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テーマ:★☆沖縄☆★(2877)
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下の写真は、2005年11月の、竹富島の水牛さんです。
お仕事中で真剣なまなざしです。 さて、昨日の水牛さんの日記に関して、もう少しネットを調べてみたら、 台湾から渡ってきた水牛さんについて詳しく書かれた 琉球新報さんのコラムを拝見しました。 昨日の日記 : 2010.03.07 台湾出身、沖縄在住の水牛さん。 水牛さんへの愛情と感謝、気遣いの気持ちが感じられる、暖かなコラムでした。 以下、引用させて頂きます。 ******************************** 水牛2009年3月10日 20数年前、八重山の水田地帯では、水牛がよく見られた。1983年の畜産関係の飼養頭数調査で水牛は、県内に318頭飼養されていたが、その83%に当たる265頭が八重山にいた。八重山での飼養頭数が圧倒的に多いのには、台湾との深い関係がある。「水牛は33年、名蔵へ自由移民として来た王九弓氏外数名の者が、耕地用として約30頭を輸入禁止前に台湾からつれて来たものである」と、台湾出身の故林発氏は、自著「沖縄パイン産業史」で水牛導入に触れている。 あのころの八重山には、台湾ばかりでなく、沖縄本島や宮古島等からも開拓移民が多く入植しているが、荒地の開拓には水牛が大きな役割を果たしていたと思われる。ある文献によると、62年当時、牛1頭の値が60ドルに対し水牛は、100ドルの値がついたと記されている。 現在、八重山は県下有数の農業生産地になっているが、これは台湾出身者や開拓移民の皆さんの力、そしてなによりも「水牛」のおかげだと思う。 このように八重山の農業発展のために頑張った水牛であるが、飼育頭数は100頭未満まで減少している。近年、水牛は農耕用としての役割は終わったが、竹富島や由布島では観光客相手に頑張っている。 由布島には20年来診療に行くが、親子で40頭余飼育されている。彼らは毎日、水牛車に多くの観光客を乗せ、西表島と由布島間の海中500メートルを往復している。力強さが自慢の水牛ではあるが、満潮時と観光客が多い時が重なると、夕方ごろには疲れて歩かなくなる。 昔の時代は農業に、今は観光に頑張っている水牛であるが、彼らに感謝している人にあまり出会わない。いつの日か八重山に「水牛感謝の碑」を建立したいものである。 (平田勝男、平田家畜病院院長) ******************************** 引用、ここまで。 以下、元のサイトです。 琉球新報 コラム 水牛 2009年3月10日 20数年前に300頭以上いたのに、いまは100頭未満、とは、少し、さびしいですね。 もちろん、飼育される方にとっては大変なことで、勝手な感覚なのですが。 「水牛感謝の碑」とは、素敵なアイデアですね。いつか実現したらぜひ伺いたいです。 また、水牛さんもウシさんかと思いきや、ずいぶん違う扱いのようでした。 由布島に行けば、たくさんの水牛さんに会えるのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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