偐万葉田舎家持歌集

2021/04/05(月)17:21

亀岡・京北銀輪桜旅(その4)

銀輪万葉(673)

​​​​(​承前​)​ ​ 国道477号は、上桂川に沿って、これに近づいたり離れたりしながら、北東方向に進む。  目指す目的地は、常照皇寺とこれに隣接する光厳天皇山国陵である。  そもそもは、健人会の友人である正〇氏から「常照皇寺は桜が綺麗だから、一度行ってみたら」と薦められたことが契機の銀輪散歩である。その後ながらく放置していたら、京北商工会発行の「京都・京北の里」というパンフレットを同氏から頂戴した。これではいよいよ行かざるを得ないと昨年1月に「桜の咲く頃に」と計画を立て、ホテルの手配もしていたのであった。しかし、その後のコロナの緊急事態宣言発出により中止としたもの。  今年になって、偐山頭火氏とのやりとりの中で計画が復活。当初案より銀輪散歩部分を大幅縮小して、道の駅・ウッディー京北から常照皇寺までの往復約14kmを走ることをメインメニューとし、アトは成り行きでプラス・アルファを走るということになった次第。  ヤカモチとしては、桜はともかく北朝初代・光厳天皇開山の常照皇寺とその墓所である山国陵に惹かれての銀輪散歩であります。  道の駅から常照皇寺・光厳天皇陵までの中間地点付近に山国神社というのがある。山国神社は、秋の例祭に併せて催行される「勤皇山国隊行進」で知られる神社。まだ拝見したことはないが、神社だけでも見て置こうと立ち寄る。 ​​ (山国神社・参道)<参考>​山国隊​・Wikipedia  国道から延びる一直線の参道。  農兵で明治維新に貢献した「山国隊」、錦の御旗を護衛して凱旋した昔ながらの様子が、勤皇山国隊行進として、この参道によみがえるのであろう。 ​​ (​​​​同上) ​​ (同上・本殿) ​​ (同上・由緒)  祭神は、大己貴命(大国主命)。  創立は、宝亀年中、光仁天皇とある。  上の由緒が読み辛いというお方は、下の説明板をお読みください。  前述の正〇氏から頂戴したパンフレットの記載によると、常照皇寺には光厳天皇の生涯を描いた絵巻が現存し、そのなかに常照皇寺の庭で住職が里人にふるまったと思われる藁苞に包まれた納豆の画が見られるとのこと。また、前九年の役(源頼義・義家親子が、陸奥の豪族安倍頼時・貞任・宗任親子が起こした反乱を鎮圧した戦)の奥州攻めに、援兵として参加した山国の農兵が納豆を持参していたと云われ、「山国納豆」として今に引き継がれているとのこと。このことから、この地、京北の里・山国は「納豆発祥の地」といわれ、京北地区では「納豆もち」で新年を祝う風習が残っているそうな。  源頼義、義家と言えば河内源氏。山国と河内は前九年の役でつながるというご縁があったのですな。 ​<参考>河内源氏三代墓の記事は下記  ​銀輪散歩・霞立つ野の上の方に​ 2014.3.2.  ​銀輪散歩・彼方の赤土の小屋に​ 2014.3.3.​​​​​​​​​​​​ ​​ (同上・由緒説明板)  山国神社から常照皇寺へと向かう。 ​​ (上桂川)  国道477号とお別れし、桜並木の道を行くと突き当りが常照皇寺。 ​​ (常照皇寺参道入口) ​​ (同上・参道の桜並木)  突き当りの最後の坂道は短いけれど急こう配。  普通なら、難なく漕いで上がるというものであるが、前日の両足こむら返りの後遺症であるか、その元気なく押して上がる。  その姿を撮った偐山頭火氏撮影写真が後日メールで送られてきたが、歳を感じさせる写真にて、本人の気持ち、思い込みとはギャップのある姿がそこにはありました(笑)。 寄る歳の 波にあらがひ 行くわれの 姿写しぬ 老いの坂道 (老家持) ​​ (同上・駐車場前の案内板)  駐車場に駐輪して、山門を潜り、勅額門への石段の道を上る。 ​​ (同上・山門、奥の門は勅額門)  勅額門を潜ると正面に勅使門。  銀輪族は皇族とは無関係、左に折れて、拝観受付所へと上って行く。 ​​ (同上・勅使門 勅額門から撮影) ​​ (同上・説明碑)  常照皇寺は、光厳法皇(1313~1364)によって貞治元年(1362)に開かれ、歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺で「大雄名山萬壽常照皇禪」を正式名とする臨済宗天龍寺派に属する禅宗寺院です(常照皇寺のパンフレットより)。 ​<参考>​常照皇寺​・Wikipedia​​​​ 境内には、国の天然記念物である「九重桜」、御所から株分けされたといわれる「左近の桜」、一重と八重が一枝に咲く「御車返しの桜」など桜の名木がある。  この日は、九重桜と左近の桜は満開であったが、御車返しの桜はまだチラホラの状態でありました。 ​​ (同上・九重桜、奥に見えるのが左近の桜) ​​ (同上) ​​​ ​(同上・庭園)​​​​ 山門の外側から右に上る道が山国御陵の参道になっている。  勅額門内側の池を廻る道からも参道に出られるというので、それを選択して参道に出る。 ​​ (山国御陵参道)  上は、池を廻る道から参道に出た地点で、帰途振り返って撮影したものである。  奥の石段を上り切ったところが御陵である。  下は、同じく帰途、山門側にかなり下ったところで振り返って撮影したものである。  レッドカーペットならぬ、苔のグリーンカーペットの参道です。 ​​ (同上)<参考>​光厳天皇​・Wikipedia  光厳天皇即位の経緯や生涯のあれこれはややこしいので割愛。  上記<参考>のウイキペディアの光厳天皇をご参照ください。  譲位して上皇となっていた光厳は、この地にあった無住の廃寺を改修して、常照皇寺を開山し、禅僧としての勤めに精進するが、2年後の正平19年/貞治3年(1364年)7月7日に崩御。この地で火葬に付されたとのこと。 ​​ (光厳天皇山国陵・後花園天皇後山国陵) ​​ ​(同上)​<参考>​後花園天皇​・Wikipedia​​​​​​​ 後花園天皇の遺骨も、その遺詔により、文明3年(1471年)2月に、光厳天皇陵の傍らに移葬されているので、ここは後花園天皇後山国陵でもある。  後花園は、南北朝合体後の第102代天皇。光厳天皇の玄孫に当たる。 ​​ (同上)  帰途は、道の駅・ウッディー京北から国道162号(周山街道)のルートをとったので、笠トンネルの手前までは午前中に銀輪で走った道を辿ることになりました。アトはナビ任せ。  途中、どの辺りであったか記憶が曖昧になっているが、こんな風景に出くわしたので、車を一時停止して撮影でした。 ​​ (周山街道で見かけた花景色)  今回の旅の起点、喫茶ペリカンの家には午後3時半から4時までの間には十分帰り着くということなので、お土産を届けるべしで、そこを解散地点と決める。  ほぼ、午後3時半、少し過ぎていたかもしれないが、ペリカンの家前に帰着。ここで、トレンクルを降ろして、偐山頭火氏とはバイバイ。  ヤカモチは、お土産を手渡すついでに珈琲休憩でもと、店のドアを開けたら、椅子がすべてテーブルの上にひっくり返しに積まれていて、店主のももの郎女さんがお掃除の最中。この日は、他用があって臨時に時短営業、既に閉店されているのでした。是非に及ばずで、トイレだけお借りして失礼しようとしたら、申し訳ないとアイスコーヒーを一杯無料サービスで振る舞っていただきました(笑)。  ペリカンの家からトレンクルにて自宅への銀輪散歩での帰宅。途中、花園中央公園に立ち寄り、銀輪散歩の締め括りは、やはり花園中央公園が似合いと、同公園の桜を撮影して、今回の「桜旅」の締めといたしました。 ​​ (花園中央公園の桜) ​​ (花園ラグビー場と桜)  以上で、亀岡・京北銀輪桜旅記事全4巻完結であります。  お付き合い、ありがとうございました。(完) <参考>京都方面の銀輪万葉過去記事は下記をご覧ください。  ​銀輪万葉・京都府、滋賀県篇(その1)​  ​銀輪万葉・京都府、滋賀県篇(その2) ​​​​​​<参考追記:2021.4.5.> 遅ればせですが、同行の偐山頭火氏ブログの今回の銀輪散歩記事のリンクを貼って置きます。 〇​本能寺の変 信長自作自演 命をかけての大芝居​ 2021.4.1. 〇​亀岡の夢が覚めたら常照皇寺へ​ 2021.4.3.​​

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