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カテゴリ:敦煌・嘉峪関・トルファン・ウルムチ編
交通賓館内の陽光旅行社にて手配してもらって、
トルファン1日ツアーに参加しました といっても、車をチャーターした形です 中国人女性と私の二人とウイグル人運転手のカハールさん カハールさん、なんとなくこの中国人女性を嫌ってた 日本人の私に対しては優しかった 自分がウイグルに対して興味を示しているのもあったからかな 出発前に、私は旅行社の人たちと会話していて、 その時にカハールもいたからかな まぁでも、なんか一風変わった、中国人女性でした まずは、吐峪溝へ行きました ここは、最近のおすすめスポットなんだそうです 一般ウイグル人の生活の様子を垣間見ることができます 吐峪溝 その次に、 玄装も訪れた高昌国城跡「高昌故城」へ行きました 高昌故城 バックに見えるのは火焔山 玄装が仏教を講じた寺院跡 その次には、ミイラが眠る墓地群「アスターナ古墓群」へ そして、古代ウイグル人の文化を伝える、 「ベゼクリク千仏洞」へ行きました ベゼクリク千仏洞 その次に、西遊記に登場する燃える山「火焔山」へ 本当に燃え盛ってるようでした 火焔山 途中、砂嵐と遭遇しました そして、トルファンの避暑地「葡萄溝」にて昼食タイム ラグメンと干し葡萄&果物 高昌故城・・・ トルファン市街地の東約40kmの所にある城址遺跡。この地には漢代に高昌壁や高昌塁と呼ばれた砦が築かれ、前涼期には高昌群が置かれた後、麹氏高昌国から高昌ウイグル帝国にかけてのおよそ1000年の間、国都として繁栄した。 総面積はおよそ200万平方m、周囲は5kmに及ぶが、これは前涼から麹氏高昌国の間に形成されたものだ。城址は外城、内城、宮城、の3つから構成されているが、建築物の損壊は激しく、広大な土地に荒涼とした風景が広がる。 また、インドに仏典を求めて向かう途中、ここで高昌国の王・麹文泰に最高の待遇で迎えられて2ヶ月ほど滞在し、1ヶ月にわたり説法を行ったこともよく知られている。 アスターナ古墓群・・・ カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれるアスターナ古墓群は、トルファン市街地の南東36kmの所にある。「アスターナ」とはウイグル語で「首都」を意味する。 高昌国住民と唐代西州住民の墓地群で、墓室からは大量の絹製品、陶器、文書などが出土しており、壁画やミイラも残る。 ここにある全ての墓は、斜めの参道と地中にある墓室をもっており、平面的には「甲」字形をしているのが特徴。出土した資料によると、最古のものは273年。 ベゼクリク千仏洞・・・ トルファンの北東38km、高昌故城まで22km、火焔山山中のムルトゥク河南岸にある有名な仏教石窟。「ベゼクリク」とはウイグル語で「装飾された家」を意味する。 石窟の開削は6世紀の麹氏高昌期から始まり、唐・五代十国・宋・元代と続けられた。最盛期は高昌ウイグル帝国がトルファンを支配していた9世紀中期。当時、彼らは仏教を信仰しており、この地は王族の寺院とされた。 ただ残念なことに、ベゼクリク千仏洞はイスラム教がトルファンに浸透するとともに破壊され、それを免れたものも清末にここを訪れた外国人探検隊によって剥ぎ取られてしまい、現在ではほんの一部分が残っているに過ぎない。 火焔山・・・ トルファン盆地の中央部に横たわる東西約100km、南北10km、平均海抜500mの山地で、最も高い所は勝金口付近で851mに達する。地殻の褶曲運動によってひだの入った高い山肌は、夏場になると地表から立ち上がる陽炎によって燃えているように見え、火焔山と呼ばれるようになった。 この火焔山は、孫悟空が活躍する物語として日本でもなじみ深い「西遊記」にも登場する。燃え盛る火焔山に行く手を遮られた玄装一行が、その火を消すことができるという芭蕉扇手に入れるため、孫悟空がその持ち主である鉄扇公主と戦った話がそれだ。 葡萄溝・・・ 葡萄溝は市街地の東北、火焔山の西にある南北8km、東西1~2kmの小さな渓谷で、一面ブドウ畑が広がっている。ここで栽培される種なし白葡萄は「馬の乳房」とも呼ばれ、とても有名。ブドウ畑を散策していると、豊かなオアシス都市を実感できる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月22日 04時27分18秒
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