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倫理の進化

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若樹

若樹

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2008.03.27
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カテゴリ:正統日記
例えるなら、たまたま外を歩いていた時に、「犬好きな方、ご自由にどうぞ、殺処分問題
についても、歓迎します」と言う看板を見て、入ってみた喫茶店が、中にいる客はみんな、
ピンクハウスを着たご婦人方だったと言うような、場違いムード。





いや、もう少しきついものだった。
ちょっと説明をさせて欲しい。
それは、例えるならこういうものだ。





たまたま外を歩いていて、喉の渇きを覚えたとする。
私はコーヒーでも飲もうと、喫茶店を探している。
そして、ちょっと時代がかった、色あせた扉のある喫茶店を見つける。




入り口には、「ウエスタン・トレイル」と書いてある。
きっと中に入れば、ウィルダネスを走ったライダー達の、写真が沢山飾られているのだろう。




中には、無愛想なマスターがいて、パイプを吸っているかも知れない。
朴訥で、でも、時に見せる笑顔は柔らかい。




私は、ライダー達の背後にある、アリゾナの砂漠を連想する。
焼けた大地。


人によって違うだろうが、私がそこから想像するものは、埃を巻き上げて爆音を轟かせる、
ハーレーダビッドソンではなくて、頭に美しい、羽飾りをつけた、往年のネイティブ・
アメリカン。




凛々しく跨っているのは、バイクではなくて美しい馬だ。
そう、コーマック・マッカーシーの著作の題名の様に、「すべての美しい馬」





この扉の奥には、きっとそんな心象に浸れる空間がある。
扉を押し開けて入った時、中から聴こえて来る音楽は、出来たらジョン・デンバー辺りが
いい。




風俗や慣習の違いを超えて、何か男としての、同じ美学を心に持っている人間と言う
印象を受ける(別に、私は性同一性障害と言う訳ではないのだが、幼い頃から
武装キャンプみたいな家庭で育ってしまうと、生き延びる為に、戦士に自分がなって行く
しかなくなる。


兄からのプレゼントも、カイザーナックルや、ヌンチャクや、トンホー、三段式特殊警棒、メリケンサックとか、止めには、大友克洋が描いた、AKIRAと言う漫画に出て来る、ジョーカーが持っていた、ワイヤーにボルトを幾つも通した、お手製の武器等だった。





「これなら、お前の力でも、大の男の背骨も折れる」と、要は父に殺されそうになったら、
これを使って先にやれと、渡されていた。


私は他にも、兄が持っていた、サバイバル・ナイフを譲って欲しかった。
より確実に、暴力の限りを尽くす大人達への対抗手段の武器を欲し、ついつい、
「月間GUN]などを、毎月購読してしまった。


例えエアガンでも、見ているだけで、勇気になったし、出来たらデリンジャーでいいから、
((主にアメリカで女性が護身用に持つ、単発銃))何とか手に入れたいと思っていた。
新宿に行けば、トカレフが三十万位で買えると言う話だったから、トカレフ貯金を地味に
していた。



命中度が、滅法悪いと言うのが引っ掛かったが、至近距離で打てば、バカでも外すまい。
衝撃に耐えられる様に、パワーリストを手首に付けたりしていた。




こういう家庭に生まれた少女は、リボンさえも、髪を愛らしく飾る小物ではなくて、敵の
背後を取れた時、首を締める為の道具と考える様になって行く。
畢竟長じて人生を考える時、女性としての振る舞いどうのと言うよりも、男としての
美学が指針になって来る。と言うだけの話である)。





力強き者だからこそ、それを制御する心の強さ。
彼の歌声からは、そんな本当の男らしさが伝わって来る。





表音文字で歌われる洋楽は、表意文字の日本語で歌われる邦楽よりも、より音感的で、
音楽に馴染んでいる気がする。




扉を開けて、異国の友達に会いに行こう。
かかっている曲は、「リービング・オン・ア・ジェット・プレーン」なら最高だ。
哀切を込めて、まるでサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」の様に繊細に
歌い上げて、そしてなお、もっと不器用な男の弱さを感じさせる。





そんな思いを持って、ぶっきらぼうなマグカップに注がれたコーヒーを求めて、喫茶店の
扉を開けてみたら、何とメイドカフェでした、みたいなね。
勿論かかっていたのはアニメソングって奴で、客の男共が、メイドの格好をした女の子に
合わせて、幼稚園のお遊戯みたいな踊りを踊っていると。





取り敢えず、自分がどれ程場違いな所の扉を開けてしまったのか混乱の内にも察し、
今は兎に角、如何に渋く、取り乱す事なくさわやかかつ、冷静に、ここから出て行く事が
出来るかに、自分の尊厳がかかってしまっていると言った様な体験。




ご静読、まことに有り難うございました。
どうぞ中断して目薬を。
ただでさえ文章量の多いものをパソコンで読むのは疲れると言うのに、こんな心境描写まで
つき合わさせて、本当に申し訳ないと思っています。






しかし兎に角、「うちの子だけ裸んぼうでした」と言うブログの扉を開いてしまった時の私の
心境は、正しく全てがこの通りだったのだ。





結局こうしたペット文化に対するマニアックな姿勢には、当の犬猫を無視している現実がある。


お受験や何だと、幼い子供を自分の描いた通りの人生を送らさせようと、面接だ試験だ
好感を持たれる服装だと、子供を置き去りに、勝手に盛り上がっている、母親達と酷似して
いる。




勿論同じ時代に育った、同じ国の人間達なのだから、対象は変われど干渉の仕方が同様
なのは、是非もない。





しかし、この新生ペット文化は、紛れもなくオタク、或いはマニアックな世界に陥ってしまっている。



犬達を、飾り立て、贅沢をさせ、いい者を食べさせているのは結構なのだが、それよりも、
犬達を人間が振り回してしまっているのが、とても苦しく、やり切れない。
これは正に、ペット文化の問題点の、一番核となる部分である。





結局の所、このペット文化の担い手達は、本当の生き者好きでは全くなくて、ただ単に、
「ステイタス・マニア」と言うべきものなのではないのだろうか。





日本の近代化が進み、洗練された文明人とは、まずカラーテレビや、冷蔵庫、電子レンジ、
エアコンなど、一般的な家電の全てを備えている事から始まって、それをクリアして行くと、
最終的に、最も都会的な市民とは、まず、自分の身なりを完璧に整えて、そして尚、
犬や猫に代表される「ペット」を、この上なく、優雅に、装わせる事だと、考えているのでは
ないだろうか。





いみじくも、よく語られる、「人間の文明の進歩とは、そこで暮らす生き者に対する、
人間の寛容の度合いによって測られる」と言う言葉が、完全に誤って理解されてしまって
いるのである。





新生ペット文化の担い手達は、人間の文明化の証は、犬や猫に、洋服を着せる事だと
、完全に履き違えてしまっているのだ。




本当の、高次の文明とは、完全なる、生態系との共存である。
生態系に、一切影響を与える事無く、全ての種の生業を、そのまま受け入れた上で、
尚高度文明社会を作れるのならば、それは決して内的原因からの、終焉はあり得まい。




そして最後に、ペット文化の抱える最大の問題、殺処分と、それに対する、ペット文化の
対応についての検証である。





全国で、犬や猫の保護団体、里親探しの組織、ボランティアなどが雨後の筍の様に乱立
し始めたが、その背景には今度は、パソコンに於ける、インターネットの普及が挙げられる。




ネットなどを通し、犬猫や、アニマ実験、毛皮に、化粧品などの実験による惨劇を、早い
段階から問題視いていた団体などが、HPに掲載したり、また、ネットを通じてこうした
問題を、広く渡り歩いて、自身のHPやブログに載せる人達が増えて、ネットワークが
誕生して来た。





その頃を契機に、愛護団体や、ボランティアを自称する人々は、爆発的に増えて来た。
これらの人々は、多くが女性であり、この、ペット文化(彼女達は、ペットブームと呼んで
いるが)でたち現れた、多くの無責任な飼い主を批判している。




しかし、現実には彼女達も、その、ペット文化によって、犬や猫に、それまで以上の
関心を持って現れた、一夜漬けの飼い主がかなりの割合を占めるのを、否めないので
ある。





だからここでもやはり、マニアックボランティアの空気が色濃く漂っている。
とかくこの人達は、日本語を使いたがらない。
何でも英単語で格好を付けて言い表そうとする。





多頭飼育崩壊は、そう日本語で言えばいいのに、「アニマル・ホーダー」等と呼ぶし、
野良猫を捕まえて、手術してまた放す事を、「トラップ・ニューター・リターン」と表現
したりする。





以前ブログでも指摘したが、イベントなどで団体が売っている、殺処分反対とか、
「動物」愛護のキャッチコピーを書いたTシャツは、まず、絶対英字で書かれていて、
相当単語を知っている人間でなかったら、何が書いてあるんだか、さっぱり誰も分からない。





自分達だけで理解し合って、外の世界とは、意思の疎通が、マニア用語を用いる為に、
素直に行っていないと言う事くらいは、認識出来ていると解釈したい。



外に対して訴える為にやっている事が、自分達の世界でしか、暗号の様に通じないで
いるのを楽しんでいるのは、完全なマニアであるし、本気で殺処分を憂慮したりは
していないだろう。






そうでないと言うのなら、犬でも猫でも、発情期でも、多頭飼育でも謳い文句でも、
何でも万民が分かる様に、言葉を日本語で発言すべきだ。




一体、この人達は誰に訴えたいのだろうか?
日本人は見限って、在日英語圏の人間だけを、相手にするつもりなのだろうか?
それでは殺処分はなくせまい。





ディープに通じているのを鼻に掛けて、知らない人間を見下しているとさえ、
見受けられてしまうのだ。




これも、マニアックな専門知識を手に入れた人間に、よく見られる行動である。




この「動物」愛護の傾向は、勿論、そのまま欧米思想を受け継いでいる。
彼女達が、犬や猫の惨状を指摘する時、決まって繰り返される言葉が、「欧米では・・」
、「欧米だったら・・」と、言うものである。





日本のペット文化が、欧米の文化を、魂だけは移入出来ずに(そもそも文化が違うの
だから)、外側だけを丸ごと日本にコピーして、持ち込んでいる以上、解決策に、
似たり寄ったりの問題を抱える欧米の、先に進んだ保護対策を真似ようとするのは
致し方ないだろう。






実際犬猫問題にかけては、欧米よりも、タイを象徴とする、東洋や、自然民族の方が、
具体的な答えを出している。




それは、人間の都合を抑制しても、他の種族の生きる権利を奪ってはならないと
する、共生の概念である。





タイでは、狂水病の蔓延の為、予防策として、犬の殺処分が始まったが、これに
犬好きで有名な、プミポン国王が猛反対。





野良犬の避妊、去勢をして、ワクチンを接種して、元の場所へ帰す。
咬み癖がある犬は、国の保護施設で隔離される代わりに、死ぬまで面倒を見られる。





この様にして、タイは狂水病常在国でありながら、毎年被害を減少させ、尚且つ
殺処分をゼロにしているのである。





こうしたタイの取り組みは、日本でもテレビなどで報道されているし、愛護団体の
人方もご存知のはずだ。




しかし、日本では、命を殺してはならないと叫んでいるにも関わらず、現実に殺処分を
撤廃した(それも最近に)、タイの様な国を見習おう、とは、絶対に言わないのだ。




代わりに、まだまだ自分の国で、殺余分を完全になくす事が出来ないでいる(犬とは
日本など、比較にならない程の文化と歴史を築いて来ている人々が)、欧米の
尻を追って行くのに、余念がない。






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Last updated  2008.03.28 00:12:31



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