(承前)
曽束大橋を渡って、瀬田川左岸の道を下る。暫く行くとロードバイクの3人組がやって来るのとすれ違う。コチラは石山から宇治であるから、部分的には登りも少しはあるが、全体としては下りにて楽々。逆の宇治からだと登りになってかなりきついことでしょう。などと考えながら、少し坂を上った処に現れたのは「トラトラの道」。阪神タイガースのことが思い出されましたが、ゲゲゲの鬼太郎のチャンチャンコを思い出された方もあるようなので、「ゲゲゲの道」と呼んでもいい。
未だ塗布されたばかりで、鮮やかな黄色が目を射るのでありました。
(トラトラの道)
(同上)
(これより京都府)
滋賀県とお別れ、京都府に入りました。
京都府に入ると瀬田川は宇治川と名を改めるのかと思っていましたが、実際はそうではなく、もう少し下流で宇治川になるようです。
喜撰山大橋が見えて来ました。喜撰山というのは百人一首の歌で有名な喜撰法師に因んだ名前ですな。
(喜撰山大橋)
橋を渡った向かいの山が喜撰山なのか、更に奥の山がそれなのかは知らないが、喜撰法師が住んだという洞窟が今も残っているとか。
(同上)
喜撰山には、関西電力の喜撰山揚水発電所なるものがあるようで、その管理のためか、ご覧のようにシャットアウトで、橋にも立ち入れない。チョウザメではなく興醒めですな。
世を憂し山と言うもしか(然か・鹿)なりてこそやあらめ、である。
わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人は言ふなり
(喜撰法師 古今集983 小倉百人一首8)
(まだ、瀬田川です、多分。)
川が結構蛇行しているので、所々で、このような川の景色が望まれるのもいい。
次に出会った橋は大峰橋。これは、対岸へ渡れそうだが、見たところ、対岸の道は途中で立ち消えのよう。よって、左岸を行く。
(大峰橋)
(同上)
大峰橋から暫く行くと宵待橋という粋な名の橋を渡ることになる。この橋は瀬田川に架かっているものではなく、瀬田川に注ぎ込んでいる田原川という支流に架かっている橋である。
橋を渡ると突き当り。右が瀬田川沿いに宇治に下る道。左に行くと枚方のようだが、小生の頭の中ではうまく道筋が浮かんで来ない。しかし、枚方に向かうのではないから、深くは考えない。右に行く。
(宵待橋の上から。突き当り右・宇治、左・枚方)
さて、ここで、これは小生の憶測も入れてのものであるが、この田原川と合流した辺りから下流を宇治川と呼ぶのではないかと考えるのだが・・どんなものでしょうか。
まあ、喜撰山大橋から下流を宇治川としても良いが、最近に出来た人工の橋で古代からの名の区分をするというのは説得力がない。やはり何らかの自然の地形のような目印が必要。
となると、田原川との合流点は恰好の目印である。ということで、小生は、ここより下流を宇治川と決めました。
(注)上はヤカモチの独自の見解。喜撰山大橋の橋柱には宇治川と刻されていますから、喜撰山大橋の処で名が変るのが現在の区分のようです。しかし、両川の名は万葉の昔からあるものですから、近代に築造された橋でこれを区分するのは些か乱暴ではあります。
(瀬田川が宇治川と名を変える場所)
右から流れ込んでいるのが田原川、中央奥が瀬田川の上流。そして画面下部から左手前に掛けての水域から宇治川になる。
(これより宇治市)
宇治川と名が変るのに合せるかのように、直ぐに宇治市へと入る。
やがて、天ヶ瀬ダムが見えて来る。しかし、ダムは上流から見るものではない。
(天ヶ瀬ダム)
休憩を兼ねて、ダムを見学させて戴く。
自転車を担いでは入場出来ないのか、守衛所の前に自転車を停めて行けと言われる。まあ、担いで入ってはいけないというルールはないのかも知れないが、そんな変な奴が居るなどとは夢にも思わない健康な精神をお持ちの係員の方が親切に駐輪場所をご指定下さったのだから、従わない訳には参りませぬ。
ダムの向こう側の高みは公園になっているようだが、抜け道と繋がっているのかどうか。何れにせよ、自転車を置いて来た以上は、その選択肢はなし、戻ることとする。
(同上・南<手前>側から)
(同上・北<奥>側から)
(天ヶ瀬発電所)
(同上)
さて、ダムの前から脇道に入って、宇治市街へと一気に下り降りるのであるが、本日はここまでとします。(つづく)