■ジャズの歴史(その5)■February 1, 2007■History of Jazz ジャズの歴史(その5)■ ●アメリカでのアフリカ音楽の扱い アフリカから黒人をつれてきて奴隷にしたことは、アメリカ大陸全体の国々に言えることですが、 そのアフリカ黒人の古来からの音楽に対する扱いには違いがありました。 アメリカ大陸に入ってきたアフリカ黒人の音楽がもとになったものは、 現在、大きく分けると次の3つに分類されます。 1.北米、いわゆるアメリカ合衆国を代表するジャズ、ブルース、リズム・アンド・ブルース、 ソウル・ミュージック、黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)、ゴスペル・ソングなど。 2.中米のキューバを代表するルンバ。 3.南米のブラジルを代表するサンバ。 ここで重要なことは、この3つの音楽が発祥する過程において見た場合、 「1」の北アメリカと「2」と「3」の中南米の黒人音楽とでは大きな違いがあるということです。 アメリカはイギリスの植民地であり、中南米はスペインとポルトガルの植民地であるため、 英国人はプロテスタントで排他的宗教から、黒人たちに太鼓(ドラム)などの打楽器の使用を禁止しました。 一方、スペイン人とポルトガル人はカトリックで柔軟性があり、打楽器の使用に対しては寛容でした。 アフリカには古くからトーキング・ドラムという楽器があります。 なぜ、トーキング・ドラムという名前なのかというと、文字通り話すことが出来るからです。 それは、音調言語と呼ばれる単語や文章が高低2つのピッチで構成されているアフリカの言語を 表現することの出来るドラムなのです。 アメリカ合衆国において黒人に打楽器を使わせなかったのは、黒人に対する人種差別的考えが著しく、 打楽器を使って遠方と反乱のことなどの話をされたくなかったためだということがあります。 実際、このトーキング・ドラムの音は、邪魔になるような音がほとんど無い夜間や早朝などには 10kmも届くと言われています。 また、アメリカ合衆国では黒人たちが集会を行うことや、 アフリカの歌(ワークソングのような形態のものでも)も禁止の対象とされることもありました。 そのため、黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)などを歌うときは、 白人に分からないような場所に固まって、かくれて歌われていたのです。 太鼓などの打楽器のリズムと歌が大きな比重を占めているアフリカの音楽が、 北米では主として歌だけが伝わり、中南米では双方が伝わったという違いが見られるということです。 したがって、ルンバやサンバはアフリカの音楽性が色濃く伝わったのに対して、 ブルースやジャズなどのアメリカでの黒人音楽は、 アフリカの打楽器的なものが最も排除された形の音楽となったわけです。 太鼓(ドラム)も、ドラム・セットというものは最初、まだありませんでしたから、 ドラム・セットという形で普通に使用できるようになるのは1930年代中ごろです。 アメリカでは、そういうアフリカ古来の音楽を演奏することや、 踊りを踊ること自体が禁止されていましたが、 その演奏が唯一許されていたのが、ニューオリンズのコンゴ広場というところでした。 Last updated March 24, 2008 ■History of Jazz ジャズの歴史(その4)■ ■History of Jazz ジャズの歴史(その6)■ ![]() 【ジャズ】人気blogランキングへ |