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All The Things You Are

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Songwriter

December 30, 2008
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テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
今日は、ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の作曲者として有名な、
アメリカの偉大な作曲家、リチャード・ロジャースが亡くなった日です。

リチャード・ロジャース(ロジャーズ)(Richard Rodgers)は、
1919年、17歳のときに作曲した曲がミュージカルに使われてから、
死の直前の1979年、77歳での作品『ママの思い出』までの、
約60年間という長期にわたって作曲活動を行いました。

1920年代から作詞家ロレンツ・ハート(Lorenz Hart)と組み「マンハッタン」のヒットで有名になり、
次々と大ヒット・ミュージカル作品を世に送り出しました。

中でも、1959年に作詞家オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein 2)とのコンビによる
ミュージカル作品『サウンド・オブ・ミュージック』は、1965年に映画化され
ミュージカル映画最大のヒットを記録しました。
ジュリー・アンドリュースと子供たちが歌う「ド・レ・ミの歌」は、
日本でも子供たちが最初に歌う歌のひとつとしておなじみですし、
「マイ・フェイヴァリット・シングス(私のお気に入り)」は、
ジョン・コルトレーンの演奏で、ジャズ・スタンダード・ナンバーとしてもあまりにも有名です。

そのほかにも、ロレンツ・ハートとのコンビのものでは、
「ブルー・ムーン」、「マイ・ロマンス」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、
「スプリング・イズ・ヒア」、「恋に恋して(Falling In Love With Love)」、「魅惑されて(Bewitched)」、
1943年のハートの死後は、オスカー・ハマースタイン2世と組んで
「マイ・フェイヴァリット・シングス(私のお気に入り)」、「春の如(ごと)く(It Might As Well Be Spring)」など、
リチャード・ロジャースの作品は、
たいへん多くのものがジャズ・スタンダード・ナンバーとして愛され続けています。

Richard Rodgers

●リチャード・ロジャース(ロジャーズ)(Richard Rodgers)

1902年6月28日、アメリカ、ニューヨーク州ロング・アイランド生まれ。
1979年12月30日、ニューヨークで死去。
77歳。

----------

リチャード・ロジャースは、1902年6月28日、ニューヨーク州ロング・アイランドで、
医者の息子として生まれました。

彼の両親、ロジャース夫妻は音楽好きで、よく最新のブロードウェイのショーの楽譜を買ってきては、
ホームコンサートを開いていました。
ドクターがバリトンで歌い、妻がピアノを弾きました。
そんな環境の中で、リチャードは6歳のころから、母親にピアノを習い、
14歳の時に見た、ブロードウェイ・ミュージカルの虜(とりこ)になります。
この夫妻は、他の親と違って、将来ミュージカルの作曲家になりたいという息子を、
全面的にバックアップするのでした。

コロンビア大学に進んだリチャードは、大学のショーのための作曲を数多く手掛けているうちに、
1919年17歳の時、同じコロンビア大学の卒業生でもあるロレンツ・ハートと運命的な出会いをします。
ロジャースが作曲をし、ハートが作詞をするということで、早くもこの年には2人の曲が出版されました。
その後もこのコンビは作品を書き続けるのですが、これといった反響もないまま時は過ぎて行き、
ロジャースは、サラリーマンになることを真剣に考え始めるのでした。

そんな1925年に、
『ザ・ギャーリック・ゲイティーズ』というショーのために書いた「マンハッタン」という曲が大ヒットしました。
これによって、このコンビはガーシュウィンなどがいたハームス・ミュージックと契約し、
次々とミュージカル作品を、ブロードウェイやロンドンに送り出すのでした。

このコンビは1942年まで続きますが、そのうち、ハートのアルコール依存症がひどくなり、
体調不良や失踪(しっそう)など、問題が多くなり、新しい作品が書けない状態になってしまいました。
そして、ロレンツ・ハートは肺炎を患ったのが原因で、1943年に48歳という若さでこの世を去ります。

ロジャースは1943年、ハートと同じコロンビア大学の先輩でハートと同じ1895年生まれの、
オスカー・ハマースタイン2世とコンビを組んで、ミュージカル作品の『オクラホマ』を作ります。
ロジャースとハマースタインは、少年時代に同じ地区に住んでいて顔見知りであり、
アマチュア時代にはいっしょに曲を作ったこともあった仲でした。
ハマースタインは、1920年代の始めからジェローム・カーンなどと組んで、
すでにブロードウェイの中心的な台本作者、作詞家として有名でしたが、
30年代に入ると失敗が続き、40年代になると誰もが彼の時代は終わったものと考えていました。
『オクラホマ』はハマースタインもミュージカル化を考えていたもので、
ジェローム・カーンのところに話しを持っていくと、
カウボーイが出てくるような古めかしい題材では当たらないと言って断られたそうです。
しかし、この『オクラホマ』は2212回という、それまでの記録を塗り替える最大のヒット作となったのです。
これ以降、このコンビは次々と大ヒットミュージカルを世に送り出しました。

1959年のミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』はそのコンビの最後の作品となりました。
この作品の完成間近のころ、2人ともガンに侵されていて、
ロジャーズは病院と舞台を往復しながら、ハマースタインは余命宣告を受けながら、
最後の「エーデルワイス」を書き下ろしたと言います。

『サウンド・オブ・ミュージック』が上演された翌年の1960年に、
オスカー・ハマースタイン2世はこの世を去りました。

リチャード・ロジャースはハマースタインの死後も作品を書き続け、
晩年は卒中と心臓発作とガンとに苦しめられながらも、
最後の力を振り絞って『ママの思い出』を完成させ、その作品が閉幕した3カ月後の、
1979年12月30日、ニューヨークの自宅で77年の生涯を終えたのです。

ウイットに富みシャレたハーツの詞と、どっしりとした演劇的なハマースタインの詞という、
異なったパートナーにより、ロジャースは2つのスタイルを持てたと言えるかもしれません。
また、ロジャースの作曲技法は、コール・ポーターやジョージ・ガーシュウィンに比べると、
アメリカ的であるジャズ的サウンドの要素が薄いと言われますが、
彼の多くの曲が、ジャズ・ミュージシャンにより演奏され続けていることを見ると、
彼の曲が、いかにジャズの素材としても素晴らしいものかということがわかると思います。

●ブロードウェイ・ミュージカル

19世紀半ばヨーロッパで盛行したオペレッタなどを源流としながら、
20世紀初頭に、アメリカで独自の発達を遂げたブロードウェイ・ミュージカルは、
アメリカを代表する文化的所産の一つである。

ジェローム・カーン、アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュウィン、コール・ポーター、
そして、リチャード・ロジャーズはミュージカル5大作曲家(Mighty Five)と呼ばれています。

*****

●代表作

【ロジャース&ハーツ】

Manhattan(1925)

Blue Moon(1935)

My Romance(1935)

My Funny Valentine(1937)

Spring Is Here(1938)

Falling In Love With Love 【恋に恋して】(1938)

This Can’t Be Love(1938)

Bewitched 【魅惑されて】(1941)

【ロジャース&ハマースタイン】

Oklahoma(1943)

It Might As Well Be Spring 【春の如く】(1945)

Sound Of Music(1959)

My Favorite Things 【私のお気に入り】(1959)

DO-RE-MI 【ド・レ・ミの歌】(1959)

Edelweiss(1959)

Rodgers&Hart

リチャード・ロジャース&ロレンツ・ハート

Rodgers&hammerstein2

リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタイン2世

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Last updated  December 30, 2008 01:41:36 AM
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December 27, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
ジャズの超有名スタンダード・ナンバーになっている「スターダスト」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」などを作曲した、
アメリカの偉大なソングライター、ホーギー・カーマイケルが亡くなった日。

ホーギー・カーマイケルは、ピアノも弾き、自ら歌も歌うという自作自演をしており、
偉大なシンガー・ソングライターともいうべき人でしょう。

Hoagy Carmichael

●ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)

1899年11月22日、アメリカ、インディアナ州ブルーミントン生まれ。
1981年12月27日、カリフォルニア州パーム・スプリングスで、82歳で死去。

----------

ホーギー・カーマイケルは、数々の名曲を残したアメリカのポピュラー音楽の作曲家で、
日本でも「スターダスト」や「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」といった彼の曲は、
だれもが耳にしたことがあることでしょう。

ホーギー・カーマイケルは1899年生まれで、これはデューク・エリントンと同じ年の生まれです。
1920年代、カーマイケルは弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入りますが、
この頃から友達とバンドを作り、作曲も手がけていました。
そのとき、作曲した曲がアーヴィング・ミルズの経営するミルズ楽譜出版社から出版されました。
彼はピアノを演奏し、大学のダンスバンドに参加することでジャズに夢中になりました。

1926年、カーマイケルはブルーミントンのインディアナ大学で法律の学位を取得して卒業、
1927年、弁護士になるためにフロリダの法律事務所に就職しました。
しかしそのころ、ミルズ楽譜出版社からも誘いがきていました。
そこでカーマイケルは音楽か法律か、どちらの道に進むべきか迷っていましたが、
そんな時に、街のラジオ店の蓄音機から流れてきた曲の演奏を耳にしたことで、
音楽の道に進む決心をしたのでした。
そのとき流れてきた曲とは、自分が作曲しミルズ楽譜出版社から出版されていた曲で、
それはジャズのアレンジがされていて、その素晴らしさに雷に打たれたようなショックを受けたと言います。

そして、その年(1927年)の夏、故郷ブルーミントンの母校インディアナ大学を訪れ、
かつての恋人のことを思い出していて浮かんだという曲が、かの有名な「スターダスト」です。

その後、1930年に「ロッキン・チェアー」、1931年に「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」、
1940年に「ニアネス・オブ・ユー」、1942年に「スカイラーク」といった名曲を世に送り出しました。

そしてこれらの曲は、ナット・キング・コールやレイ・チャールズなど、数多くの人が歌い、
ジャズ・プレイヤーにも好んで演奏されるスタンダード・ナンバーとして、現在よく知られています。

ホーギー・カーマイケルは歌も歌い、彼のピアノの弾き語りによる録音など、彼の歌声も多く残っています。

また、彼は俳優としても活動し、
日本でも1960年代に放映されていた「ララミー牧場」というテレビ番組に、
「カーマイケル爺さん」という役で出演していました。

コール・ポーターとジョージ・ガーシュウィンが都会のサウンド・トラックを書くならば、
ホーギー・カーマイケルはアメリカの中核地帯の声と言えるものでしょう。

*****

[代表作]

Stardust (「Star Dust」の曲名で歌詞なし登録1928, 歌詞付き楽曲登録1929)

Rockin' Chair (1930)

Georgia On My Mind (1930)

Lazy River (1931)

Heart And Soul (1938)

Two Sleepy People (1938)

I Get Along Without You Very Well (1939)

The Nearness Of You (1940)

Skylark (1942)

Baltimore Oriole (1942)

How Little We Know (1944)

In The Cool Cool Cool Of The Evening (1951)

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Last updated  December 28, 2008 11:43:37 AM
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December 8, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
「イパネマの娘」で有名なブラジルの作曲家、ピアニスト、歌手の、
アントニオ・カルロス・ジョビンが亡くなった日。(1927~1994)

ボサ・ノヴァという音楽の誕生にも大きくかかわり、ジャズにとっても重要な人物。
ボサノヴァの誕生は1958年とされているので、今年はボサ・ノヴァ誕生50周年の年。

●アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)

本名:アントニオ・カルロス・ブラジレイロ・ヂ・アルメイダ・ジョビン(Antonio Carlos Brasilero de Almeida Jobim)
愛称:トム・ジョビン(Tom Jobim)、または単にトム(Tom)
1927年1月25日、ブラジル、リオデジャネイロ生まれ。
1994年12月8日、アメリカ、ニューヨークのマウント・サイナイ病院で死去。
膀胱ガンの手術を受けた後、心臓発作のため。
67歳。

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Last updated  December 12, 2008 10:12:39 PM
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November 22, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
ジャズの超有名スタンダード・ナンバーになっている「スターダスト」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」などを作曲した、
アメリカの偉大なソングライター、ホーギー・カーマイケルが生まれた日。

ホーギー・カーマイケルは、ピアノも弾き、自ら歌も歌うという自作自演をしており、
偉大なシンガー・ソングライターともいうべき人でしょう。

Hoagy Carmichael

●ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael)

1899年11月22日、アメリカ、インディアナ州ブルーミントン生まれ。
1981年12月27日、カリフォルニア州パーム・スプリングスで、82歳で死去。

----------

ホーギー・カーマイケルは、数々の名曲を残したアメリカのポピュラー音楽の作曲家で、
日本でも「スターダスト」や「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」といった彼の曲は、
だれもが耳にしたことがあることでしょう。

ホーギー・カーマイケルは1899年生まれで、これはデューク・エリントンと同じ年の生まれです。
1920年代、カーマイケルは弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入りますが、
この頃から友達とバンドを作り、作曲も手がけていました。
そのとき、作曲した曲がアーヴィング・ミルズの経営するミルズ楽譜出版社から出版されました。
彼はピアノを演奏し、大学のダンスバンドに参加することでジャズに夢中になりました。

1926年、カーマイケルはブルーミントンのインディアナ大学で法律の学位を取得して卒業、
1927年、弁護士になるためにフロリダの法律事務所に就職しました。
しかしそのころ、ミルズ楽譜出版社からも誘いがきていました。
そこでカーマイケルは音楽か法律か、どちらの道に進むべきか迷っていましたが、
そんな時に、街のラジオ店の蓄音機から流れてきた曲の演奏を耳にしたことで、
音楽の道に進む決心をしたのでした。
そのとき流れてきた曲とは、自分が作曲しミルズ楽譜出版社から出版されていた曲で、
それはジャズのアレンジがされていて、その素晴らしさに雷に打たれたようなショックを受けたと言います。

そして、その年(1927年)の夏、故郷ブルーミントンの母校インディアナ大学を訪れ、
かつての恋人のことを思い出していて浮かんだという曲が、かの有名な「スターダスト」です。

その後、1930年に「ロッキン・チェアー」、1931年に「ジョージア・オン・マイ・マインド(我が心のジョージア)」、
1940年に「ニアネス・オブ・ユー」、1942年に「スカイラーク」といった名曲を世に送り出しました。

そしてこれらの曲は、ナット・キング・コールやレイ・チャールズなど、数多くの人が歌い、
ジャズ・プレイヤーにも好んで演奏されるスタンダード・ナンバーとして、現在よく知られています。

ホーギー・カーマイケルは歌も歌い、彼のピアノの弾き語りによる録音など、彼の歌声も多く残っています。

また、彼は俳優としても活動し、
日本でも1960年代に放映されていた「ララミー牧場」というテレビ番組に、
「カーマイケル爺さん」という役で出演していました。

コール・ポーターとジョージ・ガーシュウィンが都会のサウンド・トラックを書くならば、
ホーギー・カーマイケルはアメリカの中核地帯の声と言えるものでしょう。

*****

[代表作]

Stardust (「Star Dust」の曲名で歌詞なし登録1928, 歌詞付き楽曲登録1929)

Rockin' Chair (1930)

Georgia On My Mind (1930)

Lazy River (1931)

Heart And Soul (1938)

Two Sleepy People (1938)

I Get Along Without You Very Well (1939)

The Nearness Of You (1940)

Skylark (1942)

Baltimore Oriole (1942)

How Little We Know (1944)

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Last updated  December 28, 2008 11:42:49 AM
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June 28, 2008
カテゴリ:Songwriter
「サウンド・オブ・ミュージック」などを作ったアメリカのミュージカル作曲家、
リチャード・ロジャーズ誕生。(1902~1979)

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Last updated  July 29, 2008 08:42:48 PM
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June 25, 2008
カテゴリ:Songwriter
「ムーン・リバー」、「酒とバラの日々」などの作詞家、
ジョニー・マーサー没。(1909~1976)

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Last updated  July 29, 2008 08:45:02 PM
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June 9, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
偉大な作詞・作曲家コール・ポーターの生誕117周年。

●コール・ポーター(Cole Porter)

アメリカン・ポピュラー・ミュージックの代表的作詞・作曲家。
1891年6月9日、アメリカ、インディアナ州ペルー生まれ。
1964年10月15日、カリフォルニア州サンタモニカで死去。
73歳。

私にとって最高のアイドルであるミスター、コール・ポーター。

彼の作った曲は、メロディー・歌詞ともに、実に「心に響く」もので、
それらの楽曲はジャズのためにあるとも言えるほど、素晴らしいジャズ・ナンバーを生み出してきました。
ジャズ・ミュージシャンは、だれもが彼の曲を演奏したことがあるはずです。
そして、彼の曲の素晴らしさに魅了されるのです。

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Last updated  June 12, 2008 12:33:20 AM
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May 13, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
ニュー・ジャズ・スタンダード・ナンバーのソング・ライターであり、シンガー、キーボード・プレイヤーのスーパー・スター、
スティーヴィー・ワンダーの誕生日。

●スティーヴィー・ワンダー、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)

1950年5月13日、アメリカ、ミシガン州サギノウ生まれ。
58歳。
本名:スティーヴランド・ハーダウェイ・ジャドキンズ(Steveland Hardaway Judkins)として生まれ、
後にスティーヴランド・ハーダウェイ・モリス(Steveland Hardaway Morris)に改名。
「Stevie Wonder」は芸名。

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Last updated  May 14, 2008 02:58:51 AM
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May 12, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
バート・バカラック、80歳の誕生日。

バート・バカラックは、1960年代から70年代最大のメロディー・メーカー、ヒット・ソング・メーカーであり、
それらの曲の数々は、現在も「ニュー・スタンダード・ナンバー」として愛され続けています。
日本においても、彼の曲を聴いたことがないという人は、ほとんどといっていいほどいないでしょう。
日本のテレビドラマのテーマソングになり、現在もテレビCMで使われており、
ラジオをかければ彼の曲が頻繁に流れてきます。

今年、2008年2月、来日公演を行いました。

バカラック・ベスト

●バート・バカラック(Burt Bacharach)

1928年5月12日、アメリカ、ミズーリ州カンザスシティー生まれ。80歳。

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バート・バカラックは、アメリカのポピュラー音楽、映画音楽の専業の作曲家として広く認識されていますが、
もともとはピアニストであり、バンドの指揮、アレンジをし、自らも歌うシンガー・ソングライターであり、プロデュースもしています。
しかし、自らの歌よりも他のアーティストへ楽曲を提供したものが有名になり、
それらは数多くのアーティストによってカヴァーされ、愛され続けています。
特に、ディオンヌ・ワーウィック、B・J・トーマス、ダスティ・スプリングフィールド、
カーペンターズ、トム・ジョーンズなどへの楽曲提供が有名ですが、
多くのシンガーやジャズ・ミュージシャンが、彼の曲を取り上げています。
映画音楽でも数々の名曲を提供し、
特に『明日に向かって撃て』の主題歌「雨にぬれても」はアカデミー作曲賞を受賞しました。

----------

バート・バカラックは、母親が歌手を目指していたこともあり、小さな頃からピアノやドラムなどを学んでいましたが、
彼にとっての目標はミュージシャンではなくプロ・スポーツ選手だったようです。
しかし、彼の家族がニューヨークに引っ越したことによって、その目標は変わることになりました。
それは、ジャーナリストの父に連れられて行ったジャズ・クラブで出会った素晴らしいミュージシャンたちの演奏がきっかけでした。
ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンクなどの、バップ全盛期のジャズは、
彼に大きな衝撃を与えることになったようです。
さらに、彼を音楽の世界に導いた人は、
近代クラシック音楽の世界においての天才作曲家のドヴュッシーやラヴェルといった人たちでした。
この、ジャズの革新者とクラシックの革新者の影響を受けることで、彼は音楽の世界に入ることになったと言います。

彼は大学卒業後、ニューヨークのマンズ音学院、カリフォルニアのサンタ・バーバラ音楽アカデミーで学び、
ピアニストとして数年間活動、その後ニューヨークに戻り作曲家としての道を歩み始めました。
しかし、作曲家としての活動はなかなかうまく行かず、クラブでの伴奏でかろうじて食べて行く状態が続き、
最初の妻とはこの苦しい時期に別れることになってしまいました。
1958年から、ドイツの大女優で歌手のマレーネ・ディートリッヒのツアー・バンドの指揮者を務めることで、
生計をたてることができました。

そして、1957年に知り合った作詞家のハル・デヴィッドとコンビを組み、様々な歌手に楽曲を提供します。
1962年に黒人女性シンガーのディオンヌ・ワーウィックと出会ってからは、3人のチームで、
「ウォーク・オン・バイ(Walk On By)」(1964年)、
「小さな願い(I Say A Little Prayer)」 (1967年)、
「サン・ホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」(1968年)、
「恋よ、さようなら( I'll Never Fall In Love Again)」(1969年)など、
数々の名曲をヒット・チャートに送り込みます。

さらに、ワーウィック以外に提供した楽曲や、映画音楽にも数々の名曲が生まれていきます。
ビートルズの1963年のカヴァーで知られる「ベイビー・イッツ・ユー(Baby It's You )」、
1967年の映画『007/カジノ・ロワイヤル』のテーマ曲「カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」、
1970年の映画『明日に向かって撃て』の主題歌で、
B.J.トーマスが歌った「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin' On My Head)」、
1970年に、カーペンターズのヒットで知られる「遙かなる影((They Long To Be) Close To You)」(オリジナルは1963年)、
1980年にクリストファー・クロスが歌った映画『ミスター・アーサー』の主題歌、
「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arther's Theme(The Best That You Can Do))」など、
どの曲も、まさに新しい時代の“スタンダード・ナンバー”と呼ぶにふさわしいものです。

イギリス映画『アルフィー』の主題歌「アルフィー(Alfie)」(1966年)や、
映画『007/カジノ・ロワイヤル』からは挿入曲の「ルック・オブ・ラブ(恋の面影)(The Look Of Love)」(1967年)は、
すでにジャズのスタンダード・ナンバーとしてもよく知られているものです。

*****

●代表作

Wives And Lovers 【ワイヴス・アンド・ラヴァーズ】【素晴らしき恋人たち】 (1963)

Walk On By 【ウォーク・オン・バイ】 (1964)

What's New Pussycat? 【何かいいことないか仔猫チャン?】 (1965)

What The World Needs Now Is Love 【世界は愛を求めている】【愛を求めて】 (1965)

Alfie 【アルフィー】 (1966)

The Look Of Love 【愛の面影】【恋のおもかげ】 (1967)

I Say A Little Prayer 【小さな願い】 (1967)

Do You Know The Way To San Jose 【サン・ホセへの道】 (1967,1968)

I'll Never Fall In Love Again 【恋よ、さようなら】 (1968,1969)

Raindrops Keep Fallin' On My Head 【雨にぬれても】 (1969)

(They Long To Be) Close To You 【クロス・トゥ・ユー】【遥かなる影】 (1963,1969)

Arther's Theme(The Best That You Can Do)  【ニューヨーク・シティ・セレナーデ】 (1981)

That's What Friends Are For 【愛のハーモニー】 (1982)

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Last updated  May 12, 2008 10:26:26 PM
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May 11, 2008
テーマ:Jazz(1751)
カテゴリ:Songwriter
ジャズ・スタンダード・ナンバーの創始者、アーヴィング・バーリンの誕生日。

アーヴィング・バーリンは、アメリカのポピュラー音楽を作った創始者的な作詞、作曲家。
彼が作った曲の多くが当時誕生したばかりのジャズという音楽を演奏するミュージシャンに取り上げられ、
現在に至るまでジャズ・スタンダード・ナンバーとして愛され続けており、
ジャズ・シーンに与えた影響は計りきれないほど大きいものです。

今日は、アメリカの偉大なポピュラー音楽の作詞、作曲家であり、
スタンダード・ナンバーの父、アーヴィング・バーリンの生誕119年になります。

彼は、アメリカのポピュラー音楽の創始者で、ミュージカルや映画音楽の作詞、作曲家として、
最も重要な人物の一人です。
彼の書いた曲の数々は、ジャズのスタンダード・ナンバーとして親しまれています。

●アーヴィング・バーリン、アービング・バーリン(Irving Berlin)

本名:イズラエル・バリン(Israel Baline)
1888年5月11日、帝政ロシア、モヒレグ生まれ。
1989年9月22日、アメリカ、ニューヨークで101歳で死去。

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Last updated  May 13, 2008 01:41:44 PM
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