カテゴリ:友人ほか
しばらくブログを休んでいましたが、再開です。
先週の木曜日、14日に友人の蝶麻呂氏から電話があり、京都一周トレイルの深草コースを歩いてみようと思うが、一緒にどうかというお誘い。 緊急事態宣言下ということで外出を控え気味にしていたヤカモチでありましたが、このようなお誘いには無抵抗、二つ返事のOKを即座に出しているのでありました(笑)。 その場で実施日を18日(月曜日)と決めたものの、待ち合わせ場所・時刻については追って連絡の筈が、連絡ないままに17日(日)を迎えたので、こちらから催促して、18日・桃山御陵前駅9時41分集合と決まった次第。ということで、昨日テクテク歩きをしてまいりましたので、そのご報告であります。 コースは、桃山御陵前駅→御香宮神社→乃木神社→明治天皇・昭憲皇后陵→伏見桃山城・伏見北堀公園→大岩山展望所→大岩神社→仁明天皇陵→嘉祥寺・深草北陵(十二帝陵)→伏見稲荷大社・JR稲荷駅、というもの。 ![]() (近鉄・桃山御陵前駅) 路線検索で調べると、桃山御陵前駅9時37分着の電車を利用するには、枚岡駅8時37分発に乗車する必要があることが分かったので、そのつもりでいたが、実際に乗車したのは8時26分発の一つ早い電車。 従って、桃山御陵前駅到着は予定よりも14分早い9時23分。 蝶麻呂氏の到着予定は9時41分なので、18分の待ち時間となる。 駅前の開店準備中の店が並ぶ路地などをぶらぶら。 ![]() (桃山御陵前駅の駅前の路地 奥正面が駅です。) 蝶麻呂氏の到着を待つ間に、コース地図を紹介して置きましょう。 ![]() (コース地図・その1 仁明天皇陵まで) ※ー線 当初ヤカモチが想定していたコース ー線 実際に歩いたコース 今回のコースで、ヤカモチが未訪問なのは、大岩山展望所と大岩神社のみで、その他は何度か訪れている場所ばかりであるが、蝶麻呂氏は何れも初訪問であるらしい。 その蝶麻呂氏の案内での道行きという心許ない歩きであったが、途中で少し道に迷ってまごつくこともあったものの、概ね順調にコースを辿ることができたのは幸いでした。 定刻に蝶麻呂氏到着。 大手通りを東へ。先ず、御香宮神社。 神社の表門の手前にこんな碑がありました。 ![]() (「黒田節」誕生の地碑) 呑み取りの 槍は惜しめど 返らざる 後の祭りの 酔ひし勢ひ (偐正則) この後、伏見北堀公園を抜けて住宅地に突き当たった処で、黒田長政下屋敷跡らしき場所に出くわすので、ここでこの碑に目が向いたのは、その予兆であったと言うべきか。 ![]() (御香宮神社・表門) 神社の門らしからぬ姿。 伏見城の大手門が移築されたものだそうだが、いかにも城門の雰囲気である。 <参考>御香宮神社 御香宮神社は当ブログでも何度かとり上げていますので、それらもご参照下さい。 <参考> 伏見散策(乃木神社、大光明寺陵、御香宮神社) 2012.9.21. 伏見散策(御香宮神社、伏見奉行所、宇治川) 2012.9.22. 夕々の会・伏見散策 2015.11.27. ![]() (同上・本殿) 次は乃木神社。 これも、下記<参考>の過去記事を併せご参照下さい。 <参考> 伏見散策(明治天皇・皇后陵、乃木神社) 2012.9.20. 伏見散策(乃木神社、大光明寺陵、御香宮神社) 2012.9.21. ![]() (乃木神社・本殿) 乃木神社は、乃木希典を神として祀っているのであるが、そういう側面よりも、学習院の院長時代の胸像や子どもの頃の長州でのわび住まいを再現した旧乃木邸や、乃木希典の生涯を絵解きした何とかという展示館などが境内にあって、人間としての乃木希典を偲ぶという色彩が強く、言わば乃木希典記念館という感じの神社である。 ![]() (同上・乃木希典胸像) ![]() (長府乃木邸) ![]() (同上) ![]() (同上・説明碑) わが蝶麻呂氏は、神社のお札を収集し始めたのか、先の御香宮神社でもこちらの乃木神社でも、お札を頂戴して居られました。 そういう信仰も趣味もないヤカモチには「御札御朱印吾事ニ非ズ」で何の関心もないのであるが、お札の値段は300円だとか。 京都一周トレイル深草コースでは、乃木神社の後、桓武天皇陵・伏見桃山城方向へと道を北上するのであるが、乃木神社の次は明治天皇陵だろうと、桃山御陵へと向かう。 まあ、ヤカモチとしては、桃山御陵初訪問の蝶麻呂氏なれば、是非にもあの長大な階段を上って戴きたいという親切心であります(笑)。 ![]() (明治天皇桃山陵の正面階段) これがその階段。 まあ、見ただけでもう上る気が失せるというものであるが、今回は上らなければ、先へとつながらないのである。 息を切らせながら上ると、目の前に明治天皇陵である。 ![]() (明治天皇陵) 東側の少し低い地に昭憲皇后陵があるので、そちらにもご挨拶申し上げてから、先へと進むことにする。 ![]() (昭憲皇后陵)<参考>昭憲皇太后・Wikipedia 皇后陵から天皇陵へと戻り、次の伏見桃山城のある公園へと向かう。だらだらの下り坂になっている参道を下って行くと、桓武天皇参道という石標のある道に出る。乃木神社から真っ直ぐに北上する京都一周トレイル深草コースに戻ったことになる。 この道に入る。先を歩いて居られた一人歩きの女性がクスノキの巨木に近づくと、これに抱きつくようにして顔を幹に寄せられました。「大きな木ですね。」と声をお掛けすると、散歩でよく出会うお方がよくされるので、それを真似てみました、というお答え。 伏見桃山城への道に出る。京都一周トレイル深草コースはここで右折し、お城のある公園を通り抜けるようである。 右折せず、直進すると桓武天皇陵であるが、公園へと向かう。 後で聞くと、蝶麻呂氏は桓武天皇陵も未踏であったらしく、立ち寄ってみたかったと仰っていましたが、後の祭り。桓武天皇陵は下記<参考>の過去記事でご覧戴くこととしましょう。 <参考> 深草北陵銀輪散歩 2018.7.23. 京都南部銀輪散歩・白河・桓武天皇陵から大枝神社まで 2012.3.24. 伏見散策(桓武天皇陵・伏見桃山城) 2012.9.19. 公園に入り、伏見桃山城を眺めつつ行く。 伏見桃山城も眺めるだけでパス。 ![]() (伏見桃山城) このお城は、秀吉が建てた伏見城とは無関係。歴史的建造物とは関係のない「城型建物」に過ぎないということの所為か、カメラを向ける意欲がイマイチ湧かないこともあって、もっといいアングルがあったのにこれを撮らずにやり過ごし、いよいよ見えなくなるという段階になって、ブログ記事の構成上のこともあるかと、カメラを向けましたので、手前に無粋なコードが垂れ下がり、立ち木が邪魔をしている景色になってしまったという次第。上の<参考>の2012年9月19日記事には、もう少しましな写真が掲載されています(笑)。 公園を抜けて、一般道に出て、東へと進んだところで、出くわしたのが、黒田長政下屋敷跡参考地という碑。 ![]() (伏見城武家地・黒田長政下屋敷跡参考地碑) ここで、冒頭の「黒田節」誕生地の碑とつながるのであるが、秀吉が伏見城を営んでいた時期には、この辺りは武家屋敷が立ち並び、黒田長政の屋敷がこの地にあったと考えられているのだろう。参考地とあるから、まだ確定した説にはなっていないということか。 日の本一の槍を手に入れた母里太兵衛の屋敷はどの辺りにあったのだろうか。 ここで右折して南に進むと、すぐに道が二股に分岐する地点に出る。 分岐点の道脇にあるのが八科峠の道標。 ![]() (八科峠の道標) 八科峠道標を右手に見て左の道を行くと下り坂。下りきって、仏国寺の前で左折、今度は坂道を上ることになる。 坂を上り切った処に小さな公園。東古御香町公園という名の公園であったかと記憶する。 正午を過ぎていたので、この公園で昼食タイム。 ということで、お昼休みとします。 昼食後、大岩山展望所への坂道を上りますが、続きは明日以降の記事とさせて戴きます。(つづく)
最終更新日
2021.01.21 11:20:57
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