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倫理の進化

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若樹

若樹

Headline News

2007.07.02
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カテゴリ:思想
拝啓

弁護士一同様。

殺人と強姦を犯した17歳の少年の、弁護と言う、非常に難しい仕事に臨まれ、

数しれぬご苦労の程、何とかお察ししたい所存です。




私もまた、死刑を反対する人間でございます。

しかしながら、皆様の少年への弁護の仕方が、我々死刑反対と言う穏健派さえ、厳しい意見を

向けたくなる様なものである事も、ご理解頂きたいと思います。



私の目から見せて頂いた限りでは、皆様方は、少年を死刑から守る為、敢えて罪を

否定されておられる様に感じます。

少年は確かに、初めに殺しめた、奥様に対しては、殺意を持っていなかったかも知れません。

母の自殺に胸を痛めた少年が、最初から殺意を持って、17歳の幼さで、女性に近づくとは、

考えにくい行動です。




もし、それが事実でありましたら、少年はまず、母の自殺に対して、無動揺でなくては

なりません。

しかし、少年は明らかに、強い衝撃に晒された模様です。

そしてまた少年は、その後母代わりとなった、継母とも、正常な母子関係に至れなかったと、

告白していた記事を、私は記憶しております。

事件の背後には、母親の自殺と、継母との隔たりが、深く影響を及ぼしているのでしょう。


こうした事実は、少年が、一般的な感情の持ち主である事を証明しています。




故に私には、少年が被害奥様に近づいた段階では、殺意よりも、耐え難い母性への、

同時に女性への、欲求があったであろうと言う事は、少年の供述を待つまでもなく、

想像に難い事ではありません。



しかし、お子さんを手にかけた事はどうでしょうか。

私の粗末な、事件に対する知識では、殺害は、母君の後、お子様に及んだ事になっています。

既に一人を殺した場合、少年は殺人を認識した上で、次の被害者に向かうのでは

ないでしょうか。


少なくとも私は、少年は、お子様に対しては、明確な殺意を持っていたと、

身勝手にも結論しています。



皆様方の弁護で、最も疑問を感ずるのが、このお子様に対しての、少年の殺意の否定です。




聞けば皆様方は、弁護の際に、少年が子供の首元に、ちょうちょ結びをして、あやすなどの、

友好的な行為の最中に、誤って死なしめたもの、と説明されたそうですが、

これは私にとりましても、大きな疑惑なのです。




この発言を切っ掛けに、世論は強い怒りの反応を示し、巷は死刑支持の意見が

吹き荒れております。

いや、少年自身よりも、むしろ市民は、皆様方の弁護によって、少年への憎しみをいっそう

駆り立てられている様子です。



死刑廃止を唱える皆様方とされましては、少年が、殺意を認めるか否かが、そのまま判決を、

死刑にしてしまうか、それとも無期懲役で終らせる事が出来るのか、

そういう最重要な一線になっている事は、理解させて頂いております。



しかし、尊い命を一つでも守る為に、その手段として、最も命を軽視されるなさり方で

臨まれるのは、生命倫理を重んずる、死刑反対論者として、

断固とした反対をせずにはいられません。




皆様方は、少年の命を重んじる様に、奥様と、お子様の命も重んじられるべきです。


奥様に対しては、殺意ではなく、他の意図を持って、関わったと言う事は、事実であると、

私もご支持致します。

そして、結果として、それが殺害に終ってしまったと言う事も、事実です。

しかし、お子様については、明確な殺意が一貫してあったと、私は信じております。

あなた方も、それをご承知でいられる筈です。




最終的に、生まれて間もない幼い命が、そこで終焉を迎えてしまいました。

我々は、死刑反対の信念を持っても、その幼い子供の為、公正な裁判を持たねば

ならないと思います。



そしてうら若き母君の為にも。

家族を失った、遺族の方の為にも。


最後に、少年自身の更生の為に。



あなた方は、少年が犯行時に判断した事実を全て提出し、その上で、

裁判に臨まなくてはならない筈です。

それが、どれほど少年を不利な状況に置く事になろうとも。


犯した過ちは事実です。

死刑回避の為に、事実を歪曲してはなりません。

それは、犠牲者と、遺族に対しての、この上ない冒涜です。




皆様方がすべき事は、被害者の生をあらん限りの心を持って尊んで、

遺族と共に、その死を悼み、可能な限りの正確さを持って、事件の全てを法廷に出し、

少年の自供に勤められることです。

そしてその上で、如何なる暴力を犯した者であっても、全ての命を尊ぶ精神から、

この少年に、死刑を与える事を、反対しますと、仰れば宜しいのです。




残念ですが、私の目には、皆様は、死刑を回避させる為、少年に否認や、

言い逃れの知恵を授けている様に映っております。




結果、事件から8年近く経った今も、少年は殺意を否認する為、一切反省の姿勢を見せず、

それが市民の怒りを煽ってしまっています。

皆様方の採られた手段が、少年をなお、悪質な犯罪者に進歩させる結果となって

しまっています。

こんな皮肉は耐え難いものです。




皆様方は、少年を反省させ、心からの後悔を持って、彼に自ら罪を償いたいと、

言わしめる様になさらなくては、いけないのではないでしょうか?

そう少年が変わるなら、初めて世論は、少年にも心を向けてくれる様になるでしょう。

例え罪を認める事によって、死刑の判決を受けたとしても、少年の改心が目覚しいなら、

国民は、国に助命の嘆願運動を、起こす事も出来るのです。




どうか、その運動の中に、遺族の方も加われる様、切望いたします。

私も、最愛の娘を留守中に殺された過去があります。

犯人への復讐を果たしても、我が子が癒されはしないと悟りました時、

我々遺族が救われる唯一の方法は、犯人を許し、その者を更生させ、

奪った尊い命の分、いえ、それ以上に、彼が社会に対し、生きている限り奉仕と、

癒しの道を歩み、犠牲者の死を、その行為によって、価値ある何かへと、

昇華させる事しかないのだと理解いたしました。



遺族の方には、犯人の死刑を要求するのではなく、彼を救う事によって、

大切な家族だったお二人を、また、ご自分自身を救って頂きたいと、

これを切望しているのです。


その為には何よりも、少年の更生が不可欠なのです。




どうぞ、少年の更生を妨げないで下さい。

彼に、自分が殺した命の大切さを、身近なあなた方が、教えて上げて下さい。

死刑判決を受ける事になろうとも。

被害者のお二人の命を軽視する形で、少年の命を守ろうとする事は、返って社会から、

生命倫理を奪う事になるでしょう。




更生した罪人が、どれだけ社会を癒す力に変わり得るかー。

皆様方なら、きっとご存知でおられるでしょう。

2005年の、12月13日に、カリフォルニア州で、死刑執行を受けた、

スタンリー・ウィリアムズ氏が、その代表的な存在でした。




黒人で、差別と貧困の中で育ったスタンリーは、仲間と共に、アメリカ有数の

ギャング集団と言われた、「クリップス」を創設します。


そして様々な犯罪行為に及んだ後、彼は強盗と、四件の殺人を犯したとして起訴されます。

スタンリーは、殺人に関しては、一貫して冤罪を主張していました。

しかし、判決は死刑が下されました。


スタンリーは、その後、獄中で自分の人生と向き合い、やがて非暴力主義に生まれ

変わります。

ある時、クリップスの、やはり創設メンバーが殺害され、それを切っ掛けに凄まじい

ギャング闘争へと発展し、何と、アフリカまで、争いは飛び火したと言います。



獄中のスタンリーは、争いを鎮める為に、録画テープによる、呼びかけを行います。

如何なる制止にも応じなかった、対立し合うギャング達が、これを聞かされて、

良心を揺り起こされ、暴動に終焉を打つのです。

このビデオを見た後、対立するメンバーの中には、互いに抱き合って後悔しあった者達も

おりました。



その後スタンリーは、まだ犯罪に手を染めていない子供達が、貧困と差別による、

未来への絶望から、自分と同じ道を辿らぬ様、獄中から、子供達へ絵本を書いて

出版します。


子供達を、刑務所に招き、暴力に貶めれば、自分と同じように、ここで死ぬかも

しれなくなるのだよ、と、諭します。

だから、絶対に暴力で生き延びようと思ってはダメだと。



彼は、7冊もの尊い絵本を描き、ノーベル文学賞に、3回ノミネート、

それからノーベル平和賞に、4回ノミネートされます。




そして2005年、12月、彼は遂に死刑執行が決まります。

これを受けて、世界中の人間が、カリフォルニア州知事である、アーノルド・

シュワルツェネッガーに、減刑の嘆願要請をします。

しかし、知事は、全くそれには応じませんでした。

12月13日、午前零時、スタンリーは、あらゆる人間の慟哭を聞きながら、

その尊い生を閉じられるのです。





彼は、冤罪であったと、私は思います。

死を覚悟して、変わりに多くの子供達を、非行の道から救おうとした人間が、

自分の罪を誤魔化すとは、とても信じられないのです。



しかし、冤罪は証明されず、更生した死刑囚の心に打たれ、どれだけの人間が動いた事か。

そして彼が、自らの犯罪と向き合い、非暴力に目覚めた為に、どれほどの人間が

癒された事か。





死刑には、反対します。

第二のスタンリーを生んではなりません。

我々が死刑判決を止める望みがあるとすれば、囚人は更生し得るのだと、

証明する事によってではありませんか?




どうか被告を反省の方向に導いて上げてください。

彼を更生させる事が出来たなら、それこそが、社会から死刑制度を撤廃させる為の

鍵になるかも知れません。

その時皆様方は、初めて世論が、彼への厳しい検事ではなく、弁護士として、

皆様方の隣に立つ事を、その目でご覧になる事でしょう。




例え救い難い人間であったとしても、私には、人間が人間に対して、死刑の刑罰を

与える事が、許されるとは思っていません。



この事件を受け、多くの人が、犯罪者に死刑を、或いは終身刑を、と、声を大にして

叫んでいます。

それを私は、魂が引き裂かれる痛みを持って、眺めています。

付け加えるなら、昔の痛みがえぐり返され、毎日涙にくれています。

社会が、犠牲者の為の報復や、犯人への憎しみを唱える限り、遺族に安らぎは訪れません。




他ならぬ遺族こそが、理不尽な暴力の痛みに晒されているからです。

遺族の心は、悲しみや、憎しみや、後悔に燃える炎なのです。

社会がこれに同調する事は、ただ、その炎に、油を注いでいかれるだけなのです。

その為に、遺族はずっと、尽きる事のない、煉獄の苦しみに、己を晒し続ける事に

なるのです。




どうか死刑廃止の為に、被害者のお二人と、遺族の方、そして少年を、犠牲にされないで

下さい。

彼に罪の重さを分からしめさせて、その上で、如何なる判決でも、堂々とお受け下さい。

死刑に立ち向かうのは、その後であるはずです。




皆様方が、人として正しい決断をされる事を願って。


                                     敬具





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Last updated  2007.07.02 23:35:36



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