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■ジャズの歴史(その14)■

■ジャズの歴史(その14)■


February 10, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その14)■

●アメリカの大衆音楽になったジャズ

1918年に第一次世界大戦は終結し、アメリカ国内は好景気にわいていました、
1920年代は好景気で消費が促進され、大きく経済成長をします。
音楽関係では、1920年にラジオ放送が開始され、
ラジオ受信機も、1920年代末には3/1の家庭に普及するようになります。
ラジオの普及は娯楽の質と規模を変化させることにもなりました。
ラジオの普及とともに発展していったジャズは、放送の素材として格好のものとなりました。
それは、生演奏だけではなく、レコードの生産も一般化してきたことで、
音楽は人々の生活の中に広く浸透するようになっていきました。

ところが、こうした状況を一変させる事件が発生します。
1929年10月24日木曜日、ニューヨークの株価市場で、株価が大暴落をしました。
1920年代、大繁栄したアメリカのバブルが一気にはじけ、
銀行や企業は次々と倒産して、失業者が多く出ることになり、
そのアメリカの不況は世界規模にまで広がっていきました。

アメリカ政府はそれまで経済不介入の原則の立場をとっていましたが、
経済の悪化に歯止めがかからないため、
1933年に大統領に就任したフランクリン・ローズヴェルトが「ニューディール政策」を打ち出し、
公共投資によって失業者と余剰物資の吸収を図るなどをし、経済安定策を実施していきました。
また、この年1933年に、1920年から施行されていた禁酒法がようやく廃止され、
ジャズの仕事場として重要な酒場との関係に新たな展開が見られるようになりました。

しかし、不況によって失業したミュージシャンは、
一部の白人ミュージシャンがジャズ以外の音楽の仕事にありつけたのを除いて、
ほかの仕事で生計を立てなければ生きていけない状況でした。
ルイ・アームストロングやデューク・エリントンといったスター・ミュージシャンだけは、
ヨーロッパ・ツアーに出るなどして、何とかジャズで食べて行くことができたというのが、
1930年代前半のアメリカのジャズ・シーンの状況でした。

こうした不景気は、ジャズという音楽の形態にも影響を及ぼすことになりました。
それまで、ニューオリンズで生まれ育ってきたジャズという音楽は、
基本的にはインストゥルメンタルと言って、楽器演奏のみのスタイルで行われてきました。
それは楽器の演奏テクニックを披露することで発展してきたと言えるジャズは、
歌の伴奏の演奏はジャズとは別物と考えられてきたこともあり、
歌との相性は良くありませんでした。
しかし、ジャズ・ミュージシャンは不況の中、仕事を獲得するために、
ジャズを大衆に受け入れられる音楽というものに変えていかなければなりませんでした。
そのための大きな変化としては、ジャズ・バンドにシンガーを迎え入れたことです。
そして、バンドは人々が踊るためのダンス音楽を演奏し、
そのステージの合間に聴かせる音楽を演奏するというステージ構成をすることで、
よりわかりやすい音楽として、大衆の需要を満たすことを求められるようになり、
そのために「歌」を聴かせるというのは一番わかりやすいものでした。
バンドはこぞって専属シンガーをかかえるようになり、
歌のための楽曲をレパートリーに加えるようになっていきます。
ポール・ホワイトマン楽団では、
バンド・シンガーの開祖と言われるミルドレッド・ベイリーやビング・クロスビーを、
トミー・ドーシー楽団はフランク・シナトラをかかえるなど、
ジャズ・シンガーの先駆者たちが登場してくることになります。
そして、白人、黒人の区別なく支持される大衆音楽として、
ジャズはアメリカの国民的音楽として認められる基盤になっていきました。
さらにそれは、ショーという形で、ショー・ビジネス界の発展につながっていくことになります。

この時期はラジオの普及によって、アメリカ全体に受け入れられる大衆音楽、
いわゆるアメリカン・ポピュラー音楽であることが求められる時代にあって、
ジャズは、その代表的な音楽となっていきます。
それは、ジャズという音楽は時代の要求に答えられる柔軟性のある音楽で、
それに対応できるミュージシャンの演奏能力の高さというものを持っており、
アメリカン・スタンダードになりえる要素が十分に満たされていたからだと言えるでしょう。
高度な演奏能力があってもスタイルに固執したり、演奏技術が対応できないような音楽では、
一般的に受け入れられることは難しいでしょう。

1935年以降になると経済政策の効果が現れて景気は回復し、
急速に白人がリーダーの大編成バンドの*ビッグバンドが多く世に出てきて受け入れられます。
それは、ジャズが大衆音楽としてアメリカ国民に認知されてきたことの表れだと言えるでしょう。

こうしてジャズは、ビッグバンドとスター・シンガーの登場により、
アメリカ音楽シーンの表舞台へと一気に躍り出ることになりました。
つまり、ジャズはアメリカ音楽の最大勢力となり、大衆音楽になったということです。
そして、それから1940年代中頃までの間の、このジャズの演奏スタイルを、
「スウィング・ジャズ(Swing Jazz)」と呼ばれるようになります。
単に「スウィング」とか「スウィング・スタイル」とも言われます。
また、ジャズの歴史上、この時期のことを「スウィング期」とか「スウィング時代」と呼んでいます。

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【参考】

*ビッグバンド(big band)とは・・・

ビッグバンドは、ポピュラー音楽、特にジャズにおけるバンド形態の呼び名の一つです。
あるいはこの形態で演奏されるジャズのジャンルのことを指す場合もあります。

ひとつの演奏グループの人数が、3人はトリオ、4人はカルテット、5人はクインテットで、
それくらいから少し大きいグループの場合に、「コンボ(combo)」 と言ったりします。

そのコンボよりもさらに大人数の場合で、ふつう10人以上の編成になったものをビッグバンドと言います。

編成としては、トランペットx4、トロンボーンx3、(バス・トンボーンx1)、
アルト・サックスx2、テナー・サックスx2に、
バリトン・サックス、ピアノ、ギター、ベース、ドラムスがそれぞれ1人の計16人か17人、
というのが一般的なビッグバンドになり、これをフルバンドということもあります。
これより楽器の種類が増えたりして人数が多くなったり、少ないものもありますが、
9人になるとナイン・ピースという、ビッグバンド風の音が出せる最低限の編成の形態になります。

ジャズの世界でよく「オーケストラ」と言っているのは、たいていは「ビッグバンド」のことで、
弦楽器なども加わるクラシックのオーケストラほどの大人数になることは、ほとんどありません。
日本語でジャズの「○○楽団」と言っているものは「ビッグバンド」のことで、
「○○オーケストラ」と言うこともあります。
たとえば、デューク・エリントン楽団と、デューク・エリントン・オーケストラは同じ意味で使われます。
また、弦楽器群(ストリングス)が加わることもあります。

ジャズのジャンルとしては1930年代から1940年代中頃までに主流となっていたジャズの演奏スタイルの、
「スウィング・ジャズ」と呼ばれている時代にビッグバンドの形態が主流だったために、
「スウィング・ジャズ」のことを「ビッグバンド」、または「ビッグバンド・ジャズ」と言う場合もありますが、
その後から現在は、ビッグバンドの形態でスウィング・ジャズ以外の演奏をされることも多いため、
今では必ずしも同義語とは言えないので、注意が必要です。

Last updated April 10, 2008

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