|
カテゴリ:エッセイ
伊勢神宮のテレビのニュース映像を見ながら60年前にタイムスリップしていた。 当時関西に住んでいたので小学校の修学旅行は伊勢神宮だった。 行ったのは11月だったが、10月には戦後初めての式年へん宮が行われた。 「20年に一度、神様の住むお社を立て替えての御移りが式が、10月に終わったばかりの時の修学旅行でいかれることはとても幸運なことで、心して参拝してくるように」と出発の駅で校長先生が重々しく話された。 ラジオや新聞の報道で、修学旅行先が話題になっているぐらいのことしか感じなく「伊勢」に行くことより電車に乗って、クラスメートと宿に泊まることの方が楽しみだった。
今のように観光バスはまだなくて、遠足はすべて電車で、最寄りの駅に集合して貸切電車で行っていた。 宿泊する宿には一人お米2合を持参することが決まりで、宿に着くと先ず、女中さんが米櫃を抱えてきて、持参した布袋からお米を入れた。 お米は配給制だったの家では麦や雑穀が当たり前の時代、今晩と明日は白いご飯が食べられると喜んだ。 五十鈴川で手を清めてから、白石を敷き詰められた参道を歩くころには、不思議と厳かな気分で無口になり、宮司から参拝の作法を教わり何を祈ったかは忘れたが、日頃のガキ大将たちも神妙な顔をしていたので神様の力って凄い!と思った。
2日目はミキモトパールの工場見学。 山のように積まれたアコヤガイのなかから、ピンセットのようなもので貝の身の中から真珠があれば取り出していた。 当時の6年生の子供たちにとっては「真珠」は そんなに魅力あるものではなく、取り出した後のアコヤガイが食べられないことがもったいなと思った、大人になって知ったが身は不味いが貝柱は美味しく串焼きでして食べられていたそうだ。
伊勢湾で小型の船に乗り、白い着物を着た海女さんが素潜りしてサザエや伊勢海老をとってくるのを見学。 修学旅行生を喜ばせようと、若い海女さんがもぐってとってきたのは「ヒトデ」。 サザエや伊勢海老の時よりわっと歓声があがり、船べりにいたクラスメートに渡された。 ほとんどのクラスメートは初めてみた(私も)星形のヒトデに感嘆していた。海女さんが海底から海面に上がるときの呼吸の、ヒュー、ヒューいうと声が悲しく響きに聞こえ、今でも耳に蘇る。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 10, 2013 11:09:40 AM
コメント(0) | コメントを書く
[エッセイ] カテゴリの最新記事
|