偐万葉田舎家持歌集

2020/10/28(水)14:00

万葉ウォーク下見・すみのえの霰松原

銀輪万葉(673)

 本日(23日)は、来月15日実施予定の「万葉ウォーク」の下見に行ってまいりました。  コースはJR天王寺駅前集合で、松虫塚・安倍晴明神社・阿倍王子神社・北畠顕家墓・小町塚・播磨塚・万代池・粉浜駅前犬養万葉歌碑・住吉公園の芭蕉句碑・住吉大社・浅沢神社・霰松原公園・南海本線住之江駅前というもので7~8km程のウォーキングとなる。このコースは、以前に自転車散歩しているので(「大阪南部銀輪散歩 2 3 4 」及び「銀輪散歩・住吉公園まで」参照)、道順については確認するまでもないのであるが、今回は、歩いて歩程を確認することと、トイレのある場所を確認すること、それに、歩程の次第により昼食休憩をする場所を決めること、それがミッションである。  とは言え、銀輪家持、歩くだけではつまらないので、自宅から天王寺駅前までと、解散地点の住之江駅から自宅までの帰途は自転車で走るべしで、例によって自宅をMTBで出発しました。 (コリアン・タウン) コリアン・タウンを通り抜けると、左手に御幸森天神宮という神社があった。何やら大勢の人。韓国からの観光客のようだ。ガイドとおぼしき方が難波津の歌の碑の前で説明して居られましたが、ハングルなので理解の外である。 (御幸森天神宮) この神社の祭神は仁徳天皇とのこと。 (同上) 今日は神社のお祭りのよう。山車が本殿の前に出ていました。              (難波津の歌の碑)難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬籠(ふゆごも)り 今は春べと 咲くやこの花 この歌は「古今和歌集」の仮名序に出て来る古歌であるが、そこでは、天皇が最初に作った三十一字の歌(「難波津の歌は、帝の御初め也。」)とされているが、その古注では、仁徳天皇が皇子であった時、菟道稚郎子と譲り合って帝位に即こうとしなかったので、王仁という人がこの歌を作って奉った、とあり、帰化人の王仁の作とされている。(日本書紀では、仁徳天皇が最初に作った三十一字歌というのは、「うま人の立つる言立てうさゆづる絶え間継がむに並べてもがも」である。)  この歌碑は日韓友好が永続するようにと、この地に2009年10月に建立されたもの。江戸時代、対馬藩の通訳であった雲明という人物がこの歌をハングルに翻訳して朝鮮通信使に贈ったという、ハングル訳が併記されている。 (天王寺駅跨線橋から眺めるJR関西線と環状線の線路・電車が走っているのは阪和線) 天王寺駅前到着。ここよりは、本番同様に徒歩で行く。自転車を押しながらテクテクであります。 (阪堺電軌上町線・松虫駅) 松虫塚・晴明神社を経て阿倍王子神社の手前まで来た時、道脇の民家の門の前に「マジンガーZ」が。「ペットボトルでできるよ。」と書いてありましたので、この材料はペットボトルのようです。 (マジンガーZが何故か門の前に) 阿倍王子神社・晴明ヶ丘公園・北畠公園を経て、小町塚・播磨塚へ。 (小町塚・播磨塚) 塚は阿倍野筋から少し東に入った住宅街の中にあり、ちょっと分りにくい。  万代池経由帝塚山四丁目駅の南側で西へ。粉浜駅前の万葉歌碑、住吉公園・住吉大社・浅沢神社経由霰松原公園へ。 (阪堺電軌上町線・帝塚山四丁目駅) (霰松原公園) 万葉ウォークはこの霰松原公園で終り。後は住之江駅まで歩いて解散という予定。ということで、小生も同駅からの帰途はMTBで走ることに。  やっと銀輪散歩になりますが、本日はここまで。帰途の銀輪散歩は明日アップいたします。では、どちら様もご免。<つづき:「住之江駅前から自宅までの銀輪散歩 」>  <追記・注> 縦長写真(「コリアン・タウン」、「御幸森天神宮碑」、「難波津の歌の碑」及び「霰松原公園」の4枚)が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月28日これらを復元修正しました。 ●​過去記事の写真が歪んでいたりすること​ 2020.10.12.

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