■ジャズの歴史(その31)■March 7, 2007■History of Jazz ジャズの歴史(その31)■ ●フリー・ジャズ(Free Jazz) より自由を求めたジャズの出現 1940年代以降の、ビバップやハード・バップといったバップ・スタイルのジャズは、 コード(和音)進行に基づいたアドリブを行うスタイルで一つの完成形を作り上げました。 そんな中で、1950年代半ばより、ジョージ・ラッセルや、 マイルス・デイヴィス、ギル・エヴァンス、ビル・エヴァンスらによって、 コード進行にとらわれない、もっと自由なアドリブを行うことが研究され、 1959年にレコーディングし、リリースされたマイルス・デイヴィスのアルバム 『カオンド・オブ・ブルー(kind Of Blue)』で、具体的な形として提示されました。 そして、それは『モード・ジャズ』と呼ばれ、新しいジャズのスタイルになりました。 また、それと同じ頃、アルト・サックス奏者のオーネット・コールマンは、 「コード(和音)そのものを否定することで、コードそのものに縛られない自由な演奏ができる」と考え、 ジャズ的なスウィング感を保持しながらも、それまでのジャズの音階にとらわれない音符を並べることを研究し、 1959年に、ピアノやギターなどの和音楽器なしで演奏したアルバム 『ザ・シェイプ・オブ・ジャズ・トゥ・カム(邦題:ジャズ来るべきもの)』を発表します。 このアルバムは当時のジャズシーンに衝撃を与え、大論争を引き起こし、 ビバップ以来のジャズ革命とも言われました。 彼は、それを『フリー・ジャズ(Free Jazz)』と呼び、 インプロヴィゼーションの表現を広げる方法として、それまでの調性やリズムにとらわれない、 より自由なスタイルのジャズとして提示しました。 この時代の人種問題に対する怒りやベトナム戦争の激化などによる社会的ないらだちを背景に、 社会運動の「自由」とジャズの表現そのものの「自由」とが連動するかのように過激性を帯びて、 フリー・ジャズは1960年代の半ばから、アメリカのジャズシーンに浸透していきました。 日本では、フリー・ジャズのことを『前衛ジャズ』と呼ぶこともあります。 テナー・サックス奏者のアルバート・アイラーは、 オーネット・コールマンの「フリー」の解釈をさらに広げ、 メロディー、リズム、ハーモニーという音楽の三要素のすべてを無視して、 感情のおもむくままの演奏を優先させる、形のない音楽へ向かっていきました。 ピアノ奏者のセシル・テイラーは、クラシックの現代音楽のテクニックを、 黒人音楽としてのジャズの中に生かそうとする試みを行います。 それは無調性な音楽という中に、極度なパーカッシヴな打法や、 ピアノの弦を直接かきならしたり、鍵盤のひじ打ちなどといった、 楽器のあらゆる面を活用するプレイで表現しました。 即興演奏という考え方を極限まで推し進めたテナー・サックス奏者のジョン・コルトレーンは、 マイルス・デイヴィスの提唱したモード手法を用いたモード・ジャズを行っていましたが、 この時代にフリー・フォームの演奏へと踏み出します。 そして、それはフリー・ジャズというスタイルそのものさえも乗り越えようとするかのような、 壮絶きわまりないものへ進んでいきました。 そんなコルトレーンのプレイに共感するミュージシャンは数多く、 中でも、アーチー・シェップ、ファラオ・ダンサーズ、マリオン・ブラウンなどは、 まさにコルトレーンに追随するような形で、それぞれの音楽を発展させていきました。 なお、サックスの絶叫奏法ともいうべき、叫ぶような音のことを「フリーキー・トーン」などと言い、 この流れの中で出てきた演奏法です。 1970年代以降、フリー・ジャズはポスト・フリーという時代になり、 それまでのフリー・ジャズが、ただ既成の概念を否定していたのに対し、 既成の概念を否定しつつ新しい秩序を模索するという試みが始まりました。 そして一度否定されたコードやモードを、新しい秩序の中で利用する演奏が行われるようになります。 Last updated December 20, 2008 ■History of Jazz ジャズの歴史(その30)■ ■History of Jazz ジャズの歴史(その32■ ![]() 【ジャズ】人気blogランキングへ ジャンル別一覧
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