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■ジャズの歴史(その10)■

February 6, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その10)■

●新天地のシカゴへ

シカゴ・ジャズ(Chicago Jazz)

ニューオリンズのイタリア系白人、ニック・ラロッカ率いる白人バンド、
「オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)」は、「ジャズ」の名を大衆に広めました。
黒人たちが生み出したジャズを、白人たちが表に出て広めていくことになるジャズ、
この理不尽な現象は、人種差別の根深いアメリカの状況では仕方のないことだったのでしょう。

ただ、北部では差別意識が薄かったため、黒人と白人の混合バンドも多く存在したと言います。
しかし、ジャズが次第に売れる音楽になり、
組合などによる制約や仕事の利権といったものが発生してくるようになると、
平等な雰囲気は損なわれてくるようになってしまいます。
白人たちは自分の利権や営業の範囲を広げるため、人種差別を利用するようになってきます。

1920年、アメリカ全土において酒の醸造販売を一切禁止するという、
「禁酒法(通称ボルステッド法)」が発せられます。

この法律は諸悪の根源と考えられた「酒」を禁止するというものですが、
それは逆に「闇の世界」というものを栄えさせる大きな要因になってしまいます。
この法律は、酒に関する権限をすべて非合法の世界に移してしまったもので、
非合法な世界で生きている人々は、禁酒法をかっこうのチャンスとみて、
酒の魅力を最大限に利用するようになりました。

その代表的な存在が、シカゴの闇の世界を仕切っていたことで有名なマフィアのボス、
アルフォンス・カポネ(通称アル・カポネ)です。

彼はシカゴ周辺に一万軒と言われた秘密酒場(スピークイージー)を経営し、
莫大な利益を得ていました。
これは非合法の営業でしたが、金にものをいわせて、
政府の役人や警察などの表の権力機構をも操るようになっていました。

働かなくなったり賭博や売春といった社会の乱れた行為は酒が原因で、
酒を提供する酒場は悪所だということから、理想主義をかかげるアメリカとしては、
酒を飲むということ自体を禁止する禁酒法が施行されたというわけですが、
そうしたことがかえってアル・カポネのような、
裏の世界の人間を大きくすることになってしまいました。

結局は、それだけ人間は酒から離れることはできなかったということでしたが、
酒場には音楽は、これもまたつきものでした。

ストーリーヴィルが閉鎖され、
ニューオリンズを離れたミュージシャンたちがシカゴに定住するようになった理由には、
ちょうど禁酒法の時期であるのもかかわらず、アル・カポネの支配により、
働く場所である酒場がたくさんあったということがあります。

ニューオリンズで演奏していたミュージシャンは、シカゴやニューヨークに移って活動を続けますが、
地元シカゴのミュージシャンたちも活動をしているので、双方が刺激しあうように発展していきます。
したがって、1920年代のこの時期、ジャズは、試行錯誤の実験と発見の変革期ということになります。

ミシシッピー川を上下するリヴァー・ボートなどで演奏していたコルネット奏者のキング・オリバーのバンドに、
セカンド・コルネット奏者として加入したルイ・アームストロングなど多くのジャズメンがシカゴに移り、
地元のミュージシャンを感化するとともにシカゴ・スタイルと呼ばれるジャズ様式の発展をうながします。
シカゴ・スタイルはニューオーリンズ・スタイルをベースにしていますが、
それは素朴なニューオリンズ・スタイルから一皮むけた、都会的な音楽へとなっていきました。
ソロを強調し、編成にしばしばサックスが加えられるようになりました。
リズムはより緊密で、音楽の構成も複雑化していきました。

特に、初期のジャズを代表するトランペット(またはコルネット)奏者で歌手のルイ・アームストロングは、
ニューオリンズで生まれた音楽を真にジャズらしいものへ発展させた重要なミュージシャンです。
アームストロングは、ニューオリンズの少年院のブラス・バンドで手にしたコルネットで
それまで一人では出せなかったような大きな音を出したといいます。

やはり大きな音を出したことで有名だったバディ・ボールデンや、フレディ・ケパード、レッド・アレン、
アームストロング同様長く活躍してその名をよく知られているロイ・エルドリッジ、
そして、プロになってからのアームストロングにジャズを教えたキング・オリバーなど、
初期のジャズは多くの名トランペット(ないしコルネット)奏者を輩出しましたが、
その中にあって、ルイ・アームストロングの偉大さはずば抜けていました。
天才的と言える、高度な技術と豊かなイマジネーションで、
それまではあまり行われなかったソロ・プレイをフィーチャーし、長く流麗なメロディー・ラインを作り、
リズムのノリを強めてジャズのスウィング感を増すという革新を、大きく推し進めました。
ルイ・アームストロングは、力強い中にも、しなやかさ、滑らかさのある、
単なる激しさだけではないスウィング感を産み出し、ジャズ的な要素を示したと言えるでしょう。

この時期、シカゴで活動していたジャズ・ピアノの父と呼ばれたアール・ハインズは、
それまでのリズムを刻むことだけでなく、管楽器と対等なソロ・ワークがとれるように、
管楽器的(ホーン・ライク)な演奏スタイルをピアノで実現し、
以後のジャズ・ピアニストたちの模範となったことで重要なミュージシャンですが、
ルイ・アームストロングは、このハインズの演奏法の確立にも影響を与えたと考えられています。

トランペットとコルネットは、楽器の形も音色もよく似ていますが、
初期のジャズでは、トランペットよりもコルネットが使用されることが普通で、
ルイ・アームストロングも初めはコルネット奏者として出発しています。

トランペットやコルネットは、ニューオリンズ以来、現在もジャズの花形楽器であり続けていますが、
初期では当たり前のように演奏されていたのに、
現在ではその音色を耳にする機会がなぜか非常に少ないのが、クラリネットです。
この時期のジャズでは、クラリネット奏者がリード・パートを吹くこともよくありましたが、
そうした奏者としては、ジョニー・ドッズ、ジミー・ヌーンなどが、シカゴで活躍していました。

自分が監督した映画のためのBGMとして、
ニューオリンズ(ディキーランド)・ジャズを使うことがきわめて多いウディ・アレンは、
自身もジャズ・クラリネットを吹くといいます。
アレンの映画の中には、そういったクラリネットの音色を聴くことができるでしょう。

現在トランペットと並んでジャズの花形楽器であるサックスは、
初期では使われていませんでしたが、このころから登場するようになってきました。

クラリネット奏者といえばベニー・グッドマンが、シカゴで育った代表的ミュージシャンですが、
そうしたシカゴのミュージシャンたちの多くが、最終的にはニューヨークへ移住し、
ニューヨークは、その後ジャズの中心地へとなっていきます。

Last updated April 4, 2008

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