本日は朝から雨。梅雨入り宣言があってから初めてというか久々の雨である。こういう日は銀輪はお休みである。旅先の場合はこのような日も雨具を着用して走るのであるが、これまでそういう目にあったのは、新発田市の加治川沿いの道とか富士市から富士宮市への道など数えるほどしかない。
それはさて置き、このような日でもよくしたもので、友人の岬麻呂氏より旅便りが届くなど、ブログ記事のネタには困らないのである(笑)。
同氏の旅は、「岬巡り」というその名が示すように、日本各地の岬・灯台を巡るというのが、その本来のコンセプト。ということで、今回はその本来の旅の目的を示すためとてか、4灯台の写真を特別に送って来られましたので、先ずはそれらの写真から紹介申し上げます。
(釧路埼灯台)
「埼」と「崎」の二通りの表現があるが、これについて調てみると、「埼」は海洋部に土地が突出した地形を表現するのに対して、「崎」は山の先端部が平地に突出している地形を表現しているのだそうな。
旧海軍時代から海図などでは「埼」が使用され、海上保安庁もその伝統に従って、「埼」を使用しているとのこと。これに対して、旧陸軍陸地測量部では「崎」を使用していて、その後身である国土地理院は「崎」を使用しているとのこと。
本来の地形から言えば「埼」が正しい使い方なのかも知れないが、その突出部の前に平地があってその先が海面であるなら、山塊部が「崎」で、平地部分が「埼」ということになるところ、灯台がその山塊部の上に設置されていれば、そこは「崎」を使用する方が正しいとも言える。まあ、こんな議論をしてもそのサキは不毛であるからどちらでもよいのだが、海図と地図で表示が異なるのは如何なものかと考える人もあるようですな。
小生などは海上から見たら「埼」で、陸地から見たら「崎」でいいのでは、なんぞと鼻にも掛けないのであるが、岬でも「サキ」ではなく「鼻」と名のつくものもありますね。出張っているから「鼻」。これは分かり易い。埼・崎双方にも当てはまるから、全て「鼻」にしたらどうかと提案したが、「鼻につく」とかいう理由にもならぬ理由で「ハナ」から相手にされませんでした(笑)。こういうのを「出鼻をくじかれる」と言うのですな。
(納沙布岬灯台)
(花咲灯台)
灯台は日本全国で3000以上もあるそうです。
港の入口部分などにある誘導灯のようなものも灯台の範疇に入れると5000以上とか。因みに、この港口部の灯台は、右側に設置するものは赤色、左側に設置するものは白色と決められているそうです。
なお、赤白の縞模様の灯台は、1957年(昭和32年)に石狩灯台が映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケで使用される際に、それまでの白一色から赤白に塗り替えられたのが最初で、これを契機にして全国各地の灯台にこれが広まったらしいです。
<参考>石狩灯台・石狩の紅白
(羅臼灯台)
さて、旅の次第は、恒例により、ご本人による下掲の「旅・岬巡り報告205」をご参照戴くこととします。
(旅・岬巡り報告205)
6月13日から16日までの3泊4日のご友人との道東二人旅であったようです。
(釧路港)
霧の釧路港。いいですね。初日は幣舞橋のたもとのホテルに宿泊、「夜霧の街に出て海鮮と地酒楽しむ」と書かれています。
(幣舞橋)
写真の「釧路の夜」とあるのは美川憲一の歌碑だそうですが、どんな歌であったか記憶がない。
(風連湖と丹頂鶴)
2日目の14日は天気が好いので釧路湿原の丹頂鶴の予定を変更し、根室・納沙布岬へと向かわれましたが、途中、風連湖で丹頂鶴をご覧になられたようです。
(納沙布岬)
(花咲車石)
花咲灯台の下の崖。柱状節理の球状形態でめずらしいものだそうな。
そして、日本最東端の駅、東根室駅。
(東根室駅)
(瀬石温泉)
知床半島南東側の海岸に湧出している温泉に、相泊温泉と瀬石温泉がある。地元民は勿論、旅人も自由に入浴できるそうな。生憎の干潮時にて湯温が高くなり過ぎていて入れなかったとのことです。海水で薄めるためのバケツなどは積んでいなかったということですな。
ブロ友のふぁみり~キャンパーさんや偐山頭火さんなら何とかしてでも入ろうとなさるかも知れませんが、ヤカモチは元よりその気がないから、パスが当然です(笑)。
3日目、15日は知床半島のドライブ。
(知床五湖)
知床岬へのクルージングは予約を取り消して、オシンコシンの滝、以久科原生花園、浜小清水駅から緑駅経由して「神の子池」、裏摩周展望台、養老牛温泉を経て阿寒湖温泉泊。 お疲れ様でした。
(神の子池)
最終日16日は、阿寒湖遊覧船(マリモ展示観察センター)、オンネトー、足寄動物化石博物館、幸福の黄色いハンカチ想い出広場、新千歳空港。
(幸せの黄色いハンカチ想い出広場)
全行程1277kmの超ロングドライブの旅でありました。
<参考>過去の岬麻呂旅便りの記事はコチラからどうぞ。