2020/02/21(金)18:02
梅花の歌32首の序文
「雪の万葉歌」短歌111首を書き出すということをしていて、気付いたことがあります。
今月2日の若草読書会で、梅花の歌32首とその序文を話題ににしたことは、既述の通りであるが、この宴が行われたのは天平2年正月13日(730年2月4日)のことである。
天平に改元されたのは、神亀6年(729年)8月5日のことであるから、天平2年の正月というのは、天平に改元されて初めての正月であったのだということでした。
令和に改元されて初めての正月が今年の正月であったのだから、令和2年の正月と天平2年の正月は、その点でも共通しているということ。
まあ、改元が年の途中で行われると、その元号の下での最初の正月が新元号2年のこととなるのは当たり前のことであるから、これに気付かなかったというのは不正確で、そのことに思いが至らなかった、と言うべきか。笑止のことであります。
時すでに梅の花も多くは散り出しているが、今頃になってこんなことを言い出しているのは間の抜けたことである。しかし、間抜けついでに、遅まきながら、梅花の歌32首の序文を、ブログに書きとどめ、今後の資料とでもして置くか。
<梅花の歌32首の序文(万葉集第8巻)>
天平二年正月十三日、帥老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まり、宴会(えんかい)を申(の)ぶ。時(とき)に初春(しょしゅん)の令月(げつ)、気(き)淑(うるは)しく風和(やは)らぐ。梅は鏡前の粉に披(ひら)き、蘭は佩後(はいご)の香(かをり)に薫(かを)る。加以(しかのみならず)、曙の嶺に雲移りて、松は蘿(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結びて、鳥は縠(こめのきぬ)に封(とざ)されて林に迷ふ。庭に新蝶(しんてふ)舞ひ、空に故雁(こがん)歸る。ここに於て、天を蓋(きぬがさ)にし、地を座(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外(ほか)に開く。淡(たん)然(ぜん)として自(みづか)ら放(ほしいまま)にし、快然(くわいぜん)として自ら足る。若し(もし)翰(かん)苑(ゑん)に非ざれば、何を以(もち)てか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古今それ何ぞ異ならむ。宜しく園梅(ゑんばい)を賦して、聊(いささ)かに短詠を成すべし。
(天平2年<730年>正月13日、帥老の宅に集まって宴会を開く。あたかも初春のよき月、気はうららかににして風は穏やかだ。梅は鏡台の前の白粉のような色に花開き、蘭は腰につける匂い袋のあとに漂う香に薫っている。しかも、朝の嶺には雲が移り行き、松は雲の薄絹を掛けたように傘を傾け、夕べの山洞<又は「山の峰」か>には霧が立ち込め、鳥は霧の縮緬に閉ざされたように林に迷い飛ぶ。庭にはこの春に現れた蝶が舞い、空には去年の秋に来た雁が北へ帰って行く。さてそこで、天空を覆いとし、大地を敷物としてくつろぎ、膝を寄せ合っては酒盃を飛ばす如くに応酬する。一堂に会しては言葉を忘れ、美しい景色に向かっては心を解き放つ。さっぱりとして心に憚ることなく、快くして満ち足りている。詩歌によるのでなければ、この思いを語ることはできない。詩に落梅の篇を作る。昔も今もどんな違いがあろう。さあ、園梅を詠んで、ここに短歌を試みに作ってみようではないか。)
※蘭=フジバカマのこと。葉に芳香がある。
佩=中国の君子たちが印章や香袋を懸けるためのベルトのこと。
翰苑=「筆の苑」。ここでは詩歌のことをさす。
詩に落梅の・・=六朝時代の古楽府に「梅花落」を題とする諸作のあることを言っている。
(坂本八幡宮 帥老・大伴旅人の邸宅があった辺りとされる。再掲載)
<参考>太宰府銀輪散歩(4)・大野山霧立ちわたる 2015.1.17.