2010/12/06(月)01:58
「尋常小學地理書巻一」にある台湾の記事。
写真を整理していたところ、
2007年に香川県の小豆島の「岬の分教場」を訪ねた時の写真が出てきました。
校舎内に昔の教科書が展示されていました。
「日本列島は北投から南西へ凡そ五千キロメートルにわたつて、
太平洋の中に連なつてゐる大小あまたの島々である。
その中、殊に大きいのは本州・北海道本島・樺太(南部)・四國・九州・臺灣である。」
とあり、台湾のこともしっかり書かれていました。
地図もありました。
都市や河川、鉄道や航路など、そして台湾島の他に澎湖諸島が描かれています。
都市は基隆、淡水、臺北、嘉義、高雄が描かれています。
臺北は台湾の中心として、
基隆や淡水、高雄は主要な港町(台湾の玄関口)として理解できますが、
嘉義を描いておきながら、臺中や臺南を描かないのは少し不思議な気もします。
当時は臺中や臺南よりも嘉義の方が大きかったのでしょうか。
また、阿里山の林業を重視してのことかとも思いましたが、もし仮にそうだとしたら、
1914年に完成している阿里山鉄道は描かれていないのも妙です。
河川は大甲溪、濁水溪、曽文溪、下淡水溪、宜蘭濁水溪が描かれています。
規模もさることながら、それぞれに治水やダム建設や橋梁建設などのエピソードの
あるものばかりのように思われます。
鉄道は縦貫鉄道と集集線、臺東線が描かれています。
臺東線は南半分が薄くなっており、建設中(1919~1926年)の頃でしょうか。
集集線完工が1921年ですから、1921年から1926年までの間の様子なのかもしれません。
ただ、平溪線も同じ1921年完成のはずなのに描かれていなかったり、
また、臺東線を描いておきながら、花蓮港も臺東も地名が描かれないのは不思議です。
航路は石垣と基隆が結ばれています。
有村産業の航路が頭をよぎりますが、復活は難しそうですね。
せめて一度乗ってみたかったです。
さて、基隆~淡水間の航路は今の感覚では不思議です。
陸路より海路の方が当時はよかったのでしょうか。
また、臺南と澎湖諸島が結ばれているのもまた興味深いです。
・・・そもそも台湾を訪ねたわけでもなく、そして、わずかこれだけの情報からも、
台湾にあれこれと思いを馳せてしまうのでした。