カテゴリ:近隣散歩
最近恒例の地元神社三社(枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社)めぐりであります。
いつの頃からこのような形になっているのかと、ブログを遡って調べてみると、2010年からかも知れないことが判明。もっとも、2010年のそれは、枚岡神社と石切神社のみで瓢箪山稲荷神社は割愛したようなので、三社ではなくニ社という形になっているが・・。ということで、この形はどうやら10年位前からの習慣のようです。 若い頃、子ども達がまだ小さかった頃は、紅白歌合戦が終わった頃から、暗い中を懐中電灯を携えて、生駒山に登り、山上で初日の出を拝してから下山して・・というようなことが大晦日・元旦にかけての我が家の習慣であったが、今はそのような元気もなく、家でゴロゴロの年越しとなっている。 さて、今年の三社めぐりも、先ずは枚岡神社から。 (枚岡神社) 枚岡神社は河内国一之宮。天児屋根命と比売大神並びに春日大社から勧請したタケミカヅチとフツヌシを祀る神社である。藤原氏系の神社。 (同上)<参考>枚岡神社由緒 神社の裏から枚岡公園へのハイキング道を行く。 途中に、姥ヶ池という小さな池がある。 (姥ヶ池) 姥ヶ池の伝説については下記の記事に記載されていますので、これをご参照下さい。 <参考>墓参と桜散歩 2011.4.2. 更に坂道を上り、椋ヶ根橋を渡って枚岡公園へと入る。 (枚岡公園南入口) この辺りまで来ると、かなりの高みとなるので、眺望はいい。 日差しは暖かく、小春日和。 吹き来る風も心地よい。 公園を南から北へと通り抜けたところにあるのが重願寺。 (重願寺) 重願寺の門前を通り過ぎて、突き当りを右折、少し坂道を上って、左折して一つ北側の坂道を、今度は下る。 閑静な住宅街を抜けて近鉄線に沿った道まで下り、これを北へと行く。 撮り鉄、と言うのだろうか、3人の男性が線路脇の道端に三脚を据えてカメラを構えて居られる。ゆるやかにカーブしている線路であるのでカメラアングルとしては恰好の位置取りなのが素人目にもわかる。 当方には、そういう趣味はないので横目に通り過ぎるだけ。 やがて、「ようこそ石切さんへ」というアーチ看板に迎えられて石切神社への参道に入る。かなりの急坂を、他の参拝客ののろのろ歩きに合わせながら下って行く。 先ず、石切大仏。 (石切大仏) 地元では「日本三大仏」などと言っているが、本気でそう思っている人は余り居ないかと思う。大阪人のギャグみたいなものとして「三大仏」をとらえているというのが実際のところではないかと。 更に、坂を下る。いよいよ人で混みあって来る。 そして、ようやく本殿の正面に出る。 本殿前は、参拝客が列をなして並んでいる。南側にある絵馬殿からずっと列が続いていて、この参道がその列を東西に横切ることとなるため、整理員が何人か立ち、本殿への列の最後尾と絵馬殿からの人の最前列をこの道の両側でストップさせて、東西の人の通行を確保するとともに、この参道から直接、本殿に向かう人がないように監視している。これでは、最後列から本殿に到達するのに1時間以上はかかりそうである。 当方は、本殿を横目に境内を通り抜けるだけである。 (石切神社)<参考>石切劔箭神社 石切神社の正式名称は石切劔箭神社。 物部氏の祖、ニギハヤヒとウマシマデを祀っている。 ニギハヤヒ、ウマシマデと神武天皇東征との関連神話は下記の「神話」をご参照下さい。 <参考>石切神社・ご由緒・ご祭神・神話 絵馬殿の左右には2体の像があるが、多分、ニギハヤヒとウマシマデの神像ではないかと思う。 向かって、左にあるのがこの像。 ニギハヤヒではないかと思う。 (饒速日<ニギハヤヒ>の像か) 向かって右にあるのがこの像。 ウマシマデかと思う。 根拠はヒゲのある方が父親のニギハヤヒ、無い方が息子のウマシマデと考えたという何とも単純な発想であります(笑)。 (可美真手<ウマシマデ>か) 石切神社から東高野街道に出て、これを南へ。 瓢箪山の商店街を通り抜けて、最後の瓢箪山稲荷神社へ。 (瓢箪山稲荷神社) (同上・説明碑) 以上で三社めぐりは終了です。 毎度、変り映えのせぬ年明けでありました。 これを地図上で示せば以下の通り。 (三社位置図と歩きコース) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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