■ジャズの歴史(その2)■January 29, 2007■History of Jazz ジャズの歴史(その2)■ ●なぜニューオリンズなのか 「ニューオリンズ(New Orleans)」とは英語読みで、 もともとはフランス語「ラ・ヌーヴェル・オルレアン(La Nouvelle-Orléans)」として、 1718年にフランス人によって設立され、ミシシッピー・ヴァレー一帯をフランスの植民地として、 当時のフランス国王ルイ14世にちなんで「ルイジアナ」と名づけたと言います。 ニューオリンズは、1722年にはフランス領ルイジアナの首都となりました。 1763年、パリ条約によりルイジアナはスペイン領になりますが、 フランス系の住民が多くスペインの影響はほとんど見られませんでした。 なお、オルレアンとはフランス中部地方の土地の名前で「ヌーベル・オルレアン」とは、 「新たなるオルレアン」という意味合いからつけられた名前だということです。 1801年、ナポレオンがルイジアナをフランスに返還させましたが、 ヨーロッパでの戦争のための費用を捻出したいという財政上の理由から、 1803年、アメリカ合衆国に格安の1500万ドルで売却しました。(ルイジアナ買収) ニューオリンズはメキシコ湾を目の前に臨む交通の要所で、貿易港として栄えました。 商業が発達すれば、それに伴い歓楽街も隆盛するものです。 いわゆるオトナの遊びの三要素「飲む・打つ・買う」=「飲酒・賭博・売春」のための店が増え、 ニューオリンズはアメリカ国内でも有数の歓楽街になりました。 そして、ここの大きな特徴として、アメリカで唯一、公(おおやけ)に売春が認められた場所でした。 1857年、ニューオリンズ市役所は、場所を指定して娼婦(しょうふ)の営業(売春)を認める条例を出し、 以後、1917年にこの公娼(こうしょう)制度が廃止されるまでの60年にわたって売春宿の営業が行われ、 そのなかでは当然のごとく音楽がつきものになります。 そういうところから、ジャズのもとになる音楽が芽生えてくることになります。 1897年、街のあちこちにあった売春宿を一カ所に集めるという条例の改定を行い、 その場所は「ストーリーヴィル」と名づけられました。 フランスの支配が長かったこの地では、 フランス系白人と黒人の間に生まれたハーフの家系が多く存在することになり、 彼らは「クレオール」と呼ばれ、フランス語を話し、 ヨーロッパの音楽であるクラシック音楽の演奏や鑑賞を趣味としていたので、 ここでは、その影響を受けた音楽が奏でられるようになっていきます。 そういった環境のなか、売春宿街の店の中では静かなムード音楽が演奏され、 キャバレーやナイトクラブが建ち並ぶ歓楽街では派手なダンス音楽で、 客を引き寄せるという演奏がされるようになりました。 そうすると、演奏する場があるということで、 音楽の得意な開放された黒人たちが集まってくるようになります。 そうして、こうしたミュージシャンの家系のなかから 2世、3世と何代かのミュージシャンが育っていくうちに、 この地での新しい、ジャズのもとになる音楽も育っていくことになります。 Last updated March 24, 2008 ■History of Jazz ジャズの歴史(その1)■ ■History of Jazz ジャズの歴史(その3)■ ![]() 【ジャズ】人気blogランキングへ ジャンル別一覧
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