■ジャズの歴史(その28)■March 4, 2007■History of Jazz ジャズの歴史(その28)■ ●ファンキー・ジャズの伝道師、ホレス・シルヴァー 一世を風靡したファンキー・ジャズ・ピアノ・スタイルの立役者 ホレス・シルヴァー(Horace Silver) 1928年9月2日、アメリカ、コネティカット州ノーウォーク生まれ。 ---------- ピアニストのホレス・シルヴァーは、1954年初め、アート・ブレイキーと第一期ジャズ・メッセンジャーズを結成し、 ブレイキーと共にチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらが作ったビバップ・スタイルを発展させました。 そのジャズのスタイルはハード・バップと呼ばれ、隆盛をきわめるようになります。 しかし、両雄並び立たず、結局シルヴァーは1956年にジャズ・メッセンジャーズを出て自己のクインテットを結成、 黒人ならではの*アーシー(土臭い)なブルース・フィーリングを強調し、 『ブローイン・ザ・ブルース・アウェイ』、『ドゥーイン・ザ・シング』といった、 ファンキーなエッセンスにあふれた傑作アルバムを次々と発表し、 そのスタイルはファンキー・ジャズと呼ばれ、1960年代初めにかけて一世を風靡します。 そのため、ホレス・シルヴァーは、ファンキー・ジャズの立役者となり、 「ファンキー・ジャズの“プリーチャー(伝道師)”」または「ファンクの伝道師」とか、 「ファンクの教祖」とまで呼ばれました。 シルヴァーのピアノは実にホットで小気味よく、ソリストをあおる強烈なバッキングと、熱狂的なソロ、 それでいてどことなく哀愁がただよう雰囲気は、やはり彼ならではの素晴らしさです。 そんなシルヴァーが日本に初めてやってきたのは1962年のことです。 その前年に、シルヴァーが初代ピアニストを務めていたグループで、 やはりファンキー・ジャズで人気のアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが来日していたこともあり、 当時日本でも空前のファンキー・ブームになっていました。 ファンキー・ルックと呼ばれるファッションに、ファンキー・ハットと呼ばれる帽子が大流行。 現在、東京都知事の石原慎太郎氏がシルヴァーを主役のモデルにして、 『ファンキー・ジャンプ』というジャズ小説を書いたのもこの頃です。 そういうファンキー・ブームのまっただ中に来日したのですから、シルヴァーに対する歓迎ぶりはものすごいものでした。 コンサートはもちろん連日満員、オフの日もパーティーの連続という熱狂的な歓迎を受けたので、 日本がすっかり気に入ったのでしょう、帰国してすぐ『ザ・トーキョー・ブルース』という返礼アルバムを制作しました。 このアルバムにはタイトル曲の「ザ・トーキョー・ブルース」をはじめ、「サヨナラ・ブルース」、「トゥ・マッチ・サケ」、 「アー!ソー(ああ!そう)」といった曲が並び、ジャケットでは振り袖姿の二人の大和撫子が、 シルヴァーをはさんでニッコリと微笑んでいます。 また、シルヴァーはピアニストとしてすぐれていただけではなく、作曲家としても抜群の才能の持ち主で、 親しみやすいリフのものが多くあり、 彼の作曲した曲の数々は、モダン・ジャズのスタンダード・ナンバーになっています。 黒人ならではの感覚にポルトガル系の血を引くこともあり、そのメロディーラインは独特の哀愁がただよっていて、 そういうところが情感をくすぐり、親しみやすいものだと言えるでしょう。 ---------- 【参考】 ●*アーシー(earthy)とは・・・ 特に、ジャズなどの音楽の表現に「アーシーなサウンド」などといった言葉を聞くことがあります。 「アーシー(earthy)」という言葉は、英語の、 「アース(earth)」=「地球、大地」に[-y]をつけて、 「・・・に似た」、「・・・のさま」という表現になります。 アーシー(earthy) 【意味】 土(大地)を思わせるさま。 土の香りのするさま。 また、泥臭いこと。 Last updated December 20, 2008 ■History of Jazz ジャズの歴史(その27)■ ■History of Jazz ジャズの歴史(その29)■ ![]() 【ジャズ】人気blogランキングへ ジャンル別一覧
人気のクチコミテーマ
|