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テーマ:猫の病気と治療日記(296)
カテゴリ:猫ホスピス
ニコとの出会いは、 「愛護センター」が出来る5年前、 2012年の6月でした。 ![]() 宮崎市保健所の裏にある 物置部屋のような「保護室」で。 ![]() このときのニコは、まだ生後三週間位。 本来は、子猫は譲渡の可能性もあったのですが、 ニコは「AIDS陽性」のため、 譲渡の道はほぼ閉ざされていたので、 レスキューを決意しました。 ![]() こんな小さな体で、ニコはとても狂暴でした。 シャーシャーと声で威嚇する事は ありませんでしたが、 手を出すと、思いっきり爪を立て、 両手でグッと腕を掴み、唸り、咬む。 無言の攻撃を繰り返す仔でした。 ![]() 性格が落ち着くまではと、 私の自宅に連れて帰り、 心のリハビリスタートでした。 ![]() 半年後、いよいよ「いのちのはうす保護家」へ。 先ずは、私以外の人間にも慣れてもらうため、 色んな段階を経て、やっと「AIDSっ子部屋」に お引越しする事が出来ました。 ![]() 成長する度に、貫禄が出てくるニコ。 ![]() 強面へと成長していきましたが、 性格は穏やかになり、 抱っこしても反撃する事も なくなっていきました。 ![]() ただ、人間とは一定の距離を置くニコ。 私達スタッフもボランティアさん達も みんなニコの性格を把握し、 尊重するようになりました。 ![]() 「ニコのペースに合わせる」 みんながそれを守ってくれたからこそ、 ニコから信頼を得る事が出来たのです。 ![]() それを忘れると、 大魔神のような形相で怒られますがね(^^; ニコが保護家に来て6年目の8月… ニコの異変に気付きました。 原因が分からず検査入院。 某検査機関にて「悪性所見なし」 簡単に言えば「ま、心配する事はないでしょう」の 検査結果が戻ってきたのです。 「その結果に納得できない… とことん調べさせてくれないだろうか?」 かかりつけの先生は、 私に相談してきました。 先生は、ご自身の経験と直感を信じていたのです。 「そんなはずはない!」 ・・・と。 ![]() 本来ならば、私自身、精密な検査結果を 信じるところでしょう。 だけど、 先生の直感と、先生が抱いてた違和感の方を、 私は迷わず信じました。 連れて帰りたい… そんな気持ちを抑えて、 ニコを先生に託しました。 更に精密な検査をした結果・・・ ![]() コロナウィルス(コロナ自体は怖くも珍しくもない)を持ってて、 突然変異でFIPになっていました。 やはり、先生の経験と直感は当たっていたのです! FIPの診断はとても難しく、 FIPは誤診がとても多いそうです。 「FIPが完治した」とネット上で見る事もありますが、 元々、FIPに似た症状だったという事も考えられます。 生存率1%・・・ほぼ完治はないんです。 FIPと断言できるようになったのも、 医学の進歩なんだな・・・と感じました。 ![]() ニコは、看取りに入りました。 日に日に衰弱していくニコ・・・。 ![]() それでも、フラフラしながら甘えに来る。 私からひと時も離れたくないかのように。 あんなに「ツンデレ」だったニコが・・・ ![]() 「母ちゃん、ずっと一緒に居ようね」って…。 体に触れる事で落ち着ける様子でした。 ![]() 私がニコから感じたのは・・・ 「誰にも会いたくない」 というものでした。 ![]() 「ニコ・・・あんたは残酷な事言うね。 あんたは会いたくなくてもね、 あんたに会いたい人は沢山いるんだよ?」 私は、ボランティアさん達を傷つけると思ったし、 みんなからどんな事思われても良い。 嫌われても良い。 ニコの気持ちを尊重する道を選びました。 そして・・・ 毎日書いて、グループLineに流している 業務日誌にこう書きました。 ![]() みんなにごめんね・・・ という気持ちでニコの状態と ニコの気持ちを正直に書きました。 ![]() 自分が憎まれる覚悟で書いたけど、 うちのボランティアさん誰一人、 そんな人は居ませんでした。 仲間皆がニコの気持ちを尊重してくれたのです。 やはり、保護家メンバーは凄いんだな…と、 ボランティアさん達にありがとう… という気持ちで胸がいっぱいになりました。 スタッフ藤井、薫、美代子、麻美、私、 ニコ・・・そしてカムカム(私の相棒)、 みんなが一致団結して、ニコを見守り続けました。 ![]() 日中は、スタッフと交代制でニコの側に寄り添いました。 痙攣の間隔が短くなり、瞳孔が開く事も多くなりました。 ![]() 私は・・・ 眠る事に恐怖心を感じていました。 もし、寝てる間に痙攣起こしたらどうしよう… もし、寝てる間に死んでたらどうしよう… 自分の最期の時は、自分で選ぶだろうと 分かってはいながらも、 そこだけは、ニコを尊重する事を拒否しました。 「ニコが息を引き取る瞬間一緒に居させて」 ・・・と。 ![]() 夜は、ニコを膝に乗せたまま 座って睡眠をとるようにしました。 少しの異変にも気付けるようにと…。 熟睡するのが怖かったんです。 視力が0.01なので、直ぐに動けるよう 眼鏡もかけたまま。 ![]() この数分後・・・ ニコは永眠しました。 スタッフが出勤する時間を待っていたかのように、 スタッフが揃った時に、最期を迎えました。 やはり・・・ ニコは、自分の最期の時を選んだんだね。 ![]() 亡くなる前日、太陽の陽を浴びました。 ニコは、朦朧とした意識の中、 スタッフ麻美の目をジッと見つめ続けました。 スタッフ麻美にお礼を告げているような、 そんな意味のある目をしていました。 ![]() ニコには分かってたんでしょうね。 最後の夕陽だという事を・・・。 ![]() ![]() ニコは、今年の8月にカムカムと再会した時、 カムカムの目線の先に何度も何度も 移動しながら、懸命に甘えていました。 この二人が再会するのは5年ぶり。 5年間も会っていなかったのに、 ニコは、カムカムを覚えていたんです。 ![]() カムカムの方は、ニコの事を忘れている様子で、 あまりにしつこくて、唸ってましたが、 ニコはそれでもお構いなしに、ゴロゴロスリスリ。 ![]() ニコが衰弱していくと同時に、 カムカムは、ニコをずっと見守ってくれていました。 ![]() 二人の間でどんな会話があったのか、 私が知ることは出来ませんでしたが、 「ニコはカムカムに守られてる」 それだけは感じる事が出来ました。 ![]() 人間が邪魔で、ニコの姿が見えないときには、 覗き込むようにニコの姿を確認していました。 ![]() ニコは、最期のあの苦しい期間、 苦しみよりも、見守られてる心地良さの方が 勝っていたのかなと思いました。 ![]() レスキューした半年間、 不安や恐怖心や苛立ちを抱えながら 私の自宅で心のケアをしてきたニコ。 ![]() 生後三週間から半年間、 そんなときに、心の支えになってたのが、 きっとカムカムだったのでしょう… きっと、子猫の頃の記憶が ずっと残っていたのでしょう… ![]() ニコは生前、カムカムと同じ仕事を 受け継いでいたのです…。 自分がしてもらった事を、今度は自分が、 「ミト」という猫に・・・。 この続きは後程書きたいと思います。
口座名義:動物たちの未来のために 代表山下 由美 いのちのはうす保護家 090-4484-5165(担当フジイ)
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最終更新日
2018年10月30日 15時37分37秒
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