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■ジャズの歴史(その25)■

March 1, 2007

■History of Jazz ジャズの歴史(その25)■

●ビバップからハード・バップへ

ハード・バップ(Hard Bop)

ウエストコースト(西海岸)の白人によってジャズが洗練され、そのスタイルが確立されていくに従って、
ジャズの大きな特徴である「二面性」というものが、また大きく現れてきました。

そのもとになったものは、黒人の公民権運動でした。
1963年の奴隷解放宣言によって、アメリカの黒人奴隷制度は表向きには消滅しましたが、
依然として人種隔離政策を続けるなど、実質的には黒人に対する差別はなくなりませんでした。
1903年、デュボイは著書『黒人のたましい』の中で、
「白人と同じ権利を黒人に保証するように」と訴えました。
これに端を発して、黒人開放運動が起こり、
1909年に全米黒人地位向上協会(NAACP)が設立され、公民権運動へと発展していくことになりました。

南部黒人の北部への流れや、戦争兵力としての功績、
高い運動能力を活かしたスポーツ界での活躍などで、
20世紀の中頃には、黒人の地位は、実質的に、かなり向上してきました。
さらに、第二次世界大戦後のソ連を中心にした東側共産主義との対立の、
いわゆる「冷戦」において、アメリカを中心とする西側自由主義が共産主義側を批判するためには、
自らの「自由、平等」を訴える必要がありました。

1954年、アメリカの連邦最高裁判所は、公立学校における人種の分離を違憲認定しました。
それは、1896年に連邦最高裁判所が公共の場での白人と黒人の分離を容認した判決を覆すもので、
これ以降、黒人たちは、白人と同等の権利確立を要求する動きである、
公民権運動が強まっていくことになりました。

1955年のマーティン・ルーサー・キング2世によるアラバマ州モントゴメリーでのバス乗車ボイコット運動や、
1960年のノースカロライナ州グリーンズボロでのショットイン運動など、
次々に黒人の活動は成果を収め、1964年に「公民権法」が制定されました。

こうした黒人の意識の高まりは、
黒人ミュージシャンの意識にも大きな影響を与えることになります。
1950年代初め、
音楽理論を用いた編曲を重視したウエストコースト・ジャズが人気の高まりを見せていました。
そこで、このウエストコースト・ジャズは白人が中心であったことに対抗するように、
イーストコースト(東海岸)のニューヨークの黒人ミュージシャンが中心になって、
ビバップを見直す動きが盛んになってきたのも、その黒人意識の現れの一つと言えるでしょう。

ビバップはハーレムで誕生し、発展した黒人によるジャズの直系の流れをくむもので、
それは、白人がアメリカの象徴に作り上げたスウィングと対抗して生まれたという、
黒人意識が強く現れたジャズのスタイルであったということから、
黒人ミュージシャンの公民権運動からの影響を強く受けた動きが活発になったということです。

そのころのビバップは、やたらむずかしいテクニックを競い合うようになって、
曲としてまとまりがなくなっていました。
ビパップは自然発生的な、瞬間的、自発的アイディアの表現を、その場で即興的に、
いかにまとめるかということだけに力を入れたため、
メロディーやコード進行はどんどん複雑になり、演奏テクニックだけを競う面が強くなっていきました。
そのため、楽曲の構成は単純化され、画一的なものとなり、
作品としては、まとまりに欠けるものが多くなりました。

そこで、『クール・ジャズ』スタイルを示したトランペット奏者のマイルス・デイヴィスや、
テナー・サックス奏者のソニー・ロリンズ、ドラム奏者のアート・ブレイキーやマックス・ローチといった、
ニューヨークの中心的存在となっていた黒人ミュージシャンたちは、
ビバップのもともとの重要な要素であった、
自由な発想を生かす即興演奏(インプロヴィゼーション)を主体にしながらも、
楽曲としてはメロディーやコード進行は複雑にせずに、メロディアスでありながらも、
メリハリのきいたパワフルで勢いのある、熱いジャズを展開するようになっていきました。

それは、黒人ならではの、うねるようなリズム感覚を基に、
彼らの根本的な哀愁を題材にしたメロディーラインを重視するというものです。
そうして、ビバップのコンセプトである即興演奏(インプロヴィゼーション)のもとに、
エキサイティングでメロディアスでブルージーな演奏のものが生まれてきたということです。

こうして生まれたものが『ハード・バップ(Hard Bop)』と言われるジャズで、
今日の『モダン・ジャズ』というものの中核を成すジャズのスタイルが確立されました。

要するに、この『ハード・バップ』というジャズのスタイルは、
黒人のパワーとエモーション(感情)といったものを前面に押し出したものと言えます。
そして、それは、1950年代中頃、ニューヨークを中心にいっせいに広がりを見せ、
『ビバップ(バップ)』は、そのコンセプトをもとに、黒人ミュージシャンの手により、
より一層黒人色を出した方向で洗練された『ハード・バップ』へと変化していきました。

1930年代末から1940年代初めに生まれ、
その後、ジャズの主流になっていたビバップ・スタイルとの大きな違いとしては、
曲の進行をコードだけに頼らずに、フレーズ(メロディー)にも重点を置くようにしたことです。
それによって、ハード・バップはメロディアス(旋律的)なものになり、
より楽曲作品としての完成度を高めました。

1954年2月に録音された、アート・ブレーキーのライヴ盤『バードランドの夜Vol.1』、
『バードランドの夜Vol.2』(2枚に分けて発売)が、
ハード・バップの誕生を告げるものとされています。

●ハード・バップの中心的なミュージシャンは、

マイルス・デイヴィス(トランペット奏者)
ソニー・ロリンズ(テナー・サックス奏者)
アート・ブレイキー(ドラム奏者)
クリフォード・ブラウン(トランペット奏者)
セロ二アス・モンク(ピアノ奏者)
チャールス・ミンガス(ベース奏者)
マックス・ローチ(ドラム奏者)

など、名前を挙げればきりがありません。

Last updated December 20, 2008

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