カテゴリ:銀輪万葉
(承前) 昨日の日記記事の続編です。 大伴の 高師の浜の 松が根を 枕き寝れど 家し偲はゆ 浜寺公園には立ち寄らないが、大鳥大社には立ち寄る心算でいました。次の浜寺南町3丁交差点を右(東方向)に入ること500m位で、その大鳥大社の鳥居前に到る。 鳥居脇の玉垣にMTBを繋ぎ留めて、徒歩で境内へと進む。 大鳥大社の、もう一つの主祭神は大鳥連祖神(おおとりのむらじのおやがみ)である。大鳥連の祖はアメノコヤネノミコト(天児屋根命)であるから、大鳥連祖神とはアメノコヤネのことである。アメノコヤネは枚岡神社の神であるから、まあ、枚岡から遠路やって来たヤカモチとしてはご挨拶は欠かせないというもの。 和泉国の一之宮だけあって、立派な佇まいの神社である。 本殿の造りは大鳥造りという独自のもので出雲の大社造りと住吉造りの中間形態だそうだが、神社の建物形態についてはよくは存じ上げないので、そうですか、と言うほかはない。枚岡神社などの春日造りとは異なる造りである。 こちらの摂社・大鳥美波比神社ではアマテラスを祀っている。 そして、ここにも与謝野晶子の歌碑がありました。 和泉なる わがうぶすなの 大鳥の 宮居の杉の 青き一むら (与謝野晶子) 大鳥神社を出たのは午後3時少し前。石津川を渡り、中央環状線と連絡の堺区安井町交差点に出る。これを左に取って西に向かえば宿院駅、与謝野晶子生家跡の近くであるが、これを訪ねるのは次の機会とし、右折して東へと帰る。ここからは仁徳天皇陵北側の向陵西町交差点までは上り坂である。往路で下り坂で楽した分、復路ではそれを返さねばならない。銀輪散歩は常にプラスマイナスゼロ、イーブンなのである。 仁徳天皇陵は広大、巨大過ぎて上空などから撮影しない限り、その全貌は写せない。従って、どちらに回ってもこの程度の写真しか撮れないので、パスすることとしました。此処も以前に友人の偐山頭火氏と銀輪散歩に来ているが、それは2007年2月11日のことで、この折であったかMTBに距離計を付けている同氏より、今日の走行距離は100kmを超えている、と言われたことを記憶している。記憶違いで別の折であったかも知れないが、かつては同氏とそのようなロングライドをよくしたのでもありました。 おほさざき ますみささぎの いづへにか 恋のなみだの あとやとどめむ 仁徳天皇の皇后、磐之媛のことを思っての歌が1首目。2首目は、御陵の近くの食堂で昼食に「もず野定食」というのを食べたことを詠んだもの。 その後は、もうひたすら走るのみでありました。 以上で、池上曽根遺跡への往復銀輪散歩の記事完結であります。最後までお付き合いありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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このひんばんは(^^♪
古代には、神々の世界と現実の人々の世界が 混在 一緒だったのですね。 昨日の私のブログの清荒神清澄寺に富岡鉄斎美術館があります。富岡鉄斎は膨大な数の作品を遺され、書画共に とても力強いです。 この碑も 自由奔放に見えますね。 以外な場所で 筆跡を辿られましたね。 以前 ヤカモチさんから 聞いた気がしますが、何故 仁徳天皇と磐之媛の御陵が 遠く離れているのでしょうか? 往路、復路 お疲れ様でした。 (2017.03.24 20:41:23)
>古代には、神々の世界と現実の人々の世界が混在一緒
だったのですね。 まあ、万物に神が宿る世界であり、人間も死ぬと神になるという世界ですから、神と人との距離は近いものであったのでしょうね。 >昨日の私のブログの清荒神清澄寺に富岡鉄斎美術館が あります。 はい、清荒神にも銀輪散歩で訪ねたことがありますから存じ上げています。入館はしていませんが。 >何故 仁徳天皇と磐之媛の御陵が遠く離れているので しょうか? 先ず、宮内庁が磐之媛陵とし、仁徳天皇陵としているものが実際にそうであるかは、分からないということは前提条件に置いておかなければなりませんが、先ず、日本書紀には皇后は平城山に葬ったという記述があり、仁徳天皇は百舌鳥野陵に葬ったとあります。 皇后が熊野へ出掛けている間に、仁徳さんが八田皇女を宮中に引き入れていた、つまり浮気ですな。これで怒り心頭に来た皇后は、そのまま淀川を遡り、平城山の向こうの筒城に宮を構えて別居してしまい、仁徳の謝罪や迎えを拒絶、そのままそこで亡くなります。まあ、そんな夫婦間の事情もあって、お墓が遠く離れているということでしょうか。 (2017.03.24 21:06:51)
一期二会の出会いも銀輪の旅の思い出ですね!
またばったり会ったらビックリですね(笑) 今年は酉年なので、初詣に大鳥大社に行こうか迷っていました。名前だけで神様までは知らなかったんですが、枚岡神社の神様の先祖とヤマトタケルの命だったんですね!機会があれば、行ってみたいと思いました✨✨結局今年の初詣は住吉大社に行ったので(^^) 北緯34度32分のお話不思議です。 しかも、淡路島に伊勢の森があるんですね! 不思議だけど面白いです✨ (2017.03.25 10:41:41)
>一期二会の出会いも銀輪の旅の思い出ですね!
>またばったり会ったらビックリですね(笑) 堺くんだりまで出掛けることは、そう度々はありませんから、またお会いするというようなことは無いでしょうが、もしあったら一期三会、更にビックリです。 >今年は酉年なので、初詣に大鳥大社に行こうか迷って いました。 なるほど、そういう基準で初詣の神社を選択するという視点もありましたか。しかし、結局、和泉国一宮の大鳥大社ではなく摂津国一宮の住吉大社にされましたか。河内国一宮の枚岡神社もお忘れなく。 >名前だけで神様までは知らなかったんですが・・ 鳳には、叔母が居るので若い頃は何度か訪ね、その折に大鳥大社にも立ち寄ったことがあるので、日本武尊(倭建命)が祭神であることは承知していましたが、天児屋根命も主祭神であることは今回まで知らなかったので、言わば「発見」でした。 >北緯34度32分のお話不思議です。 >しかも、淡路島に伊勢の森があるんですね! のようですね。この本が出た頃にNHKでこの太陽の道をテーマにしたドキュメンタリー番組があって興味深く見ましたが、随分、昔のことで記憶が曖昧です。こういう線を引いてそこに何らかの意味を読み取るということが、以来流行っているようで、そういう論説もよく目にしますが、眉唾、牽強付会の類も多いので注意が必要ですかね。 淡路島も銀輪で一周したことがあり、北淡のこの辺りも走りましたが、伊勢の森は知らぬままです。しかし、伊勢斎宮跡と淡路島の伊勢の森が桜井市の箸墓を真ん中にして東西ほぼ似た距離でこの北緯34度32分のほぼ線上に位置するというのは面白いですね。イセ(伊勢)はイソ(磯)と同根の言葉であり、セ(瀬、背)から来ていて、大和から見て辺境の地という意味を持つ、などと言われると、なるほどと納得されたりもするのではあります。 (2017.03.25 18:07:19)
社寺建築は多岐にわたりますので、覚えきれないですね、
大きく大別すれば平入と妻入に分かれますが、 大社造も住吉造も大鳥造も妻入の一形式ですから。 妻入か平入かは見ればわかりますがそこから先は見てもわからないでしょうね、 「こうです」と言といわれたら「ああそうですか」と答えるしかありませんね。 (2017.03.26 09:43:27)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
>社寺建築は多岐にわたりますので、覚えきれないですね、 覚える気になれば覚えられるのかも知れませんが、関心・興味の度合いで、覚えようという動機付けが左右されますから、そういう動機付けの低い段階の小生などには、とても覚えられる代物ではありませんですね。 >大きく大別すれば平入と妻入に分かれますが・・「こう です」と言といわれたら「ああそうですか」と答えるし かありませんね。 仰る通りです。そして「ああそうですか」と答えた後、すぐにそれも忘れてしまう(笑)。利害や興味や何らかの意味が自身にとってあるもの以外は、スルーされて行く、というのが海馬の働きのようです。因みに、我が家は寄棟造の平入形式ですな(笑)。 (2017.03.26 10:11:07)
去年、兼六園の日本武尊像を撮った写真と見比べますと、兼六園のは穏やか、こちらの方が厳しい顔でした。
(2017.03.26 12:23:55)
>去年、兼六園の日本武尊像を撮った写真と見比べます
と、兼六園のは穏やか、こちらの方が厳しい顔でした。 そうですか。兼六園のそれのような大きな像ではありませんが、こちらの像の方が厳しいご面相でありましたか。写真は角度や光線の加減で色々に印象が違ったものに変化しますから、一概には言えぬことかも知れませんが、そういう比較も面白いことですね。 (2017.03.26 18:53:29) |
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