テーマ:自主制作映画あれこれ(25)
カテゴリ:寝言
『部落』という言葉は差別用語であると教科書で学んだ。
だが、ふと気がつけば親や地域では『おらほの部落』という単語で話をする。 学校で学んだ差別とはまったく違って、『地域』や『町内会』という程度の意味合いで、 みな『部落』という単語を使っていた。 差別用語じゃないの?という疑問には、『んなわげねぇべ』(そんなわけないでしょう)という、 不思議そうな返答が帰ってきた。 私の故郷はそんなところだ。 我妻監督の記録した波伝谷とは距離もあるけれども同じ宮城県内だ。 私は、こういった『田舎』のコミュニティ文化が大変嫌いで、 嫌で嫌で仕方がなくて、なんとか郷里を出たいと画策していた。 なにかというと皆で寄り集まっての宴会が開催され、 酌をして回るのも義務感で、まったく楽しくない。 女たちは台所に寄り集まり、せっせとお惣菜を作り宴会に供し、 男どもは飲んだくれて井の中の蛙であることには目を瞑ってでかい口ばかりを叩き、 偉そうなことをいう。 日々の生活を守るのに必死で、急激な変化や突飛なものを嫌う。 いわゆるムラ社会というヤツだ。 『続けてきたのだから、同じように続けねばならない』 この感覚の違いに、私は目を見張るしかない。 なぜ無条件に、なんの思考もなく、今までそうしてきたからそうする、と思えるのか。 私にはさっぱり判らない。 時間が過ぎ、時代が変わり、経済も変わり、人も代わっているのに、変わらないもの。 変えてはならないと思う思考… 時代にそぐわないのならば変えればいい、その土地にしがみつかず、もっと自由に生きればいい。 そう思っていたし、今もそう思っている。 だがその自由の中に、土地の『文化』という名のしがらみを固持し、続けていく、 という自由もあるのだと、そう感じた。 記録されていた波伝谷は、土地の方がいうように過渡期であった。 変わらなければ伝えていけないから変わろうといていた。 そのあたりは先進的なムラ社会といえるだろう。 日本国中に、変われずに消えていくムラ社会が、一体どれだけあるだろうと考えた。 震災という、すべてをひっくり返したあの『事件』で、波伝谷がどんな変貌を遂げるのか、 まずは復興という大仕事があるけれども、その先を、ふと、考える。 あの獅子舞は…きっと、10年後も、行われているのではないかと、そう思った。 ああでも、あの会合、宴会… 懐かしすぎて、むしろおかしかった。 あの煩わしさを、皆必死で守り、伝えていこうとする。 コミュニティに所属することで受ける恩恵というものは確かにあると思うけれども…。 でも、やはり私には、理解できない世界なのでした… 舞台となった南三陸は、震災で甚大な被害を受けました。 南三陸鉄道のニュースは色々と目にされていると思います。 震災の前に確かにあった営みの連続…震災映画ではありませんが、 土地の復興の後押しになれば。是非、ご覧になってください。 震災で亡くなった方々の、ご冥福をお祈りいたします。 我妻和樹監督『波伝谷に生きる人びと』 ポレポレ東中野にて上映中。 http://www.mmjp.or.jp/pole2/ ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.08.03 22:58:52
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