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■ジャズの歴史(その18)■

February 14, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その18)■

●ビバップの誕生、モダン・ジャズの幕開け

ビバップ(Bebop)

「ビバップ」は、現在のモダン・ジャズの幕開けといえるジャズの演奏スタイルであり、
その誕生は、1930年代末から1940年代初頭にかけてのことでした。

その頃、ジャズの表の顔は「スウィング」スタイルでした。
それは、ジャズの高度なテクニックを駆使して大衆に「わかりやすい音楽」を創ることです。
要するに、ジャズはポピュラー・ミュージック、ダンス・ミュージックとして確立されたのでした。
ところが、黒人ミュージシャンたちのジャズは「わかりやすい」だけではないものを求めていました。
白人バンドが、もてはやされていたことも、黒人たちには面白くないことだったでしょう。

1938年オープンした、ハーレムのレストランクラブ『ミントンズ・プレイハウス』には、
お金になるステージでの、コマーシャライズされた「わかりやすいジャズ」
の仕事を終えたミュージシャンたちが集まってくるようになりました。
1940年頃には、いろいろなところから、そんなミュージシャンたちが集まってくるようになり、
その場だけのメンバーで即興演奏をする「ジャム・セッション」というものが、夜な夜な催されるようになります。
そうすると、コマーシャル音楽のジャズに飽き飽きしていた黒人ミュージシャンたちは、
そこで、欲求不満を発散するかのごとく、聴衆は関係なしの自分たちの思うままのプレイで、
テクニックの極限に挑戦し、複雑な音楽を創り出す実験のような演奏が行われていきました。
次第に、このような店が多くなり、いろいろなところでジャム・セッションが盛んに行われるようになりました。

こうした中から生まれてきたジャズの形が「ビバップ」、または「バップ」というものです。
語源はわかりませんが、最初の頃は「リバップ」と呼ばれていたのが「ビバップ」になったようです。
今では、単に「バップ(bop)」と呼ぶことも一般的になっています。

この、新しいジャズの誕生のことを「バップ革命」と言ったりします。

「表のジャズ」である「スウィング」が白人の手によって違った形のものになっていったのに対し、
「裏のジャズ」である「ビバップ」は、こうして「もともとのジャズ」としての形を整えていくのでした。

1940年、ニューヨークでは、「セロニアス・モンク」、「ケニー・クラーク」、「チャーリー・クリスチャン」、
「ディジー・ガレスピー」、「バド・パウエル」といったミュージシャンが中心となっていました。
そこに1942年に、「チャーリー・パーカー」がカンザスシティから進出してきて加わります。

この時期の最大のジャズ・ミュージシャンは、アルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーです。
チャーリー・パーカーは、現在「モダン・ジャズ」と呼ばれる本流のジャズの原型となる
「ビバップ」のスタイルを、トランペット奏者のディジー・ガレスピーたちと共に確立したことで、
「ビ・バップの創始者」、「モダン・ジャズの父」、あるいは「ジャズの革命児」などと呼ばれる存在です。

テナー・サックス奏者のレスター・ヤングやギター奏者のチャーリー・クリスチャンといったソロ・プレイヤーと同様に、
チャーリー・パーカーも当初はビッグバンドに所属していました。
しかし、ダンス音楽などのコマーシャライズされた音楽として演奏されることが多かったビッグバンドでの、
制約が多く、決まりきった乗り切らない演奏に飽き足らなくなっていました。
同じ思いのミュージシャンたちが、その仕事帰りにハーレムに集まり、
即興演奏のアドリブ・プレイに思いのたけをぶつけ合うジャム・セッションが行われるようになり、
パーカーもその常連になっていました。
パーカーは、テンポとキーに関係なく、サックスであらゆるメロディーをプレイすることができました。
たとえば、細かくチェンジするコード進行を守りながら、次々に美しいメロディーを創造し続け、
独自の天才的センスを発揮し、それまでのプレイヤーがやらなかったような音使いを用いて、
パーカーは中心になってジャズの新しいスタイルを開拓していきました。

同じく、ハーレムのジャム・セッションの常連だった素晴らしいプレイヤーに、
ギター奏者のチャーリー・クリスチャンがいました。
クリスチャンは、エレキ・ギターを完全なジャズのソロ楽器としての地位を築いた人物でしたが、
1942年に25歳という若さでこの世を去ってしまいました。
入れ替わるようにしてカンザスシティからニューヨークにやってきたのがチャーリー・パーカーでした。
そしてパーカーは、ディジー・ガレスピーなどと共に、ハーレムのジャム・セッションの常連になりました。

それまでの「スウィング・スタイル(スウィング・ジャズ)」との違いは、
コード進行にもとづく即興演奏(インプロヴィゼーション)を行うということでは変わりありませんが、
コード進行やメロディーは複雑になり、個人のソロ・プレイのアドリブが主体になります。
そして、明瞭でないメロディー、不協和音といったものが多様されるようになりました。
リズムの面でも、シンバル・レガートという、
その後のモダン・ジャズでは当たり前のジャズ独特のリズムによるビートが絶え間なく送り出されるようになり、
すばやいアドリブ・フレーズに対応するリズムの流れが出来上がりました。
そして、テンポの幅も極端に広がりました。
テンポはより速くリズムもより複雑になり、よりアフタービート、オフビート感の「ジャズ独特のノリ」が確立しました。
美しいメロディーと心地よいスウィング感の、それまでのスウィング・ジャズとは一線を画したビバップは、
ジャズ界にまさに革命的な変化をもたらしたのでした。

アフリカ黒人をルーツにしたジャズが、その本質的な感情表現を取り戻し、
ダンスもできないし誰もが聴きやすいものではない、かつてない不愉快な感情表現も見られるようになりました。
黒人ジャズ・ミュージシャンたちは芸術意識にめざめ、それまでのあまい歌やダンス音楽や、
こっけいな寸劇を加えて、聴衆にこびることをやめたことで、それまでのジャズは生まれ変わったのでした。

ビバップの誕生を記録したものとしては、
チャーリー・クリスチャンの、『ミントンズ・プレイハウス』でのライヴ演奏を録音したもので、
1941年5月に、1人のファンがテープレコーダーで私的に録音したものだったそうです。

1946年頃からスウィング・バンドの解散が相次いで、「スウィング」が衰退してくると「ビバップ」は勢いを増し、
1953年頃までのジャズの代表的なスタイルとなりました。
このあとジャズは、「ビパップ」から発展した「ハード・バップ」が生まれてきます。

チャーリー・パーカーは1955年に、ニカ男爵夫人が住むニューヨークのホテルの部屋で亡くなりました。
34歳という若さでしたが、死亡診断書には推定年齢53歳と記されていたといいます。

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【参考】
モダン・ジャズ(modern jazz)」とは・・・

「ビパップ」以降の「クール・ジャズ」や「ハード・バップ」などのビバップの流れをくんだジャズのことを言う。
基本的には、フォービート・スタイルのジャズのこと。

狭義として、1950年代~1960年代の「ハード・バップ」を中心としたジャズを指すことが多い。

Last updated April 10, 2008

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