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テーマ:Jazz(1961)
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は、ジャズ・トロンボーン奏者で、スウィング&ダンス・バンドのトミー・ドーシー楽団のリーダー、
トミー・ドーシーの誕生日です。 ●トミー・ドーシー(Tommy Dorsey) 1905年11月19日、アメリカ、ペンシルヴァニア州シェナンドア生まれ。 1956年11月26日、コネティカット州グリニッチで、51歳で死去。 ---------- 炭鉱夫でパートタイムのミュージシャンの息子、トーマス・ドーシー(トミー・ドーシー)は、 1905年11月19日、ペンシルヴァニア州シェナンドアに生まれました。 トミー・ドーシーはトロンボーンを演奏するようになりましたが、 トミーにはジミーという1歳違いの兄がいました。 ジミーもサックス及び、クラリネット奏者で、 兄弟は仲良くスクラントン周辺で音楽活動をしていました。 そして2人は、ポール・ホワイトマンら、有名なバンドリーダーの下で働いた後、 1934年に「ドーシー・ブラザーズ・オーケストラ」を結成します。 ところが、わずか1年後の1935年に、楽曲のテンポを巡って大ゲンカをし、 トミーは楽団を飛び出し、自分のバンド「トミー・ドーシー楽団」を作ります。 以後の1940年代にかけて、トミー・ドーシーは、有名ソロイストや、 フランク・シナトラ、ジャック・レナード、ジョー・スタッフォード、ザ・パイド・パイパーズらの歌手を、 他の楽団からでも金に糸目をつけずに引き抜き、優秀なミュージシャンを結集しました。 そしてトミー・ドーシーは、シンガーたちにスポットをあてることを常としました。 トミー・ドーシー楽団の最盛期は1940年から1942年で、 それは大衆を熱狂させたアイドル的シンガー、若きフランク・シナトラの在籍期間と一致します。 1940年から1942年に在籍し、その後独立して大スターになったフランク・シナトラは、 「息継ぎのテクニックとフレーズの歌い方をトミーから学んだ」と言っており、 シナトラの歌い方は、トミー・ドーシーのトロンボーン・プレイの影響が大きいものでした。 トミー・ドーシー楽団はスイートなサウンドが特徴で、楽団のテーマ曲の、 「アイム・ゲッティング・セソチメンタル・オーヴァー・ユー(センチになって)」に代表される、 そのスイートなトミー・ドーシーのトロンボーン・プレイから、 彼は「センチメンタル・ジェントルマン・オブ・スイング」と称され、 トミー・ドーシー楽団は絶大な人気を得ました。 そして、多くのヒット曲を生み、ベニー・グッドマン楽団と人気を二分する、 スウィング時代を代表するグループのひとつになりました。 この間の1937年には兄ジミーと仲直りし、 1939年には、それぞれの楽団を率いて共演しています。 1941年にはサンタモニカでボールルーム(社交ダンスホール)を経営。 その後も、1942年にはストリングス・セクションを加えて楽団を増強していきます。 1953年には、兄ジミーを自分の楽団に迎え 「トミー・ドーシー・オーケストラ・フィーチャリング・ジミー・ドーシー」と名乗り、 1956年にトミーが亡くなるまで、成功を続けました。 ***** トミー・ドーシー楽団のテーマ曲、 ●I'm Getting Sentimental Over You センチになって は、多くのジャズ・ミュージシャンが取り上げていて、スタンダード・ナンバーになっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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