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倫理の進化

倫理の進化

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若樹

若樹

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2012.12.31
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カテゴリ:思想
話が少し、個人的なものに逸れてしまうが、私は、侍の子孫にあたる。
私を、散々虐待した祖母が、妙な侍キチガイで、昭和の50年代になっても、私に向かって
「家は侍の家系なんだからね、ドン百姓とは、血が違うのよ。こっちは偉くて立派だけど、田舎で生まれて、教養のない、百姓なんか、えた、非人。」

と、言うのが口癖だった。
私が男みたいな言葉使いをすると、決まって、「士族の家の娘が!」と、怒り、
「あんたは、半分、ドン百姓の血が混ざってて、汚れているから仕方ないわね。」

と、言われて育った私が、侍嫌いに育ったのは、当然の事であるし、そういう偏見の基盤となった先祖とも、進んで縁を切りたかった。

父方の祖父母は、両方侍の家系に属している。
祖父は、実際は養子なのだが、「加藤」の家の家系を継いだ。
祖父の実家は元は、「田中」のはずで、余り知名度はないが、侍の家系の一つで、恐らく「加藤」の家と、縁戚関係にあったのだろう。
全く血縁のない家から養子に行ったとは思えないから、親族の中で、養子縁組をしたかも知れない(私の父がそうである)。

しかし、いずれにせよ、私の本来の姓名は、「加藤」である。
若い頃から、この「加藤」の家の武士たちが、私を守っているのは感じていた。
祖母方の「00」と言う武士の家系(フラッシュバックを起こすので、私の以前の苗字は書かない)
の侍に、守ってもらった感覚は一度もないが。

そうであっても、私は自分の体に流れる侍の血を嫌っていた。
侍=祖母になってしまっていたからである。

侍の精神から言えば、えた、非人と言うべきは、正しく祖母自身であり、もしも祖母がもっと昔、武家の家に生まれて、こういう高飛車で、人の人格を無視する発言をしていたら、身内に切り捨てられていたのではないかと想像する。

しかし、最近、本当に、ここ数ヶ月の事だが、私が、雑用をしようと立ち上がった時、それまで何の意識もしてなかったのに、ある考えが、すとん、と、私の中で落ちて、収まるべき所へ収まった。

私の行動、思想、そして、狂犬病法を足がかりに、殺処分を撤廃しようと一人で立ち上がったあの精神は、全て「武士道」に端を発しているものだと。

余りに唐突な理解に、私は戸惑ったが、その時自分が、これまで侍を嫌いながら、皮肉にも、その侍の象徴とも言える、赤穂浪士に、長らく心酔していた理由が分かった。

私は、祖先の血を疎ましく思う拒否感から解放された。
侍を汚していたのは祖母であって、侍自身が汚れていたのではなかったのだ。

自分は、女に生まれたが、その精神は、立派な「武士」なのだ、と、悟った。
で、あるならば、今後は今まで無自覚でやっていた事を、武士としての自覚を持って、やって行こうと。

そして、先月たまたま古本屋で、新渡戸稲造の書いた「武士道」と言う本を見つけた。
早速購入したが、全て読破していないし、多分、真剣に一字一句を読む事もないだろう。

武士道については、既に私の内にあるのだから。
あの本は、私がその自覚の中で行っている事が、武士道の精神で、何に当たるのかとか、別の国の人にでも聞かれた時に、参考書として用いればいい、と、思っている。

しかし、最初の下りを読むと、武士道とは、日本人の道徳教育であり、善悪を教える、精神の集大成であるのが分かる。

また、藤原正彦の「国家の品格」と言う本の中でも、新渡戸の「武士道」が取り上げられている。
但し、新渡戸の「武士道」は、余りに他人の言葉の引用が多過ぎる嫌いがある事を、これから興味を持って読まれる方に注意差し上げる。

武士道は、宗教ではないにも関わらず、恐らく、神道よりも、仏教よりも、私たちに分かりやすく、人間としての道を説いて来た。
そう、我々が水戸黄門だの、大岡越前などを見ていたのは、武士道による道徳教育であって、そこに如何なる、神道的、仏教的特徴も見出せない。
最も、武士道自体が神道や、仏教の影響を受けて発達したものであるのは確かだが、元々武士は、「人を斬る」のが任務であり、
彼らはそこに、その任務を抑制する力と精神を求めて育成し続けたのだ。

神道はさておき、仏教はインド発祥のものである。
我々は、自然を奉る時には神道を、人間としてのあり方、美徳を教える上では、武士道を、規範として来た。

一般に、善悪の判断、道徳的規範、と言うものは、宗教が教えるものであって、これに属さないのが、自然民族たちの、アニミズム(汎神論)である。

汎神論は、人間は如何に生きるべきかと言う、哲学の中から自然と形成されていったものであり、どの汎神論にも、宗教の様な「創始者」がいない。

既存の宗教で、これに最も近いのが、インドのヒンドゥー教である。
ヒンドゥー教には、イエスやマホメットや仏陀の様な、創始者はいない。

長い歴史の中で、インド人は「ヴェーダ」と言う、数冊の倫理規範を確立させた。
それから、「ギータ」等の、道徳的規範を更に作ったものが続く。

日本の中で、日本人に真の道徳を説いたものが、実は宗教に非ず、武士道だった事を、私は賞賛したい。

武士達は、その責務が故に、行動規範と、精神を、哲学せねばならなかった。
そうして、試行錯誤を繰り返し、「武士道」と言う、一つの倫理体系を生み出し、世に広く伝播したのである。
彼らの規範たる生き方は、そのまま町民に影響を与えて行った。

私たちは、水戸黄門から、善良な弱者が、邪な強者にふみにじられている時に、どうするべきかを学んで来た。

坊主以外で、誰かそういう時に、人はどうするべきなのか、「仏教から教えられた」と言う、平均的な日本人は、果たしてどの程度いるだろうか。

或いは、神道に、そういう場合の行動の仕方を教わったと言う人は。

しかし我々は、水戸黄門や、大岡越前や、遠山の金さんなら、そういう場合には、こうするべきだと習って来たと、答える事は出来るだろう。

それは、仏教でも神道でもなく、汎神論と同じ、人々が、「殺し、殺され、生きる」中で、人間は如何に自身の置き所を見出すかを
求め続けた、武士道の教えなのだ。

カリスマ的創始者も誰もいない。
人間達が、長い月日をかけて、自省と内省を繰り返し、哲学を究め、導き出した、人間の規範の教えである。
そういう意味で、汎神論と武士道は、双子の様な性質を持つ。
自然やアニマに対しては、汎神論がそれを教え、人間が生きる社会と言う、「日本文明」の中では、武士道がそれを教えて来た。


断固として言える事は、カリスマ的指導者によって作られた宗教は、危険なものである、と、言う事だ。

それに従う人間は、一人の人間の主観と、偏見と、価値観に盲目的に追従する。
そこには、様々な経験と視点と、価値観によって練成されたものがない。

仏陀にしても、イエスにしても、元々「精神的指導者」となるべく生まれたと言う人間が、短い人生の中で、その教えの基本を作ってしまった。

それに対して、汎神論や、武士道は、一人の人間の教えに頼らない、素晴らしい真理の泉だ。
その叡智の泉は、人間が何代にもかけて、幾百、幾千の人の、倫理を求める心によって、掘り当てられた泉であり、それは、正に、母なる地球が人間である我々に、授け、受け継がせたい最大のものである為に、何万年の時間が経とうとも、枯れる事無く湧く真理の泉なのだ。

武士道に基づいて、私は今後も法によって定められた社会的弱者の側に立って、その社会的弱者を公然と無視する世間に対して、言葉と言う、刀を持って、誇りある武士として戦う。

それだけの力が残されているかどうかは、神のみぞ知るか、知らぬか分からないが、そういう戦いの中で、力尽きる前に、何かが動く事を信じて、汎神論と、武士道を、
ここで唱えて生きたい。

人間は、自然と共生する上では汎神論に学び、人間社会でどう生きるべきかは、武士道からも学ぶべきだと、今は考えがより深く広くなっている。

あらゆる文明の中で、日本文明の価値を、今一度、日本人が知るべきである。

これまで私は、汎神論者としての立場のみから、人間の不当性を論じて来た。
今後は、更にそれに武士道を持って、人間の進む道を照らして行きたいと思う。


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本記事は、FC2ブログに一度拠点を移し、そこがオリジナルに今はなっています。
コメントは、認証制ですが、受け付け等もそちらで行っていますので、宜しくお願い致します。

また、FC2のブログの背景である、高いネットとバラ線で囲われた空間は、犬猫問わず、人間もかつては偏見や暴力によって閉じ込められた、自由を奪われた虚無の場所です。
今もそこで暮らすものが、その囲いの中から、どんな風に外が見えるのか、見ているのかー

囲いの中から、当ブログを通して外の世界と空を眺め、改めて、そこから出る事を許されないのがどんな思いなのかを、考え、感じて下さい。

FC2版 「倫理の進化」

以下は頂いたコメントです。
有難うございました。

今朝、名古屋の一家、3人殺人事件を起こした背景に、犬猫ボランティアがあると
知って、色々考えています・・・。


■ Comment

あけましておめでとう!

魂が、事を為すために得たのが身体だからね。
やりたいことがあっても身体が無いため指をくわえて見過ごすしかできなかった魂がツ-ルとして得たのが身体だからね。

健康は大事にしてね!
| 2013/01/14 (Mon) 12:24 | ブライアン

http://ainumosiri.blog65.fc2.com/





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Last updated  2013.01.14 22:11:18



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