偐万葉田舎家持歌集

2014/03/22(土)15:45

チサの実のさはにぞなれる

万葉(82)

雨降れば いたもすべなみ ちさの実の             ことなど陳べむ 秋の一日 (偐家持)  台風接近と秋雨前線下、銀輪散歩もお休みでありますので、先日に花園中央公園で見掛けた、エゴノキの実に因んだ記事でも・・という次第。 (エゴノキの実)  エゴノキの花は可憐な花です。万葉集では「ちさ(知佐)」の花として登場している。   花は、2008.5.6.の記事に掲載しています。そこでは、チサの万葉歌全文を掲載していますが、今回は、口語訳も付けて、再掲載して置くこととします。 (同上)  この歌は、天平感宝元年(749年)5月15日に、越中守大伴家持が、遊女の左夫流子に夢中になり妻子を顧みなくなっている部下の書記官である少昨に説教した歌である。真面目な説教と言うより、宴会の場での戯れ歌で、若い少昨が宴会で遊女の左夫流子にモテているのを見て、それを揶揄した歌のような気もするが・・。事実はどうあれ、万葉集に掲載されてしまった少昨こそいい迷惑(笑)。   今なら、名誉棄損、プライバシー侵害、パワハラなどの法的問題も生じかねないかと思われますな。   そういうこととは別に、記載された前文から古代の離婚事由なども覗われて面白い。史生尾張少昨(をくひ)に教へ諭す歌1首併せ短歌七出(しちしゅつ)の例に云はく但し一條を犯せらば、即ち出すべし。七出無くてたやすく棄つる者は、徒(づ)一年半。三不去(ふきょ)に云はく、七出を犯せりとも、棄つるべからず。違ふ者は杖(つゑ)一百。唯(ただ)し、奸(かん)を犯せると悪疾はあるとは棄つること得(う)。<七出の例(コメント欄脚注1参照)に云うには、その一条でも犯したら離別してよい。七出に該当しないのに安易に棄てる者は徒刑1年半である。三不去(同注2参照)に該当する場合は七出を犯した場合でも離別できない。違反した者は杖百の刑である。但し、この場合でも姦通した者と悪疾者は離別してもよい。>両妻の例に云はく、妻ありてまた娶る者は、徒一年。女家(ぢょか)は、杖一百にして離(はな)て。詔書に云はく、義夫節婦を愍(めぐ)み賜ふ。<両妻の例に云うには、妻があるのに娶る者は、徒刑1年。女性は杖百に処して離別せよとのこと。また、詔書に云うには、義夫節婦をいつくしめ、と>謹みて案ふるに、先の件(くだり)の数條は、法(のり)を建つる基(もとゐ)、道を化(をし)ふる源なり。然れば則ち、義夫の道は、情(こころ)、別(べち)無きに存(あ)り、一家財を同じくす。豈(あに)旧きを忘れ新(あらた)しきを愛づる志(こころざし)あらめや。所以に、数行の歌を綴り作(な)して、旧きを棄つる惑ひを悔いしむ。その詞(ことば)に曰く<謹んで思うに、先述の数条は立法の基本となるものであり、道を教える根源である。してみれば義夫たるの道は、情があって、差別しないこと、一家で財産を共有することである。どうして、古い妻を忘れて新しい女性を愛するというようなことがあってよいものか。よって、数行の歌を作って古い妻を捨てるという過ちを悔い改めさせようとするものである。その歌は次の通り。>大己貴(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば尊く 妻子(めこ)見れば 愛(かな)しくめぐし うつせみの 世の理(ことはり)と かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕(あさよひ)に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地(あめつち)の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 放(さか)りゐて 嘆かす妹が いつしかも 使(つかひ)の来(こ)むと 待たすらむ 心不楽(さぶ)しく 南風(みなみ)吹き 雪消(ゆきげ)まさりて 射水川 流る水沫の よるべなみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並びゐ 奈呉の海の 沖を深めて 惑(さど)はせる 君が心の  術(すべ)もすべなさ (万葉集巻18-4106)<オホナムチやスクナヒコナの神がおられた神代の昔から言い継いで来たことは、「父母を見れば尊く、妻や子供を見れば愛しく可愛い。これが世の道理である」。このように言い継いで来たのに、世間の人が口にする決まり文句だが、チサの花の真っ盛りのようにいとしい妻と朝夕、時に微笑み、時に嘆きつつ語らったことは、「いつまでもこんな風に貧しくはあるまい。天地の神様が助けて下さって、春花のように栄える時も来るだろう」ということ。その待っていた盛りの時が今ではないか。遠く離れ居て嘆いておいでの妻は、いつになったら使いが来るのやらと待って居られることだろう。その心を寂しくさせて、南風が吹いて雪解け水が増す射水川に流れる水沫のように寄るベなく、寂しがるそのサブル子に、紐の緒のように親しみ合い、カイツブリのように二人並び居て、奈呉の海の沖のようにも心深く迷ってしまっている貴方の心は、何ともどうしようもないことよ。>反歌3首あをによし 奈良にある妹が 高々に                     待つらむ心 しかにはあらじか  (同4107)<奈良の都に居る妻が、今か今かと貴方を待っているであろう心は、まさにその通りではありませんか。>里人の 見る目はづかし 左夫流子(さぶるこ)に             惑(さど)はす君が 宮出後姿(みやでしりぶり)  (同4108)<里人の見る目も恥ずかしい。左夫流子にうつつを抜かしている貴方の出勤するうしろ姿であることよ。>紅(くれなゐ)は うつろふものぞ 橡(つるばみ)の           なれにし衣に なほしかめやも (同4109)<(紅色は色褪せるもの。クヌギの実(ドングリ)で染めた薄墨色の着なれた衣には及ばぬものです。>右は、五月十五日、守(かみ)大伴宿禰家持作れり  

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