カテゴリ:近隣散歩
当ブログの記事索引用に開設していたヤフー版偐万葉田舎家持歌集の全記事をアメブロ版偐万葉田舎家持歌集という新しいブログに移転したことは、前ページで述べましたが、それに伴う、不具合の解消に時間を取られています。
不具合の一つはリンクの問題。 例えば、 過去の智麻呂絵画展はコチラ、とか 過去の偐万葉〇〇篇はコチラ、などがそれですが、 これらは、旧ヤフー版偐万葉田舎家持歌集の特定の記事とリンクしていますが、アメブロに移転した以降は、アメブロ版偐万葉田舎家持歌集のトップページに自動転送されてしまい、リンクを意図した旧ヤフー版特定記事に対応するアメブロ版記事にはつながりません。よって、当該アメブロ版記事にリンクを個々に貼り替える必要があるという次第。 智麻呂絵画展シリーズ記事では、第60回展から直近の第210回展までの151記事に、そのようなリンクが存在しています。 片手間、手すきの折に、その修正作業を行っていますが、本日現在で漸く智麻呂絵画展関係の記事について、その修正を完了させました。 偐万葉シリーズ記事や銀輪万葉記事、岬麻呂旅便り記事などにも同様のリンクが多数あります。 また、アメブロ版記事の方にも同様のリンクが少数ながら存在して居り、これらの修正も必要になっています。 アメーバブログの記事当りの文字数制限は4万字ですが、旧ヤフー版からの記事移転に伴うシステム上の理由によるか何かでHTM文字数が増加したと見えて、移転した段階で、既にこの字数制限を超えてしまっている記事がいくつかあるようです。このように字数制限を超えている記事に修正すべきリンクが貼り付けられている場合は、そのままでは貼り直しができないようです。記事を字数制限内に収まるように分割記事に再編した上で修正するという手間が必要なようです。 極めて退屈な単純繰り返し作業となる、貼り付け直し作業ですから、そう長い時間はやれません。できれば一日に少しだけはやる、というのがいいところかと。すべてを完了するには年内一杯はかかる気がします。 ※わがブロ友でヤフーブログなのは、オガクニマン氏と偐山頭火氏である。オ氏はアメブロにお引越し。偐山頭火氏は未だお引越しされていない。 両氏のブログ記事を引用リンクしているページもリンクの修正が必要となります。皆さんに於かれても、そのようなブロ友さんが居られて、その記事を引用・リンクしている記事を書いて居られる場合は、同じ問題が生じますので、ご注意下さい。 そんなことで、ブログの更新が滞っていました。 余り、日をあけるのもどうかと思い、更新することとします。 と言っても、何と言って新しいネタもありませんので、少し古くなりますが、今年の3月に友人からの要請で市民集会の裏方応援で豊中市まで出掛けた折に目にした石碑をとり上げることとします。 <参考>カジノはあかん!という市民集会に 2019.3.23. (三義塚と魯迅詩碑) この碑は、阪急宝塚線・曽根駅下車、アクア文化センターに行く途中で目にしたものである。アクア文化センターの手前にある豊中市立中央公民館の北側、道路沿いにある(末尾地図参照)。 三義塚や西村真琴のことも、魯迅の詩碑のことも、これにまつわるエピソードも存じ上げなかったヤカモチにとっては、??であったが、副碑や中央公民館1階の西村真琴に関する資料展示などを見て、その概略を初めて知ったのでありました。 (魯迅詩碑・三義塔に題す) ※西村真琴・Wikipedia ※魯迅・Wikipedia (副碑・三義塚の由来) (三義塔に題す) (意味) “戦争の砲弾や爆撃で街を荒廃させ人々が殺されている、飢えた一羽の鳩が西村博士の大慈悲の心に救われて戦火から逃れ得たが、イタチに殺され三義塚を残した。戦争に対する恨みは深いが西村真琴の思想心情は生き返り、日中間に隔たる困難を乗り越える闘志となって共に流れに抵抗し苦難を乗り越えれば我々は兄弟である、相逢うて一笑すれば憎しみは消える" (豊中市日中友好協会ホームページより) ところで、西村真琴のことは知らなくても、TVドラマで水戸黄門役を長らくやっていた俳優・西村晃のことはご存じのお方も多いことでしょう。彼は西村真琴の次男だそうな。 ということで、タイトルを「水戸黄門の父親と魯迅」とした次第。 (三義塚位置図●) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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