子どもたちもいるのでしょうけど、昔ほどでは ないでしょうから・・・・。 春になると、蓮華草でいっぱいの田んぼで横になったり 背の高い菜の花畑でかくれんぼうをしたり 夏休みは、近所の川に入り小さな流れをせき止めて めだかを集めたりと、きっと都会で育った人からは 羨ましいと思われる環境でしたが すべては、あまりに当たり前のことでした。 近くの山の中に入っていくと、シダやコケがいっぱいで 腐葉土でいっぱいの地面は踏み歩くと、まるで絨毯のように 柔らかく感じたものです。 そんな当たり前と感じていたことが 今では特別のことに変わってしまったのは残念なことです。 あれほど自然がいっぱいだった実家のまわりも 住宅は増え、道路も拡張されて、何と目の前には「カラオケ」の店。 月日が過ぎ去るということは、変化していくということ それでも、ここ数十年の変化は激変とも言えます。 近年になればなるほど、変化のスピードが急速に増していってるのは 何かの法則があるのか、と考えてしまうほど。 環境破壊や人口増加の行き着く先に、待っているものは何でしょう。 簡単にエコや省エネでは解決しない、けれど 流される以外に道はないの?答えは出ないけれど とりあえず、私たちには考えるという能力があるので 考えることは出来ますね。 本当は考えるよりも先に、やるべきことがたくさんあるのでしょうけど。 なんだか、かなり真剣モードの内容になってしまいましたが 私自身が流されることなく、地に足を着けて生きていきたいと 思ったという次第です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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