2014/03/22(土)15:54
打上川治水緑地公園など
昨日(21日)の銀輪散歩は北方面に向かいました。
朝8時半にMTBで家を出て、旧東高野街道を北へ。途中から国道170号(外環状道路)に出て、JR野崎駅付近で外環状に別れ、JR線(学研都市線)に沿って走り、JR四条畷駅の先で、国道旧170号に入る。旧170号線は東中野交差点で終り。そのまま直進すると府道20号(枚方富田林泉佐野線)となるが、この道を北上。府道20号はJR忍ヶ丘駅前でJR線に沿ってその東側を走る道とJR線を渡ってその西側を走る道とに分かれるが共に府道20号なのでややこしい。東側の道を行く。両20号はJR東寝屋川駅の先で再び合流する。
その合流点の交差点で左折して西行きの道に入り、JR線を渡ると府営寝屋川公園である。ちょっと立ち寄ってみる。結構広い。深北緑地を少し小さくしたような公園である。
(寝屋川公園)
暫し公園内を散策したる後、再び府道20号に戻り、北へ。JR星田駅の手前の大谷橋交差点で左折、府道154号・私市太秦線に入り、これをを西へ。第二京阪道路の下を潜り、寝屋交差点で左折、府道18号(枚方交野寝屋川線)に入る。
(第二京阪道路・府道154号私市太秦線との交差点)
(寝屋交差点) この辺り一帯が、寝屋川、寝屋川市の名の起源をなす寝屋という土地である。何故、「寝屋」というかと言うと、藤原実高という長者の別荘が此の地にあり、東高野街道を行く旅人に無料でこれを宿に提供したからだそうな。そして、この藤原実高は御伽草子「鉢かづき姫」の主人公、初瀬姫の父親でもあるということで、寝屋川と鉢かづき姫とが繋がる。以前、こちら方面を銀輪散歩した際に「鉢かづき姫」の像が道脇にありましたが、その意味がやっと理解できた次第。(参照:「銀輪散歩・JR忍ヶ丘駅の先まで」2010.7.4.)
また、継母にいじめられて家を追い出された姫を助けた公卿、山蔭三位中将というのは、藤原山蔭のことで、彼は京都の吉田神社、茨木市の総持寺を開創した人物。
というような具合に、話が芋づる式に広がって行くのが銀輪散歩というものの楽しさでもあります(笑)。ということで、寝屋ついでにこんな歌も思い出されますかな。夜もすがら ものおもふころは あけやらで
ねやのひまさへ つれなかりけり
(俊恵法師 千載集765 小倉百人一首85) さて、府道18号を南西に進むと左手に打上川治水緑地という公園がある。この公園も以前立ち寄ったことがある。この時はどの道を走っているという意識もなく走っていたので、その後、この公園が何処にあったのか、その位置が曖昧になっていましたが、今回その位置をしっかりと把握できましたので、今後は上の寝屋川公園と併せて、北方面への銀輪散歩の立ち寄り休憩地として利用できそうです。
<参考>「七夕」 2008.7.7.
(打上川治水緑地)(同上)(同上) まだ、紅葉には早いのが大阪周辺の状況ですが、そんな中でいくつかの木が色付き始めていました。
「花は盛りを、月は隈なきを・・」ではありませぬが、「もみぢ」も「盛り」よりは、わずかに色付き始めた様、「もみぢそめける」様こそ趣も深きものにて・・と気取ってもみますかな(笑)。(同上)(同上)もみぢ始(そ)む さまこそよけれ わが苑は
疾(と)くや来ませと 色づくならし (偐家持)(同上) 打上川治水緑地から西へ400m位で国道170号(外環状道路)に出る。これを左折、南へ400m位行くと秦八丁交差点。ここで府道21号(八尾枚方線)に入る。外環を行くと深北緑地を経て花園中央公園であるが、今回は、一つ西側の道を南下することとする。
JR住道駅前に立ち寄り、其処で昼食を済ませてから帰宅することに。住道駅付近で寝屋川と恩智川が合流している。恩智川沿いを上流へ。
加納緑地で携帯に電話着信のあったことに気付く。友人の西◎氏からであった。折り返しの電話をするが、大した用ではありませなんだ。
帰宅すると12時半。住道駅~自宅は自転車で30分程度のよう、案外に近い。約4時間の銀輪散歩でありました。