カテゴリ:銀輪万葉
(承前)
前ページの記事の続きです。 正暦寺への紅葉銀輪散歩の帰り道。 成り行き任せで走っているうちに、近鉄電車の車窓から見た平城宮趾公園の一面のススキの原を間近に眺めてみようという思いになって、銀輪散歩のゴールを此処と決めたのでありました。 聖武天皇陵を出て一条通り(県道104号)を西に走り、東院庭園と宇奈多理座高御魂神社の間の細道から平城宮趾公園へと入る。 (平城宮趾公園のススキの原 後方は朱雀門) ススキの穂波の向こうに朱雀門。 カメラのアングルを下げて穂波に浮かぶ朱雀門の屋根という図柄の方がよかったかも、などと今頃思っても仕方のないことですかな。 (同上) 宮跡を横切る近鉄線は、景観上はマイナスであるが、長年見慣れた目にはさして違和感も感じないのではある。 (同上) 西に見えている山は生駒山。 万葉集巻1-52番の「藤原宮の御井の歌」には、藤原宮の西にそびえる畝傍山について「畝傍の この瑞山(みづやま)は 日の緯(よこ)の 大き御門に 瑞山と 山さびいます」(畝傍のこの瑞々しい山は、西の御門に瑞々しくまことに山らしい姿でいらっしゃる)と詠われているが、平城宮にとっての瑞山は、この生駒山であろう。 平城の宮の 西の御門に 生駒山 この瑞山と 山さび立てり (偐奈良麻呂) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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頭塔で始まり皇統の正当性で幕という見事な演出でした。坂道が無ければご一緒したいところであります。
たとえ坂に酒がついていても、今のところあの坂道はゴメンであります。年内には態勢を整えて、来る愚僧の「干支」の頃には寅ちゃんに戻りたいものです。 終盤で政権の正当性に関する記述がありました。後刻お送りする「藤原ならぬ阿倍安万侶」主演の小説「ふりさけ見れば」にも、倭国と唐との関係で同じ記述がありました。二日ほど前から準備をすすめていたものですが、早くおらんかいな・・・と進められたような気分に。 また、ご教示ください。 (2021.11.29 19:15:24)
>頭塔で始まり皇統の正当性で幕という
見事な演出でした。 ずう~と(頭塔)荒唐(皇統)無稽な遠出(演出)という洒落でありますかな(笑)。 正暦寺の紅葉にはギリギリ間に合いました。 >坂道が無ければご一緒したいところで あります。 昔は何ということも無かった坂道も、だんだんに応えるようになってきたようで、銀輪散歩コースの選択の幅も小さくなって行くのでしょうか。 大阪であれ、奈良であれ、東西の移動は坂が付いて回ることが多いですから、南北移動を中心としたものにすべきですかな。舞洲の先の夢洲なんかは、坂とは無縁でしょうから、海方向なら東西移動も可ですかな。 >年内には態勢を整えて、来る愚僧の 「干支」の頃には寅ちゃんに戻りた ものです。 そうですな。虎は千里を駆ける、でありますから、寅でも十里くらいは駆けるでしょう。来年に期待です。 まあ、虎の威は借らず、自力みてボチボチと参りましょう。 虎の威は 権威そこなふ ものにして とらぬ狸の 狐の手口 (鹿野馬子) >終盤で政権の正当性に関する記述・・ 別に、小説「ふりさけ見れば」や阿倍仲麻呂を意識しての記述では毛頭ありませぬゆゑ、深読みなさいませぬように(笑)。 (2021.11.29 21:19:49)
こんばんは(^^)
茫洋としたススキが 綺麗ですね。 復元工事、工事で すっかり変わってしまうのでしょうね。 〉テーマパーク風の味気ないもの 藤原宮、恭仁宮、難波宮址のように 何もなく 礎石だけが遺っている方が 想像力をかき立てて くれます。 (2021.11.29 22:59:23)
>茫洋としたススキが 綺麗ですね。
まあ、ススキは芒とも書きますから、自ずからに茫洋たり、ですかね。 >藤原宮、恭仁宮、難波宮址のように 何もなく 礎石だけが遺っている方が 想像力をかき立ててくれます。 人麻呂が「・・大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮所 見れば悲しも」と詠った近江荒都歌を持ち出すまでもなく、我々は滅び去ったものに共感するDNAを有していますから、復元という行為は、当時の様子を具体的な形として知るという面では意味もあるのでしょうが、歌心や詩心を刺激するのは、仰る通り、むしろ何もなくて、荒れたる都跡にただ風が吹いているだけという姿の方であり、このような我々の感覚には逆行する無粋な振る舞いとも言えますかね。 (2021.11.30 18:00:17) |
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