ママさんFPのドタバタ的日常劇場

2007/10/07(日)17:42

ミャンマー問題、長井さんのご冥福をお祈りしながら・・・

こんなのあり?ちょっと疑問(206)

週末恒例の読書中に、ミャンマーで軍部の発砲により倒れた長井記者の最後の写真を眼にする機会がありました。 ご冥福をお祈りいたします。 アフガンやエルサレム関係でご活躍されていた方だそうで、私大ファンの宮嶋茂樹さんともご親交があったそうで。     こういう方のもたらす情報で私たちは真実の一端を目にすることができるわけですよね。感謝しております。 しかし、いろいろな裏読みができる情勢で、何年か経ってみないと真実はわからないのでしょうが・・・ 軍事政権 ← 中国が後押し ← 油田、海への出口確保? 民主化運動 ← 反中国の欧米が後押し? 実は僧侶の反政府デモなどは数はそう多くない。国民の大部分は食べていければいいので、急激な民主化は望んでいない・・・etc(今週号の週刊新潮記事) 平和な世界で生きてる私が安全地帯から勝手にほざくことではないのでしょうが・・・ さて、来年の地理、世界史、政治史はミャンマー要注意かもね@公務員試験 以下にカンタンにまとめときましたから、受験生はコピーしときなさいよ。 <<ミャンマーという国の成り立ち>> 独自の王朝→19C英国の植民地→日本軍の侵攻 アウンサン将軍が独立義勇軍を設立し、日本とともにイギリスを排除、日本の影響下にあるビルマ政府設立 しかし、アウンサン将軍は「反ファシスト人民自由連盟」を設立し、イギリスとともに政府を攻撃、日本の敗走後、イギリスはビルマの独立を認めず。 1948 英国から独立 1962 軍部のクーデター、ネウィン将軍の社会主義政策 1988 民主化要求デモ、軍部のクーデターによりSLORCが全権掌握      SLORC=国家法秩序回復評議会 1989 国名をビルマからミャンマーに変更      アウン・サン・スーチー女史を自宅軟禁      *女史は建国の父と呼ばれるアウンサン将軍の娘 1990 総選挙でスーチー女史率いるNLD(国民民主連盟)圧勝      軍部は政権交代を認めず 1991 スーチー女史にノーベル平和賞 1993 憲法制定に向けた国民会議開会 1995 スーチー女史自宅軟禁解除、NLD国民会議ボイコット 2000 スーチー女史二度目の自宅軟禁 2002 自宅軟禁解除 2003 三度目の自宅軟禁、現在に至る インド、タイ、ラオス、中国と国境を接し、周辺部は少数民族(カレン族など)が居住。仏教国だが、少数民族にはキリスト教徒が多数を占める民族もあり、統合は多難な状況。

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