カテゴリ:能・狂言
昨日は、第468回大槻能楽堂自主公演能ナイトシアターに行ってまいりました。 能・天鼓は、後漢時代の中国の話をもとに世阿弥元清が創作した曲にて、そのあらすじは次の通り。 後漢の世に、天から降り下った鼓を持つ天鼓という少年がいた。彼が見事に打ち鳴らす鼓の評判を聞きつけた帝はその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒み、鼓を持って山中に逃げるが、探し出されて呂水の江に沈められてしまう。
(難波宮址) 難波宮は、大化改新の後、孝徳天皇が営んだ長柄豊崎宮と聖武天皇の難波宮があるが、その二つが重なって発掘されている。 孝徳天皇が、中大兄皇子と対立し、皇后の間人皇女ほか役人を引き連れ中大兄が明日香に帰ってしまい、一人取り残されることとなり、憤怒と悲嘆の余り病死してしまったのも、この宮であったのですな。彼の死がその息子、有間皇子の悲劇に繋がり、万葉集の名歌も生まれることとなったのではある。 鉗着け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀孝徳天皇4年7月条) この宮跡と大槻能楽堂の間の道を東に行くと、史蹟・越中井がある。昔、ここには細川越中守忠興の屋敷があり、その屋敷の台所の井戸を今に遺すと伝えられ、徳富蘇峰筆の碑が立っている。細川ガラシャ夫人が自らの命を絶った最後の地でもある。これまた悲劇の女性につながる場所でありました。
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私も過去に蝋燭能を見たことがあります。
その時は意味が良く分からず、舞台の美しさだけを 見ていたように思います。 また機会があれば、今度はしっかりと味わいたいですね。 雲間の月は美しいですね 月も能を見たのでしょうね (2009.06.06 21:27:25)
昔、勤務場所が近かったせいもあり、玉造カトリック教会堂の庭に立つ高山右近と細川ガラシャ夫人の像を見たことがありました。
大槻能楽堂のことは知りませんでした。 (2009.06.06 23:57:55)
能は正面の鏡板に描かれた松の絵と橋掛の一の松、二の松、三の松だけが舞台装置ですね。
この鏡板の松は「老松」と呼ばれ、もともとは奈良の春日大社に実在した「影向の松」を模して描かれたのが始まりらしいですよ。 (2009.06.07 00:11:26)
能は田楽、猿楽から発展したものですから、元々が屋外で演じられていたんでしょうね。小生もよくは存じませんので、少し勉強しなくては、と思っていますが、最近は勉強不熱心にて、思うばかりですな。
(2009.06.07 00:26:16)
大槻能楽堂のホームページも追加でリンクしておきます。能についてのQ&Aとか曲目解説とか、結構面白いです。
(2009.06.07 01:09:47) |
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