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北里室内スポーツセンターの裁判の現状
<採算性> スポーツセンターの建設は父と和田寛の強い要請によるものでしたが、僕は以前から十和田でスキーやテニスのクラブなどいくつかのスポーツ団体の会長職にあり、協力や後援の約束を取り付けることができました。積極的に利潤は追求しないものの、赤字経営では困るので、リサーチ会社に調査を依頼し、採算面でも着工にがーサインが出ました。 <入札(見積もり合わせ)> 入札には十和田市内の紺野建設、経商事、五戸の南部総建が参加し、南部総建が落札しました。 <(株)南部総建> 南部総建は中河原啓介夫妻、賢治夫妻が経営する同属会社です。和田寛三氏も役員に名前を連ねていますが、名義を貸しただけで、入札の際には和田寛から特別の働きかけがあったわけではありません。南部総建との出会いはロータリークラブの会合で社長の賢治氏が遠い親戚筋に当たると自己紹介してきて、1981年僕が北里内科クリニックを建設するときに外壁工事をやらせて欲しいと元請の紺野建設に売り込みをして、下請け業者に名を連ねたことに由来します。 <(株)大西組> スポーツセンターの入札に参加するには所定の書類1式を提出する必要がありました。南部総建はこの書類審査の段階で、会社の資産と実績の不足から、1度は振るい落とされました。しかし五戸で1番大きな土建会社である大西組を連帯保証人にすることで入札資格を得て落札に至りました。 <川崎グループ> 建設資金は川鉄商事が提供し、建設資材は川崎製鉄の健在を優先するという暗黙の了解があったのですが、南部総建ではこれを無視して、吉田産業を通じて各社から資材を調達しました。このこと自体は契約違反でもペナルティーの対象でもありません。しかし川崎製鉄では鉄骨を自社から直接仕入れた方がずっと安く上がるのに、わざわざ仲介業者を介在させたことに強い疑念を抱いていました。 <建設費> 建設費は15,900万円を4回に分けて支払う契約で、1985年11月着工、翌年3月25日完成、引渡しの予定でした。しかし完成は大幅に遅れ、当スポーツセンターが会員制の施設のため未完成のまま仮オープンせざるを得ませんでした。 <完成検査> 6月になっても建物は未完成で、雨漏りや漏電、暖房・水道・給湯の故障が続出するので7月紺野建設に依頼して建物の検査をしたところ次の事実が判明しました。 1、 建物の面積が図面よりずっと小さい。 2、 ほとんどの部材のサイズが落とされている。 3、 プールや防火用水タンク、排水タンクの防水工事の手抜きから地下への漏水がある。 4、 屋根工事の手抜きから100箇所以上の雨漏り箇所がある。 5、 基礎の鉄筋、コンクリートの規格を落としたのでひび割れがある。 そして川崎製鉄からは次の報告がありました。 6、 鉄骨は各社に分散・発注されたことになっているが、各社発行の「鋼材検査証明書」はすべて偽造されたものである。 7、 建物の鋼材の分析の結果、この鋼材は六戸の工場を解体したときに生じたスクラップを加工して、新品と偽って使用したものである。 <スポーツセンターの閉鎖> 十和田土木事務所に再検査を依頼した結果、この建物は不特定多数の使用には不適当とのことで、1986年8月10日閉鎖しました。翌1月震度2の自身でテニスコートとプールが一部崩壊しました。もし営業を続行していれば死傷者が出ていたでしょう。 <南部総建による仮差押と訴訟の提起> 保証人の大西組は「悪質な業者は手抜き工事で儲けることもあるが、これほど悪質な工事は前代未聞だ」と嘆いていました。当方と南部総建は大西組の仲介で善後策を話し合っていましたが、南部総建では下請けからは工事代金の催促、青森銀行からは資材購入資金の返済の催促を受けて、苦し紛れの反撃に打って出ました。1986年8月12日残工事代金など5,000万円の支払いを求める訴訟を起こし、同額の僕の預金と診療報酬の仮差押を実行しました。 <反訴> 現実の裁判になったときには南部総建の敗訴は明らかなので、僕は訴訟の取り下げと話し合いの続行を提唱しました。しかし応ずる気配が全くないので、同年9月18日、34,000万円の損害賠償請求の反訴を提起し、中河原一族のすべての不動産の仮差押を実行しました。山林400町歩、立木、宅地、住宅、店舗などすべて合わせても3,000万円の価値しかありませんでした。 <南部総建背水の陣> 万一僕がこの裁判に負けると仮差押を受けている5,000万円を持っていかれます。逆に南部総建が負けると全不動産を取られた上に、不足分は保証人の大西組が支払います。当然大西組は南部総建に損害賠償を要求します。僕にとっては左団扇の裁判でも、南部総建には一族の存亡が懸かった負けられぬ戦いです。 <力勝負の民事訴訟> 南部総建は先手必勝で、5,000万円の仮差押に僕が驚いて、簡単に降伏するであろうと甘い見通しで訴訟に踏み切ったようです。しかし僕は個人でも(組織の裁判は除外して)20以上の刑事・民事の裁判の経験があり、弁護団も抱えています。裁判には多大な時間と費用とを要します。そして1度裁判が始まると、決して後戻りはできません。 <仮差押と供託金> 民事裁判で勝っても相手に賠償能力がないと、勝訴は何の意味もありません。そのために裁判の提起と同時に、相手の資産の仮差押を実行します。仮差押された資産は勝訴の場合には戻ってきますが、敗訴の場合には相手に取られます。そして仮差押を実行するときには、その資産の3分の1程度の権利金の供託が必要です。この供託金も、勝訴なら戻ってきますが、敗訴なら戻りません。 <弁護士料> この裁判の弁護士料は双方とも1,500万円です。750万円は着手料として弁護を依頼したときに支払い、残る750万円は成功報酬で、裁判終了時に支払います。僕は当方の浅石弁護士に750万円を支払い済みです。しかし彼の情報によると、南部総建では依頼した大沢弁護士に着手料をほんのわずかしか払っていないらしいのです。その理由は、南部総建に十分な裁判資金がないことと、大沢弁護士もこの裁判で勝てる見込みが少ないことを知っているからとのことです。 いったん弁護士と代理人契約を結ぶと当事者同士の和解は禁じられます。当事者の一方か双方が気が変わって穏やかな解決を図ろうとしても、成功報酬の目減りとキャリアに傷つくことを嫌がる弁護士は決してただでは同意しません。 <敗訴の際の弁護士の賠償責任> 僕は南部総建の裁判は、交通の利便性から、八戸の浅石弁護士に依頼していますが、東京でのいくつかの裁判は板橋弁護士事務所(弁護団)に依頼しています。万一、浅石弁護士の弁護活動の失敗によりこの裁判が敗訴や不十分な勝訴に終わったときには、板橋弁護士事務所が浅石弁護士に損害賠償を請求します。臨床医が医療事故賠償保険に加入しているように、第一線の弁護士は敗訴に備えて賠償保険に加入しています。 <上級審> 既にこの裁判も12年目になります。南部総建では結審を遅らせるため色々の戦術を弄しています。裁判所が「南部総建が2億円の損害賠償をする」という和解案を出しましたが、南部総建は拒否しました。それでも今年中に審議が尽くされて来年には1審判決になるだろうと思います。僕は裁判は弁護士任せで公判に顔を出しませんが、中河原一族は必死のようです。彼らは1審で不利な判決が出れば控訴するでしょう。1進が2年を要したのなら、2審は6年、3審は3年というのが弁護士の見通しです。僕は特に判決は急いではいませんが、10年後には最終的な結論が出ると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 28, 2005 01:50:54 PM
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