偐万葉田舎家持歌集
< 新しい記事
新着記事一覧(全3263件)
過去の記事 >
友人・岬麻呂氏からの旅便りです。 前回に続き沖縄ですが、今回は「沖縄本島の西にある慶良間諸島のなお西にある小さな島で・・・出来るだけ何もしないで島時間を楽しむのが目的の夫婦旅」という、12月7日~10日、3泊4日の久米島の旅であります。 (旅・岬巡り報告283・久米島&同写真説明) (同上)
(久米島の地図) <参考> 過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。 フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。 では、例によって、旅程に従い、別途メールで送っていただいた旅の写真をご紹介申し上げることといたします。 しかし、今回は「何もしない旅」というコンセプトの旅、でありますから、どうなりますことやら、であります(笑)。 何もせぬ 旅としあらば その旅の ことを述ぶるは 苦しきものぞ (無為家持) 12月7日 関西空港→那覇空港→久米島空港→奥武島の畳石→イーフビーチホテル(3連泊) 久米島空港は島の西側。 宿泊ホテルのあるイーフビーチは島の東端。 イーフビーチの向かいの島が奥武(おう)島。 (畳石<奥武島の海岸>) 初日は、畳石訪問のみで、午後2時ホテルにチェックイン。 チェックイン後は「部屋から海を夕刻まで眺め島時間」であったそうですが、その島時間に入る前にマンホールの写真だけは撮っていただいたようであります(笑)。 そして、島時間の締めは、地元の泡盛・久米仙古酒であったということになるのでしょうか。 (久米島町<旧具志川村地区>のマンホール) 五枝の松とクメジマボタルの図柄のマンホール。 具志川村という表示があるから、2002年4月1日隣村の仲里村と合併して久米島町となる以前の、具志川村時代のマンホールということになる。 (久米島町のマンホール) これは「波」の図柄でしょうか。 (久米島町<旧仲里村地区>のマンホール) 久米島の西半分が旧具志川村、東半分が旧仲里村で、両村が合併して久米島町となったことは、前述の通りであるが、このマンホールは、中央に「村章」と「なかざと」という文字が見て取れ、岬麻呂氏からのメール説明にも「仲里」という記述がありましたから、旧仲里村時代のものであるのでしょう。
12月8日 ハテの浜ツアー参加→ハテの浜上陸→久米島灯台→具志川城址→ミーフガー→比屋定バンダ展望台→宇江城(うえぐすく)城址→旧仲間切蔵元跡→真謝(まじゃ)チュラフクギ並木
(久米島と奥武島の間の水路 新奥武島橋の上から撮影) ハテの浜ツアーに参加される前の、この日最初の写真がこれ。 写真中央に見える「黒いもの」はアオウミガメだそうな。 岬麻呂氏によると、撮影しようとしたら、潜ってしまったようで、このような写真になってしまったとのこと。亀だけども写真はウェルカメではなかったようで、それと察して潜ってしまったのかも。 大阪の亀なら「カメへんでぇ~」と撮らせてくれたかと思うが、クメ島のカメはそうではないのでありました。 (真謝のフクギ並木) 道路拡張のため、住宅が取り壊されることになったが、その屋敷林のフクギを伐採するのか保存するのかで意見が対立したらしい。その結果、結局、このように道路の中央分離帯という形で残されることになったとのことであります。 (ハテの浜<東方向>) さて、ハテの浜ツアーです。 ホテルのベランダからもその一部が見えていたとのことですが、砂だけの島、ハテの浜です。 グラスボートに乗客6人が乗船し、船長さんのご案内で、その砂だけの島に上陸するというツアーであります。 (ハテの浜<西方向>) 上の写真及び下の写真に黒い帯のように広がっているのは、海底火山の噴火で押し寄せて来た今話題の軽石だとのこと。 小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」の噴火で噴出した軽石が海流に乗ってはるばると漂着したのであるが、ニライカナイ信仰のある沖縄であってもさすがにこれはノーサンキューな漂着物である。 美しい砂浜の景観も台無しであります。 (ハテの浜に漂着の軽石群) さて、ここで、クイズであります。 下の写真に写っている構築物は何でしょう? ハテの浜ツアーの船長さんが乗船客に出したクイズだそうです。 6名の乗船客は岬麻呂氏は別として、誰も答えられなかったそうでありますが、何度も来られている岬麻呂氏は干潮時のこの構築物の全体像を以前に見て居られたので答えを知って居られたとのこと。 皆さんは、分かりますか?(答えは、末尾に記しています。) (海の中の構築物) 次は、具志川城址とミーフガー。 (具志川城址) (ミーフガー) 石灰岩と凝灰角礫岩の海蝕崖。 7月中旬から数週間は、この岩の穴から日の出が望めるらしい。 女性がこれを拝むと子宝に恵まれるというパワースポットだという。 (宇江城・城址からの展望) 宇江城は久米島の最高峰に築かれた15世紀の城だそうですが、その城址からの展望が、上の写真。 そして、この日もマンホール写真であります。 (久米島町のマンホール<町名あり>) 上掲の旧仲里村のマンホールと同じデザインであるが、中央に町章と久米島町という町名が入っているから、旧仲里村時代のデザインをマイナーチェンジして、久米島町発足後に作成されたマンホールなんだろう。 12月9日 タチジャミ自然公園→おばけ坂→上江洲家(琉球王朝時代の地頭代の古民家)→五枝の松→シンリ浜→ホテルに戻り昼食→午後は何もせず 久米島の日の出です。 (久米島の日の出) イーフビーチホテルのベランダから撮影の、この日最初の写真。 そして、前日に訪ねた宇江城城址を遠望です。 (宇江城城址遠望) 城址のある山は宇江城岳という名の山。久米島の最高峰。 おばけ坂に向かう途中で撮影されたのでしょうか。 宇江ぐすくの 城址仰ぎ 見つつ君 おばけ坂への 道行くらむか (坂家持) (おばけ坂) その妙ちくりんな名前の、おばけ坂がこれです。 では、この坂についても、クイズです。 奥に向かって、この坂は上り坂でしょうか、下り坂でしょうか。それとも、傾斜のない平坦な道でしょうか。(答えは末尾に記しています。) (五枝の松) これは、国指定の天然記念物である「五枝の松」。 琉球松にて、1839年植栽との記録があるといい、根元から枝が分岐して約250平米に広がっているとのこと。 唐崎の松も真っ青、五枝の松であります。 (イーフビーチ) イーフビーチは、「日本の渚百選」に選ばれる久米島を代表するビーチであり、白砂が2kmに渡って続く砂浜、サンゴ礁内側の穏やかな海の、人気の海水浴場でもある。 12月10日 島の南端・鳥の口→アーラ浜→久米島空港→那覇空港→識名園→那覇空港→関西空港 (久米島灯台遠望<帰途の飛行機から>) 昼前の便で那覇へ。 10年ぶり、6度目の久米島訪問の旅も「いざ、さらば」であります。 わぎもこと こしくめじまは いくたびか くめどつきせじ くめじまのたび (くめ家持) (識名園) 飛行機の乗り継ぎ時間を利用して、琉球王朝の迎賓館であった識名園を訪ね、ついでにマンホールも撮影であります。 (那覇市のマンホール・シーサーの図柄<カラー>)
(同上・魚の図柄<モノクロ>) 極力何もしないことが目的の旅とのことでしたが、結構内容のある旅、おまけのマンホールの写真もクイズもありで、外野席のヤカモチも十分に楽しませていただきました(笑)。 <クイズの答え> 〇海の中の構築物は、橋です。 干潮時にも漁船が出せるように、漁港から外海に向かって、サンゴ礁(岩)を削って水路を開削しました。すると、それまで干潮時には干潟に出て貝を採ったり、魚を釣ったりしていた島の人たちは、その水路の所為で、従来のように徒歩で干潟に行くことができなくなる。ということで、水路開削と同時に、水路を渡るための橋を設置しました。潮が満ちて来ると、水路と橋(上部構造部を除き)は海中に没してしまうので、写真のような光景になるという次第。 干潮時には出題されないクイズだそうです。 (追記・補注)この橋の名はシールガチ橋だそうです。(岬麻呂氏コメント参照) 〇おばけ坂は、奥に向かって上り坂です。 まあ、ヤカモチは、写真では下り坂に見えるので、答えが「下り坂」ではクイズにならないだろうから、「上り坂」と考えました。 岬麻呂氏の出題では、上りか下りかの二択でしたが、それでは簡単過ぎるので、もう一つの選択肢「平坦な道」というのを付加して三択にしてみました。
岬麻呂旅便り328・東北桜(福島、山形、新… 2024.04.18 コメント(8)
岬麻呂旅便り327・網走、流氷 2024.02.27 コメント(12)
岬麻呂旅便り326・石垣島 2024.02.15 コメント(8)
もっと見る
PR
プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
キーワードサーチ
カレンダー
カテゴリ
バックナンバー
コメント新着
日記/記事の投稿
お気に入りブログ
ニューストピックス