カテゴリ:大庭の歴史
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3月14日、4月上旬の陽気で 大庭地区にある相模国準四国のお参りをしました 道中で見つけた花にも春を感じます また、本覚寺の竹林に鶯の初啼きを聞きました 順路は自宅から一番近いところから、すべて歩き 千秋寺を9時20分ーー宗賢院(9時50分)--養命寺(10時30分) ーー本願寺(10時50分)ーー成就院(11時20分)--昼食休み 自性院(13時10分)--共同墓地(13時40分)
現在地:藤沢市 大庭3566 みな人もここにこいとやまねくらん かのきしかき法のふなでに
この千秋寺は、宗賢院の末寺でもとは大庭城址の下にあった
第30番 ばん龍山宗賢院 曹洞宗
現在地:藤沢市 大庭819 龍のふす山をあふがんもろもろの 宗のかしこさ譲るみてらを
虚堂玄白により永正2年(1505年)に開山。17の末寺がある寺院だった。慶安2年(1649年)に寺領として10石の朱印地を賜る。 明暦年間(1655年 - 1658年)に火災で堂宇を失ったが宗雪により中興された[1]。(ネットより) 宗賢院は大庭で一番古い寺であるようだ
第26番 引地山養命寺 曹洞宗 現在地:藤沢市 城南4-10-35 とくめくる人のいのちをやしなふて くるまひきこの名をのこしける この養命寺は宗賢院の末寺である
第69番 往生山称名院本願寺 浄土宗 現在地:藤沢市 稲荷1-2-36 ともどものみのりのそしるきハ束穂の 稲荷ふてふこのさとのなに 創建は明暦2年(1656年)に阿道による開山であるという説と、西村の観音坂への再建中興が明暦2年であるとする説もある。 天明6年(1786年)には大雨により土砂崩れが起こり寺が崩壊したが、寛政3年(1791年)、恵光が現在地に移転再興した。[1]天保(1834年)火災にあった[2]。(ネットより)
第34番 成就院(稲荷山寶染寺)高野山真言宗
現在地:藤沢市 大庭8157 みとしろの小田に蒔きたるたねまでもら あふぐぐみのりはおほばなるらん 創建は文和年間(1352年 - 1356年)頃である。 『新編相模国風土記稿』によると開基は山名伊豆守で山名時氏か山名師義ではないかと指摘、中興は辨應としている[1]。 古くは法泉寺という寺号で大庭神社の別当であったという。天保年間(1830年 - 1844年)に火災にあった[2]。(ネットより)
第37番 自性院(石川山龍見寺)浄土宗
現在地:藤沢市 石川 3562 いしかはにうきよのちりをながし おのづからなうすがたうつさん
第2番 発願山千手院(廃寺)阿弥陀堂 浄土宗 現在地:藤沢市 丸山共同墓地 かずかずの御手にひかれてきたのだに ふかきめぐみにあひにける
弘法大師メモ 相模国準四国88ヶ所設立の目的 湯浅太郎右衛門という人が自分の父親の17回忌に誰もがお参り出来るような霊場を作りたいと、と 湯浅さんは鵠沼の普門寺、真言宗のお寺です。その住職の善応に協力を求める。普門寺は藤沢の 弘法大師の像は一体50万。作成時期は文政3年から4年(1820から1821) 当時の巡礼 関東大震災までは盛んであった (相模国準四国八十八ヶ所めぐり ガイドブック 鵠沼を語る会 より)
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