カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
前ページ「正暦寺・紅葉散歩」の続編です。 県道187号を西進、国道169号に出たところから始めます。 そろそろ昼近くなったので、何処かで昼食を・・という時間帯。 となれば、国道を走った方が、適当な店が見つけやすいだろうと考えてのことであります。国道169号を北上します。この道を北上すると、奈良ホテル、荒池、春日大社一の鳥居、奈良県庁東側に至る。 下山町交差点まで来て、帯解寺の表示。 帯解寺の名前はかねてより聞き知っていたが、今まで訪ねたことがないので、立ち寄ってみることに。交差点で左折、西に向かう。 JR桜井線(万葉まほろば線)に出る手前の交差点を右(北)に入ると帯解寺である。 ![]() (帯解寺) 寺の道路向かいにある駐車場に駐輪して、山門をくぐる。 子宝・安産祈願の寺であるから、ヤカモチには無縁の寺。 こういう機会でも無いと訪ねることはない寺である。 ![]() (同上・本堂) そんなヤカモチさんに「ようこそ」とあったのが、この万葉歌碑。 ![]() (万葉歌碑) 普通なら見落としていたかもしれないが、この歌碑の前にベンチが設置されていて、灰皿スタンドが置かれている。 若い男性が一人、そこでタバコを喫って居られた。 となれば、ヤカモチも一服せざるを得ない。 男性は、ヤカモチと入れ違いに立ち去られたので、会釈を交わしたのみで、言葉は交わさずでありました。それでこの歌碑に気が付いたという次第。 春霞 たなびく今日の 夕月夜 清く照るらむ 高松の野に (万葉集巻10-1874) 作者不詳の歌。 高松の野に、の高松は高円と解釈されていて、高円山にかかる夕月を詠んだ歌とされている。 帯解寺からは高円山は北東に見えるから、この地付近で詠まれた歌とすれば、高円山の南側にのぼった月を詠んでいることとなり、高円山にかかる月という感じではないことになる。 高円山の真西となると帯解駅の一つ北の駅、京終駅近辺ということになるから、その付近からだと高円山にのぼった月を詠んだ歌ということになるだろう。 まあ、歌は、高円の野と言っていて、高円の山とは言っていないから、帯解の地でもいいことになる。 帯解の 寺に万葉 歌碑ありて 煙草一服 せよといふらし (煙家持) さて、上掲の写真3枚は、フォト蔵の大きいサイズの写真とのリンクを貼っていません。と言うのも、フォト蔵にアップロードしてから、写真をダウンサイズすべきところ、この3枚については、アップロードが済んだものと誤解して、アップロード前にダウンサイズしてしまい、カメラの方の元画像も消去してしまっていたことから、フォト蔵に収納できた写真もこのブログ掲載写真と同サイズになってしまっているからです。 閑話休題。 子宝・安産祈願のお寺らしく、境内の一角に可愛らしいお地蔵さんが並んでいました。子宝に恵まれ、無事出産を果たされたお方が、お礼の心を込めて奉納されたお地蔵さんなんだろうか。 ![]() (お地蔵さんの幼稚園みたいです。) 何とも微笑ましい気持ちになる眺めです。 ![]() (同上) 生後2か月だとかいう赤ちゃんを抱っこした若いご夫婦もお参りされていました。 いよいよ、ヤカモチはお呼びではありません。 早々に退出であります。 元の国道169号に戻ろうと、来た道を下山町交差点まで引き返すべく走り始めたが、帯解小学校への辻を北に入ってみたら北方向は小学校の敷地で行き止まり。東か西に迂回しなければならない。 そこで、最近は滅多にお目にかからない、二宮金次郎の石像を発見。 ![]() (帯解小学校の校庭の二宮金次郎石像) 西に迂回すると、先ほどの帯解寺の前の南北に走る道に戻ってしまった。これを北へと走ることにする。JR線に並行して北へと通じるこの道を直進すると、ならまちに入り、猿沢池に突き当たる。ならまちの何処かで昼食にすると決めて、ひたすら北へと走る。 岩井川、能登川を渡り、奈良教育大の前から西に下って来る道路に出たところで、竈という名のレストランが目にとまったので、そこで昼食。 ここはもう、ならまちの中である。 昼食後、さらに北へ。 御霊神社をちょっと覗き、その隣の元興寺塔趾に立ち寄る。 <参考>御霊神社の写真掲載記事は下記です。 奈良銀輪逍遥(続) 2010.4.11 ![]() (元興寺塔趾) <参考>元興寺塔趾の桜の季節の写真掲載記事は下記です。 奈良銀輪逍遥 2010.4.9. ![]() (同上) 塔の心礎の背後の桜の木は春には華やかに咲いて、見る人の目を楽しませてくれる。 ![]() (同上・説明碑) 塔趾基壇の前に万葉歌碑がある。 大伴坂上郎女の、元興寺の里を詠みし歌一首として、万葉集第6巻に収録されている歌である。 この歌碑の写真は過去記事にも掲載している筈だからやり過ごそうと思ったが、念のためと撮って置いたのが幸いでした。調べてみると過去記事にこの歌碑の写真を掲載したものはありませんでした。 ![]() (坂上郎女の万葉歌碑) 故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくしよしも 大伴家持は養老2年の生まれであるから、元興寺は大伴家持と同年齢ということになる(笑)。 元興寺という寺名は「元は法興寺」という意味だと思うが、平城京の元興寺が隆盛になるに従い、明日香の法興寺は「本元興寺」と呼ばれるようになる。 上の坂上郎女の歌の「故郷の明日香」は明日香の法興寺のことを指し、「奈良の明日香」は元興寺のことを指していると解される。 ![]() (元興寺塔趾の紅葉) 塔基壇の北側に小さなお堂があって、そのかたわらの紅葉が見事でありました。 春花の ときもよかれど あをによし 奈良の明日香の もみぢのよしも (偐郎女) わが里の もみぢはあれど あをによし 奈良のもみぢの 見らくしよしも (偐家持) お堂の前に、古い石燈籠があることは予てより承知であったが、「啼燈籠」と呼ばれていることを知ったのは今回が初めてか。 ![]() (元興寺塔趾・啼燈籠) ![]() (同上・説明碑) ならまちを通り抜け、猿沢池に出る。 興福寺の五重塔と中金堂にご挨拶申し上げてゆく。 ![]() (興福寺・五重塔) 五重塔の改修工事が始まるようで、仮設工事用足場が組み立てられ始めている。間もなく仮囲いのシートで全体が覆われてしまい、しばらくはその姿を見ることができなくなるのであるか。 興福寺の 塔の上にも ひとむらの 雲の流れて 秋はゆくらし (偐信綱) (本歌)ゆく秋の大和の国の薬師寺の 塔の上なる一ひらの雲 (佐々木信綱) ![]() (同上・中金堂) 中金堂は、われこそ主役という風格を醸しつつ、力強くどっしりと構えているのでありました。 県庁と裁判所の間の道を北へと坂道を下る。 若草読書会のメンバーである恒郎女さんとひろみの郎女さんが奈良県庁6階展望台に行かれたことをひろみの郎女さんのブログで読んでいたので、立ち寄ってみるかという考えが一瞬脳裏をよぎりましたが、既に坂を下り始めているトレンクルをとめて引き返す気にはならず、今回も展望台はスルーすることとなりました。 <参考>興福寺と奈良県庁6階展望台 2021.11.22. 坂を下ったところで左折、奈良女子大の前を通って、県道104号(一条通り)に出る。 そこは佐保川と一条通りが交差している場所で、聖武天皇と光明皇后の御陵がある。 時間がまだ早いので、平城宮趾公園を一回りしてから帰ろうと一条通りに出たのであるが、久しぶりに御陵に立ち寄ることとする。 ![]() (聖武天皇陵) ![]() (光明皇后<仁正皇太后>陵) 此処は何度も来て居り、当ブログ記事でも何度か登場している。 <参考>シンポジウム「紫香楽宮歌木簡を考える」 2008.6.29. 磐之媛皇后と光明皇后 2009.4.20. 佐保川ウオーク 2019.3.31. 一条通りに戻り、西へ。 平城宮趾公園へと向かいますが、今日はここまでとします。(つづく)
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