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2005/06/14
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カテゴリ:雑感エッセイ
 何のために学ぶのか」という問いに対して、今日は「外発的意義」についてお話しようと思います。楽天内でテーマに【注目】マークをつけてもらっちゃったのでがんばろうと思います。でも、寄稿しているのはまだ私だけなのですが……。

 『学ぶことの意義(3)』

 これまで学ぶ意義について主に子どもの立場、学ぶ立場から内発的な意義についてお話してきました。今回は大人の立場、教える立場、社会的な立場からどうして学んでもらいたいと考えているのかという「外発的な意義」について考察しようと思います。

 学ぶ意義を考えるとき、義務教育を終える高校受験と義務教育の途中である中学受験とは少し意味合いが違うだろうと思います。高校受験の方がやはり子どもの自主的な選択という意味合いは大きいと思います。それでもまだ15歳ですから、いずれにせよ親の思いは色濃くにじんでいるだろうと思います。また、本人の志望校選択にあたっても、よりよい学校を目指すということが勉強する動機になっていることも多いのでしょう。「難関校を目指すのは若者の向上心の発露である。」と、かつて旺文社大学受験ラジオ講座を担当されていた勝浦捨三(注1)先生は話してくださいました。「いい学校を卒業して、いい会社に就職する」といった学歴信仰は今も健在ですし、教育は親が子どもに残せる有力な財産だと考えておられる親も多いのだと思います。しかし、バブル崩壊後、いい学歴いい会社に就職したはずの親の方が思わぬリストラにあったりして、教育を受けても経済状況に左右され、必ずしも高学歴だからよいというのではなくて、手に職をつけたほうがずっと安心できるのではないかとか考えられるようになってきていますね。高学歴高収入という単純な見方が崩壊してきている。ほかの要因とも相俟って不確実な社会になってきているというのは大人たちの共通した見方だろうと思います。勉強していい会社に入ってもリストラされたらしょうがないじゃんという穿った見方をする子もいるでしょう。不確実な時代だからこそ、やはり旧態依然とした学歴信仰にしがみつく態度も出てきてしまうのはやはり親心だと思います。受験に勝ち抜けとは言わないまでも、子どもに高い文化と教養を身につけて幸せになってもらいたいと考えて、いくつもお稽古ごとをさせていらっしゃる家庭も多い。ですから、何のために勉強しなければいけないのって問われたら、「それが親の願いだから」と答えるのが正解になる部分はかなり大きいのではないかと思います。

 また、社会的な要請というのもあります。子どもに教育を受けさせるのは大人の義務ですが、ひいては子ども自身が学ぶことを期待されているのです。もちろん、子どもは学ばなければならないなんて日本国憲法のどこにもにも書いてはありません。しかし、以前にも書いたとおり、学校は学びの場であると同時に社会に向けて人材輩出の機能も併せ持っています。子どもが学習するのはよりよく生きるための権利です。自分が将来就きたい、やってみたいという仕事を理解し遂行する力は、やはり子どものうちに養っておかなくてはいけないだろうと思います。読み書きはもちろんのこと、その仕事を遂行するための専門知識、専門技術を理解し、新たな工夫を加えていく力を期待されています。それは勤め人(労働者)となろうが経営者になろうが同じことです。

 でも、そうしたらなぜ余分な勉強をさせられるのだろうかという疑問も出てきますね。自分が就く仕事に必要なことだけおぼえればよいと。ところが、だれがどんな仕事につくかは本人すらもその時になってみないと分からないことはいくらもあります。もしかしたら転職が必要になることだってあるかもしれません。仕事の配属先が変わることだってあるかも知れません。誰もが学んでおいた方がよいことって何でしょう?義務教育は、国民全体に必要最小限のことは学んでもらおうという「ナショナル・ミニマム」という考え方で成り立っています。何を必要最小限と考えるかは時代や社会の状況によってその都度変わってきます。今は「ゆとり教育」が批判に遭って「発展的内容」まで教えようという動きが活発になっていますが。誰がどんな知識を必要とするかははっきりと言えないけれども、みんなでこのあたりのことは勉強しておこうやというのは確かにあります。また、学問の最先端から考えて、このくらいのことは高校生あたりでやっておいてもらわないと大学に来てもらってから困るということもあるでしょう。ですから、学校教育では5科目に限らず実技教科も含めていろいろな教科があるわけです。これは大人たちからのプレゼントだとも言えるのですが、子どもの側からすると、とてもそうは思えないでしょうね。

 それから、社会が子どもたちに期待することは、大人になってから選挙権を持ったときに、国を、いや、これからは世界をどうやって動かしていったらよいか代表して議論してくれる代議士を選挙で選ばなくてはいけません。そのときに教育を受けることで、何が問題で私たちはどうすべきなのかきちんと判断できる大人がたくさんいてくれないと民主主義社会そのものが成り立たなくなってしまいます。もしかしたら平和そのものを維持できなくなるかも知れません。そういう民主主義社会を担っていける人になってもらいたいという願いを、親を飛び越えて社会が持っているということに気づいていてほしいと思います。

今日は学ぶことの外発的意義についてお話しました。明日は今までのお話をまとめて最終回としたいと思います。

【注1】勝浦先生は確か数学の担当だったと思われます。ご自分の生のわずかに残された時間を使ってラジオ講座に出講なさったと記憶しております。ちゃんとしたお名前も実はうろ覚えなのでご存知の方はコメント下さい。

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Last updated  2005/06/15 01:55:37 AM



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