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べいつんの中国・北京があるでないで~

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2008年07月12日
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嘉峪関駅を夜の21:34分発のT193次にて、
新疆ウイグル自治区の省都・ウルムチへ電車
ウルムチは世界で最も内陸に位置する都市として知られています!

嘉峪関駅
嘉峪関駅


T193次列車は、湖北省の漢口が始発で、
終点のウルムチまで約40時間かかりますびっくり

走行距離は3539km(嘉峪関~ウルムチは1122km)
停車駅は、漢口右矢印孝感右矢印信陽右矢印駐馬店右矢印西平右矢印累河右矢印許昌右矢印鄭州右矢印洛陽右矢印三門峡右矢印西安右矢印宝鶏右矢印天水右矢印蘭州右矢印武威右矢印金昌右矢印張液右矢印清水右矢印嘉峪関右矢印柳園右矢印ハミ右矢印ピチャン右矢印トルファン右矢印ウルムチ
(新疆ウイグル自治区の駅はカタカナで表記しました)


今回は、軟臥に乗車しました電車
2段ベットで4人一部屋で仕切られるタイプですウィンク
私は下段ベットで、
上段は同じく嘉峪関から乗車してトルファンで下車した中国人中年男性。
向かいの下段はハミで下車したおばあちゃんで、
上段はウルムチ出身で武漢で学生生活を送っている大学生でした。

なかなか快適な旅でした音符
私が乗り込んできたときは、
皆、私をウイグル人だと思っていたそうです泣き笑い
朝になると車窓からの風景も見れて、とても感動しました上向き矢印

アジア最大規模の風力発電所だそうですびっくり
風力発電所


そして列車は、定刻の9:50分に、ウルムチ駅に到着しました音符

T193次
T193次


T193次の機関車
T193次2


ウルムチ駅
ウルムチ駅




ウルムチ・・・
  世界で最も内陸に位置する都市として知られているウルムチは、省としては中国最大の面積を持つ新疆ウイグル自治区の省都で、同自治区の政治・経済・文化の中心地となっている。総面積は1万902平方km、人口は185万人。漢族、ウイグル族、カザフ族、モンゴル族、回族など42の民族が暮らしている。
  ウルムチは、ほかの新疆ウイグル自治区内の都市と同じく、内陸性乾燥気候のため、気温の年較差・日較差が激しい。夏場は日中の気温が30℃を超えるが、冬場には-20℃まで下がる。1日の気温の差も20℃程度は普通。また、年間を通じて晴天が多く降水量は少ないが、周囲には万年雪を頂く高峰が連なるため、ウルムチ河等四大水系など雪解け水を水源とする河川が多く、乾燥地帯にもかかわらず水不足とは縁がない。
  この地域は、古くは遊牧民族の支配下にあったが、前漢代に西域都護府が設置され、初めて中国王朝の支配下に入った。その後は、中国王朝の勢力が弱まるたびに遊牧民族が領土を奪い返し独立国家を建国するという歴史が繰り返された。
  ウルムチの語源は、モンゴル語や古代サカ語(紀元前にシルクロードエリアを支配していたイラン系民族)であるとか、現在でも諸説紛々としている。このことからもウルムチの歴史の古さをうかがい知ることができる。
  もっともウルムチが本当の都市として歴史を持つのは、明代になってモンゴル族オイラーと部が築城してからになる。清代になると、清朝政府は多くの満州八旗兵をウルムチに駐屯させ、ウルムチを新疆支配の中心地とした。特に19世紀にロシア帝国が東進してくると、対ロシアの軍事拠点としてさらに重要視され、町も発展を遂げた。
  その後、清末から中華民国にかけては、国内の混乱や諸外国の侵入によって混乱を極め、町は停滞縮小してしまったが、中華人民共和国建国後は再び中国西域地区の拠点として開発が進められ、飛躍的な発展を遂げた。






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最終更新日  2008年07月21日 12時18分06秒
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