全て
| カテゴリ未分類
| Jazz Memorandum
| Songwriter
| Standard
| Musician
| Album
| Music
| JAZZ Jazz ジャズ
テーマ:洋楽(3244)
カテゴリ:Album
スティーヴィー・ワンダーの神がかり的最高傑作
死の予感と生死の体験 ![]() インナーヴィジョンズ / スティーヴィー・ワンダー Innervisions / Stevie Wonder オリジナル盤発売日:1973年8月3日 レーベル:Motown 1.Too High トゥ・ハイ 2.Visions 愛の国 3.Living For The City 汚れた街 4.Golden Lady ゴールデン・レディ 5.Higher Ground ハイアー・グラウンド 6.Jesus Children Of America 神の子供たち 7.All In Love Is Fair 恋 8.Don't You Worry 'Bout A Thing くよくよするなよ 9.He's Misstra Know It All いつわり ---------- 全米アルバム・チャート4位 1973年度グラミー賞:最優秀アルバム賞、最優秀録音賞 「ハイアー・グラウンド(Higher Ground)」 全米ポップ・チャート4位、R&Bチャート1位 「汚れた街(Living For The City)」 全米ポップ・チャート8位、R&Bチャート1位 1974年度グラミー賞:最優秀R&Bソングライター賞 ---------- この作品は、スティーヴィー・ワンダーのアルバム、 『トーキング・ブック(Talking Book)』、 『インナーヴィジョンズ(Innervisions)』、 『ファースト・フィナーレ(Fulfillingness’ First Finale)』と続く、 いわゆる傑作「3部作」の2作目にあたるアルバムで、スティーヴィー23歳の、 1973年8月3日にリリースされたアルバムです。 前作『トーキング・ブック』の大ヒットによって一躍脚光をあびたスティーヴィーが、 前作からわずか9カ月の間に、さらに怒涛の快進撃を遂げ、 まさに“神がかり的”としか言いようのない傑作を世に送り出しました。 このアルバムのテーマは、「生きるということの美が終焉を迎える日について」だと言います。 スティーヴィーは、さらに「このアルバムには、世界の恐怖と偽善についての、すべてが込められている。」 と語っています。 この時期の彼の仕事ぶりはすさまじく、睡眠時間が平均4時間ほどで、 48時間ぶっ通しで作曲に没頭していたとも伝えられています。 このアルバム制作における彼の行動は、何かにとりつかれたような、まさに神がかり的なもので、 その作られた曲には、哲学的、宗教的とも言えるほど、 ますます精神的、内省的になっていくスティーヴィー・ワンダーの音楽が表れています。 1973年4月の『ローリング・ストーン』誌でのインタヴューで、 スティーヴィーは、「自分はもうすぐ死ぬ」という驚くべき発言をしていていました。 また、同じ頃、別のインタヴューでも、「僕は死ぬまでここにいる」という不吉な言葉を発しています。 彼は、このアルバム製作中、「生と死」ということについて普通とは違う、何かを感じていたのかもしれません。 このアルバムの中の曲「ハイアー・グラウンド」では、 作者スティーヴィー自身の第二の人生と罪深いこれまでの人生について歌った曲で、 「前より世の中のことがよくわかってうれしい、がんばっていくよ、一番高い場所に手が届くまで。」 と繰り返され、仏教の輪廻転生(りんねてんせい)を暗示した哲学的な作品になっています。 スティーヴィーは「第二の人生=蘇生(そせい)=輪廻(りんね)」を信じたいと思っていたそうです。 スティーヴィーは、このことを予感していたかのように、このアルバムが発売されてからわずか3日後、 大きな交通事故に遭遇し、本当に死の淵まで行くことになってしまいます。 1973年8月6日早朝、コンサートに出演するため、いとこのジョン・ハリスが運転する車で移動中、 運転を誤り、前を走っていた木材を積んだトラックに激突したため、積荷の木材が崩れ落ち、 車のフロントガラスを突き破り、スティーヴィーの頭を直撃してしまいます。 病院に運ばれたスティーヴィーは、頭蓋骨陥没と重い脳挫傷を負っており、手術は不可能だと診断されました。 彼の頭は通常の3倍に膨れ上がってしまっていたと言います。 5日間、意識不明のこん睡状態が続き、最悪の事態が考えられていました。 スティーヴィーのマネージャーで、良き右腕のアイラ・カッターは、 何のほどこしようもない医師に、大声で呼びかけることを提案します。 そして、何度かスティーヴィーに叫びかけましたが反応はまったくありません。 そこでアイラは「ハイアー・グランド」をスティーヴィーの耳元で目いっぱいの大声で歌いました。 すると、わずかに彼の指が動き、歌にあわせて拍子をとり出したと言います。 スティーヴィーは、7日間のこん睡状態から奇跡の生還を果たし、徐々に快方に向かいました。 アイラは、スティーヴィーにクラヴィネットを渡し、ちゃんと演奏ができるかどうか確かめたところ、 始めは、おぼつきませんでしたが、すぐに以前同様に演奏できるようになりました。 脳の損傷のため、味覚や嗅覚の感覚を失ったり、疲れやすくなったり、頭痛持ちになるという、 いくらかの後遺症は残りましたが、身体はみるみる回復していきました。 この出来事は、スティーヴィーにとって、その後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。 暗い感覚にとりつかれていた後の、この事故に生還という一連の出来事で、 スティーヴィーは自分が信じていた第二の人生を与えられた気がし、 この体験を今後の人生に生かそうと決意するのでした。 その間に、アルバム『インナーヴィジョンズ』と、シングル「ハイアー・グラウンド」は、 ともに全米ポップ・チャートで4位、R&Bチャートでは1位なっていました。 これは、事故をとりまく報道も影響したことでしょう。 事故から7カ月後、スティーヴィーはグラミー賞の授賞式のステージの上にいました。 彼は、5部門でグラミー賞を獲得し、人々の喝采を浴びたのでした。 スティーヴィー・ワンダーは、1974年3月に開催された1973年度グラミー賞で、5部門を受賞しました。 3部門は前作『トーキング・ブック』の中の曲で受賞し、 このアルバム『インナーヴィジョンズ』で最優秀アルバム賞と最優秀録音賞の2部門を受賞しました。 収録された曲は、どれをとっても、まさに名曲ぞろいで、スティーヴィーの最高傑作と言われています。 シングル・カットされた「ハイアー・グラウンド(Higher Ground)」は、全米ポップ・チャート4位の大ヒット。 そして続けて「汚れた街(Living For The City)」、 「くよくよするなよ(Don't You Worry 'Bout A Thing)」もカットされ、ともに大ヒットを記録しました。 その他にも美しいバラードの「ゴールデン・レディ(Golden Lady)」など、みんな永遠の名曲です。 1973年9月27日付けの『ローリング・ストーン』誌の中で、 音楽評論家レニー・ケイは、「『インナーヴィジョンズ』でスティーヴィー・ワンダーは、 現代の音楽の重要な力を担うひとりであることを、またしても証明してみせた」 とコメントしています。 ![]() 【ジャズ】人気blogランキングへ
[Album] カテゴリの最新記事
|