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偐万葉田舎家持歌集

全69件 (69件中 1-10件目)

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和歌・俳句・詩

2021.09.11
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カテゴリ:和歌・俳句・詩
​​​​​​​​​ゆくあての なき銀輪は くものすがた
​        そらのいろでも ながめてみるか (やかみち)​


(今日の空1)
 「今日の空」と言っても、今日の空ではありません。
 その日、その日の空が「今日の空」であります。
空はすでに 秋の色なり 白雲の
        いてふのほつ枝に なびきぞあれる (やかくも)


(​同上2)
 銀杏の葉も少し色づき始めているような。

(同上3)
 木陰のベンチに居て、雲を眺めてぼ~っとしているのも悪くはない。

(同上4)
 雲の形も色々。綿雲、羊雲、鰯雲。

(同上5)
 雲は音もなくゆっくりと西から東へと流れてゆく。

(同上6)
 はい、今日は、空と雲で心和んでいただきました。
ブログネタ これとてもなき 日にあれば
         空の雲でも 並べてみるか (そらもち)
​​​​​​​






最終更新日  2021.09.11 11:23:54
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2019.11.28
カテゴリ:和歌・俳句・詩
​​​​​​​​​​​ ​新​年向けの万葉歌、というタイトルの記事で、万葉集の歌で、年賀状に記載するのに適当と思われる歌を列記したことがありました。
 7年前の記事です。
<参考>新年向けの万葉歌​ 2012.12.28.
 間もなく12月。既に、喪中につき云々の葉書が20通届いているが、そろそろ年賀状のことも考える時期にさしかかっているようです。
 毎年この時期になると、7年前の上の記事がよく閲覧されるようです。
 そんなことで、今日は、古今集から年末・年始向けの歌を書き出してみることにしました。
 先ずは、年末向けの歌。
あらたまの 年の終りに なるごとに 雪もわが身も ふりまさりつつ
                        (在原元方 古今集巻6-339)
<参考>在原元方​・Wikipedia
雪ふりて 年の暮れぬる 時にこそ つひにもみぢぬ 松も見えけれ
                            (作者不詳 同巻6-340)
昨日といひ 今日とくらして あすか河 流れてはやき 月日なりけり
                           (春道列樹 同巻6-341)
<参考>春道列樹​・Wikipedia
ゆく年の をしくもある哉 ますかがみ 見る影さへに くれぬとおもへば
                               (紀貫之 同巻6-342)
<参考>紀貫之​・Wikipedia


 次は年始の歌
袖ひちて むすびし氷 こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
                            (在原業平 同巻1-2)
<参考>在原業平​・Wikipedia
春霞 たてるやいづこ み吉野の よしのの山に 雪はふりつつ
                           (作者不詳 同巻1-3)
雪の内に 春はきにけり 鶯の こほれるなみだ いまやとく覧
                          (作者不詳 同巻1-4)
梅が枝に きゐるうぐひす 春かけて 鳴けどもいまだ 雪はふりつつ
                              (作者不詳 同巻1-5)
春たてば 花とや見らむ 白雪の かかれる枝に 鶯の鳴く
                        (素性法師 同巻1-6)
<参考>素性・Wikipedia
霞たち 木の芽も春の 雪ふれば 花なき里も 花ぞちりける
                           (紀貫之 同巻1-9)
谷風に とくる氷の ひまごとに 打ちいづる波や 春のはつ花
                           (源当純 同巻1-12)
<参考>源当純​・Wikipedia
きみがため 春の野にいでて わかなつむ わが衣手に 雪は降りつつ
                               (光孝天皇 同巻1-21)
<参考>光孝天皇・Wikipedia
かすが野の わかなつみにや 白たへの 袖ふりはへて 人の行くらん
                                (紀貫之 同巻1-22)
常磐なる 松もみどりも 春くれば 今ひとしほの 色まさりけり
                           (源宗于 同巻1-24)
<参考>源宗于​・Wikipedia
春くれば 宿にまづさく 梅の花 君が千年の かざしとぞ見る
                          (紀貫之 同巻7-352)
冬ながら 春のとなりの 近ければ 中垣よりぞ 花はちりける
                     (清原深養父 同巻19-1021)
<参考>清原深養父​・Wikipedia
あたらしき 年の始に かくしこそ 千年をかねて たのしきを積め
                         (作者不詳 同巻20-1069)
​​​​​​​​​​






最終更新日  2019.11.30 10:07:04
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2014.02.15
カテゴリ:和歌・俳句・詩

  昨日は大阪も雪景色になりました。
  先般の雪の時は入院中であり、病室の窓から眺めたきりでありましたが、今回は自由の身、枚岡梅林や枚岡神社の雪を見に外へ出てみました。午後遅くなってからであったので、かなり融けてしまっていました。
  雪が滅多に降らぬ地に住んでいると、雪は「雪景色」というものとなり、「雪見」なんぞという言葉さえも生まれるのである。芭蕉さんも「馬をさへながむる雪の(あした)哉」(雪の朝というのは何もかもが新鮮で、旅人ばかりかその馬をさえ、普段と印象が違って、じっと眺めてしまう。)と吟じて居られますが、総じて我々は、そのようなのである。
  もっとも、地域によっては、足止めを食ったり、大渋滞を引き起こしたり、便欠航で空港で一夜を明かしたり、事故に巻き込まれたりと、色々の難儀を生じさせた今回の雪でもあれば、そう呑気なことを言って居ては不謹慎の謗りも免れぬ処だが、雪国暮らしでないヤカモチとしては雪を目にすると自ずと心そわそわと「さやぎて」ということになってしまうのは、仕方なきことなのではあります。

2014年2月14日の雪
(2014年2月14日の雪)

2014年2月14日枚岡神社
(同上・枚岡神社)

2014年2月14日枚岡梅林
(同上・枚岡梅林)

  ついでに、芭蕉さんの「雪」の句を列挙して置くこととしましょう。 

はつゆきや幸庵(さいはひあん)にまかりある
(待ちに待った初雪だが、幸いにも私は庵に居合せている。)
初雪や水仙のはのたはむまで
(水仙の葉がたわむほどに初雪が降り積もっている。)
面白し雪にやならん冬の雨
(面白いことに、冬の雨は雪に変りそうだ。)
初雪に兎の皮の髭つくれ
(初雪には兎の皮で付け髭を作って兎の気分になれ。)
初雪やいつ大仏の柱立(はしらだて)
(もう初雪が降り出した。大仏殿の柱立てはいつのことになるのやら。)
はつ雪や聖小僧(ひじりこぞう)(おひ)の色
(初雪の中を行く行脚僧の笈の色は長旅を示すように色褪せている。)
雪をまつ上戸(じやうご)の顏やいなびかり
(稲光が走るたびに、雪を待つ上戸たちの顔が照らしだされる。)
初雪やかけかゝりたる橋の上
(初雪が架けかけの橋の上に積もっている。)
たはみては雪まつ竹のけしきかな
(この絵の竹はよくたわんでいて雪を待っている風情である。)
霰まじる帷子(かたびら)雪はこもんかな
(霰まじりの帷子雪は霰小紋のようだ。)
時雨をやもどかしがりて松の雪
(時雨はいくら降っても松の葉を紅葉させることはない。それをじれったく
思って松は雪をかぶってしまった。)
しほれふすや世はさかさまの雪の竹
(雪の重みで竹が節をさかさまに萎れ伏している。子に先立たれたあな
たのように。)
波の花と雪もや水にかえり花
(海に降り込む雪は水にもどって、波の花となって返り咲くのだろうか。)
富士の雪盧生(ろせい)が夢をつかせたり
(雪をかむった富士の姿は露生が夢で築かせた白銀の山のようなものだ。)
今朝の雪根深(ねぶか)(その)枝折(しをり)
(今朝はあたり一面の雪、頭を出している葱が畑の目印になっている。)
雪の朝独リ干鮭(からざけ)(かみ)得タリ
(雪の朝に独り私は干し鮭を噛み得ている。)
黒森をなにといふともけさの雪
黒森(くろもり)の由来を何と言おうが今朝の雪ですっかり白森だ。)
馬をさへながむる雪の(あした)
(上記参照)
市人(いちびと)(この)笠うらふ雪の傘
(市に集まっている人々よ、この笠をあなたがたに売ろう。この雪の積も
った笠を。)
雪と雪今宵師走の名月歟
(雪と雪が照り合って、今宵は師走なのに中秋の名月のような明るさだ。)
君火をたけよきもの見せむ雪まるげ
(君は火を焚け。私はよいものを作ってみせよう。雪の大玉を。)
京まではまだ半空や雪の雲
(京まではまだ道の半ば。中空には雪雲が居座っている。)
ゆきや砂むまより(おち)よ酒の(よひ)
(下は雪の砂地だ。馬より落ちてみなさい。酒の酔いも醒めるから。)
(とぎ)なをす鏡も清し雪の花
(研ぎ直された鏡も清らかで、折しもそこへ雪が花のように降りかかる。)
箱根こす人も(ある)らし今朝の雪
(今朝は雪。この雪の中を箱根を越えて行く人もいるらしい。)
いざ行かむ雪見にころぶ所まで
(さあ、雪見に行こう。転ぶ所まで、どこまでも。)
酒のめばいとど()られね夜の雪
(酒を飲むといよいよ眠れなくなる雪の夜であることだ。)
二人見し雪は今年もふりけるか
(去年二人で見た雪は今年も降っただろうか。)
少将のあまの(はなし)や志賀の雪
(をのがねの少将と尼の話を聞いている中、ここ志賀の里には雪が降っ
ていることだ。)
ひごろにくき烏も雪の(あした)
(日頃は憎らしく思っている烏も、雪の朝は風情がある。)
(たふと)さや雪(ふら)ぬ日も蓑と笠
(尊いことだ。雪降らぬ日にも蓑と笠を身につけている小町の画像は。)
比良(ひら)みかみ雪()シわたせ鷺の橋
(比良山と三上山の間に、鷺よ、翼並べて、雪のように白い橋、鷺の橋を、
さし渡せ。)
雪ちるや穂屋(ほや)(すすき)(かり)残し
(雪が降り散る枯れすすきは穂屋を作った際に刈り残したものだろうか。)
庭はきて雪をわするゝはゝきかな
(庭の雪を掃きながら、雪のことは忘れて、ただ無心に箒を動かしているこ
とだ。) 

 







最終更新日  2014.02.16 00:47:27
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2013.12.01
カテゴリ:和歌・俳句・詩

  今日は墓参。
  毎月、月の始め頃に行く恒例の墓参である。あと、お盆と年末に行くのが小生の習慣になっているから、今月は30日か31日にもう一回お墓参りすることとなる。


生駒山系の山
(生駒山系の山、墓から北東方向を眺める。)

  墓は山の西斜面にある。西方向を見ると大阪平野が一望である。しかし、今日は霞がかかったようなぼんやりした風景。いつも見える阿倍野ハルカスもよく見えない。
  振り返ると山が迫っている。上の写真は墓から北東方向を眺めた風景であるが、写真、左に黄色に輝いている木は銀杏の木である。
  帰途は山裾を辿って、この銀杏の木の下まで行ってみた。
  今朝のTVで銀杏は恐竜が居た頃からあった木で、「生きた化石」と呼ばれていること、気候の変化にも耐えて中国の奥地にのこっていた木が中国から我が国に入って来た、というようなことを言ってましたが、万葉歌には銀杏は登場しませんから、平安期以降に渡来したものであろうか。
  ヨーロッパの銀杏は長崎からヨーロッパに持ち込まれたものが広まっているらしいから、イチョウは中国→日本→ヨーロッパというのが広まったルートのようです。街路樹や公園、寺社などの植樹として代表的なものですから、「生きた化石」というのは失礼な気(木)もしますな(笑)。
  「生きた化石」と言えばメタセコイアもそのように呼ばれますが、最近はメタセコイアも公園などでよく目にするようになりました。小生の銀輪散歩の基地でもある花園中央公園にもメタセコイアが植えられていて、いい景観を作り出しています。
   <参考>イチョウ・Wikipedia

銀杏 (2) 銀杏
(イチョウの木)

  さて、冒頭の写真で山裾の左隅に目立って黄色く輝いている、イチョウの木に近付いてみると、上の写真のような具合でした。

     鐘つけば銀杏散るなり建長寺 
          (夏目漱石 明治28年9月6日海南新聞)
   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
          (正岡子規 明治28年11月8日海南新聞)

  子規の「柿」の句が漱石の「銀杏」の句の「本歌取り」であることは、いつぞやの若草読書会で凡鬼さんから教えて戴いたこと。
  寺の鐘と銀杏の組み合わせは寺の風景としてはありきたりで普通。「柿をくふ」ことと「寺の鐘」を結び付けた処が新鮮で新境地・・だから、子規の句の方がすぐれているというのが一般的な評価のようです。
  ならば、偐家持も、意外な組み合わせで、

  牡蠣くへば合歓の花散る蚶満寺(かんまんじ) (筆蕪蕉)

  とでも致しましょうか。牡蠣と合歓の花と象潟の寺、この組み合わせも独自ですが三つがバラバラでまとまった景色にならないから、新境地も何もあったものではない、という評になりますかな。

  牡蠣焼けば潮満ち来なり厳島 (筆蕪蕉)

今日の言葉
(墓参の道にある寺の門前の今日の言葉)

  今日の墓参の「言葉」は「はだかで出発する」でありました。
  墓への道は急坂にて、今日は暖かくもあった所為か、上るうちに暑くなって来て、途中からは上着を脱ぎ、シャツを腕まくりして行きました。「はだかで行け」というのが寺の門前の言葉でありましたが、さすがにはだかはご勘弁でありました(笑)。

   山茶花も 腕まくりして 墓参り (筆蕪蕉)







最終更新日  2014.03.21 23:26:02
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2012.05.06
カテゴリ:和歌・俳句・詩

 昨夜は満月であったのですな。ベランダに出て見ると月が空高く皓々と光を放っていました。今月20日が金環食とのことですが、これは太陽が主役、月は脇役、文字通りの黒子ですな。
 しかし、和歌の世界にあっては、「雪月花」や「花鳥風月」にて月こそ主役、太陽はものの数ではないのでありますな。
 「寄物陳思」、物に寄せて思ひを陳べる歌というのは、相聞、騎旅などと共に、歌集の部立ての一つにて、万葉集にても既に見られるものであります。古来、日本人は月に寄せて多くの歌を詠んで来ました。

 月の歌あまたある中で、本日は万葉ではなく、西行の月の歌を書き出してみることと致します。桜と月の歌人、西行。西行一人に絞ってみても月の歌は数限りなくあります。拾い出しているだけで疲れてしまいますが、字数制限内で書き出せるだけ書き出してみることと致しましょう(笑)。

月影の・・.JPG
(2012年5月5日の月)

ゆくへなく 月に心の すみすみて
        果てはいかにか ならむとすらむ

なげけとて 月やはものを おもはする かこち顔なる わが涙かな

こととなく 君恋ひわたる 橋の()に あらそふものは 月の影のみ

弓張の 月に外れて 見し影の 優しかりしは いつか忘れむ

おもかげの 忘らるまじき 別れかな 名残りをひとの 月にとどめて

しきわたす 月のこほりを 疑ひて ひびの手まはる あぢのむら雲

影さえて まことに月の あかき夜は 心も空に 浮かれてぞすむ

心をば 見る人ごとに 苦しめて 何かは月の とりどころなる

さのみやは 袂に影を 宿すべき 弱し心よ 月な眺めそ

月に恥ぢて さし出でられぬ 心かな 眺むる袖に 影の宿れる

露けさは 憂き身の袖の 癖なるを 月見る咎に 負ふせつるかな

月の夜や 友とをなりて いづくにも 人しらざらむ 住みか教へよ

ひとりすむ 片山かげの 友なれや 嵐に晴るる 冬の夜の月

月ならで さし入る影の なきままに 暮るるうれしき 秋の山里

眺むるに 慰むことは なけれども 月を友にて 明かす頃かな

ひとりすむ 庵に月の さしこずは 何か山べの 友にならまし

あはれなる 心の奥を ()めゆけば 月ぞおもひの 根にはなりける

憂き世いとふ 山の奥にも したひきて
         月ぞ住みかの あはれをぞ知る

憂き身こそ いとひながらも あはれなれ
         月を眺めて 年の経ぬれば

世の中の 憂きをも知らで すむ月の
        影はわが身の 心地こそすれ

隠れなく 藻にすむ虫は 見ゆれども われから曇る 秋の夜の月

さらぬだに 浮かれてものを おもふ身の 心をさそふ 秋の夜の月

真木の屋に しぐれの音を 聞く袖に 月の洩り来て 宿りぬるかな

いつかわれ この世の空を 隔たらむ
        あはれあはれと 月をおもひて

いかでわれ 心の雲に 塵すゑで 見る甲斐ありて 月を眺めむ

眺めをりて 月の影にぞ 世をば見る
        すむもすまぬも さなりけりとは

雲はれて 身に憂へなき 人のみぞ さやかに月の 影は見るべき

来む世にも かかる月をし 見るべくは 命を惜しむ 人なからまし

この世にて 眺め馴れぬる 月なれば 迷はむ闇も 照らさざらめや

来む世には 心のうちに あらはさむ 飽かでやみぬる 月の光を

鷲の山 おもひやるこそ 遠けれど 心にすむは 有明の月

鷲の山 くもる心の なかりせば 誰も見るべき 有明の月

鷲の山 月を入りぬと 見る人は 暗きに迷ふ 心なりけり

鷲の山 誰かは月を 見ざるべき 心にかかる 雲しはれなば

悟りえし 心の月の あらはれて 鷲の高嶺に すむにぞありける

雲はるる 鷲のみ山の 月影を 心すみてや 君ながむらむ

分け入りし 雪のみ山の つもりには いちじるかりし 有明の月

見ればけに 心もそれに なりにけり 枯野のすすき 有明の月

あらはさぬ わが心をぞ 怨むべき 月やはうとき をばすての山

あま雲の 晴るるみ空の 月影に 恨みなぐさむ をばすての山

くまもなき 月の光を 眺むれば まづをばすての 山ぞ恋ひしき

をばすては 信濃ならねど いづくにも
        月すむ峰の 名にこそありけれ

花におく 露に宿りし 影よりも 枯野の月は あはれなりけり

冬枯れの すさまじげなる 山里に 月のすむこそ あはれなりけれ

霜さゆる 庭の木の葉を 踏み分けて 月は見るやと とふ人もがな

いづくとて あはれならずは なけれども
         荒れたる宿ぞ 月はさびしき

山おろしの 月に木の葉を 吹きかけて 光にまがふ 影を見るかな

山深み まきの葉わくる 月影は はげしきものの すごきなりけり

神路山(かみぢやま) 月さやかなる 誓ひありて (あめ)が下をば 照らすなりけり

これや見し 昔すみけむ 跡ならし 蓬が露に 月の宿れる

月すみし 宿も昔の 宿ならで わが身もあらぬ わが身なりけり

雲の上や ふるき都に なりにけり すむらむ月の 影は変らで

何ごとも 変りのみゆく 世の中に 同じ影にて すめる月かな

涙のみ かきくらさるる 旅なれや さやかに見よと 月は澄めども

眺めつつ 月に心ぞ 老いにける 今いくたびか 春にあふべき

山の端に かくるる月を 眺むれば われも心の 西に入るかな

闇はれて 心の空に すむ月は 西の山べや 近くなるらむ

月影の・・ (2).JPG(同上)

 ざっと57首列挙できました。さて、皆さまのお心に共鳴音を響かせた歌はどれでありましたでしょうか。
<参考>元永元年(1118年)佐藤義清誕生。
    保延 6年(1140年)出家。法名円位、西行と号す。
    保元元年(1156年)鳥羽院崩御、保元の乱。
    治承 4年(1180年)6月福原遷都。8月頼朝挙兵。
    建久元年(1190年)2月16日河内の弘川寺にて入寂。

 







最終更新日  2014.07.13 20:45:19
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2012.04.01
カテゴリ:和歌・俳句・詩

 今日は若草読書会恒例の花見会の日。
 場所は花園中央公園。
 花見の場所取りは、毎度、偐家持の役回りですが、今回は日取りの設定が早過ぎたため、ソメイヨシノは開花して居らず、白い桜(オオシマザクラか?)1本だけが咲いていました。運よくその真下の場所をゲット。

花園中央公園の桜 B(2).JPG

 出席者は、智麻呂・恒郎女夫妻、凡鬼・景郎女夫妻、謙麻呂氏、小万知氏、祥麻呂氏、槇麻呂氏、和麻呂氏、偐山頭火氏の常連に加え、久し振りの福郎女氏に偐家持の12名。
 午前11時過ぎには全員が揃い、11時半頃から花筵開宴。呑み、食い
、思い思いの話の花が咲きました。
 食事がほぼ終わりかけた頃に雨がパラつき出したので、花見は切り上げることとし、智麻呂邸へ徒歩で移動。智麻呂氏は電動車椅子で移動。偐山頭火氏はMTBで移動。偐家持はMTBを押しながら歩いて移動。
 智麻呂邸での第2部は偐山頭火氏が講師にて、同氏から山頭火の生涯やその句作併せて同氏が最近行かれた「山頭火の足跡を追って」の中国・四国・九州の旅や温泉についての興味深いお話を伺いました。
 第3部は各自が持ち寄った自作の短歌・俳句の披露となる「若草歌壇」。これらの歌・句は追って河内温泉大学図書館にて公開する予定でいますが、同大学名誉教授にして同図書館管理人である偐山頭火なる御仁は気まぐれゆゑ、それがいつのことかは誰にも分りません。新春の分も未だ公開になっていませんから(笑)。
 3部が終わった処で、用向きで遅れていた香代女氏も到着。第4部は「たこ焼きパーティ」であり、話し込む人あり、歌う人あり、勿論、食う人、呑む人ありで、好き好きのくつろいだ時間が流れて行きました。

 さて、今回、偐家持が作った歌・俳句は名付けて「数字変換可能歌」というものでありまして、音から数字変換が可能な読みの文字のみによって作られた歌・句というものでありました。
 論より証拠。下にそれを掲載して置きます。頭の体操みたいなものですから、皆さんも挑戦してみて下さい。
 当ブログのコメント欄にその歌をお寄せ下さいましたら、若草歌壇・番外編として収録掲載させて戴きます(笑)。
 このような形式の歌を思い付いたのは、ブロ友の童子森の母さんの3月29日の「肉の日(29の日)」の記事からです。
  <参考:童子森の母氏の3月29日の記事はコチラ参照。>

(87)()()(10) 難波(728)弥生(841)() ()()来れ(90)(10) (87)()よし(44)なし(74) (87)咲く(39)なく(79)()

(29)()(10)() (51)()()(10)()(10) ()()()() ()くや(98)難波(728)(10) (87)()()宿(810)()

(87)()( 4 ) 挿し(34)はさみつつ(83322) 恋文(5123)() (51)しと言ふは(410128) (51)し人なむ(4176)

富士に咲く(24239) (87)()()()ふな(27) (28)()咲く(39) (87)()()()ひよ(14) 難波(728)(0105)()

(110)()()(10) (54)()()()(87) ()()来れば(908) なに(72)しや(48)()よよ(44) ()(10)(556)さく(39)

(87)なく(79)() ()むしろ(646)(16)() 花筵(87646)

  (注)難波津=普通は「なにはづ」と読むが「なにはと」と読ませてみた。
       一枝=普通は「ひとえだ」と読むが「ひとよ」と読ませてみた。
     5首目の歌は西行の次の歌を踏まえて作りました。
      吉野山 こずゑの桜 見し日より
                 心は身にも添はずなりにき
     
さむしろ=「寒し」と「さ筵」とを掛けている。
     花筵=花見の筵。転じて、宴、酒の席。

花園中央公園の桜.JPG







最終更新日  2014.07.29 11:09:06
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2012.01.05
カテゴリ:和歌・俳句・詩

 正月早々に風邪を引いてしまいました。3日の午後から不調です。
 
そんなことで、風邪の歌などを・・。

 先ずは、「お蔵百人一首」(偐定家編)から3首。

このたびは 熱もとれずに (はな)たれて
          
(せき)もしきりの 風邪のまにまに (菅原咳真(すがはらのせきざね)

このたびは 熱はなけれど のど痛く
          鼻水たらり 咳のまにまに (菅原咳真)

 (本歌) このたびは 幣も取りあへず 手向山
              もみぢの錦 神のまにまに
            (菅原道真 古今集巻9-420 小倉百人一首24)

鼻の色は 赤みにけりな 痛々し 我が鼻水の 流れせし間に
                                  (赤鼻小町)

 (本歌) 花の色は 移りにけりな いたづらに
              我が身世にふる ながめせし間に
             (小野小町 古今集巻2-113 小倉百人一首9)

 以上は、4年前に若草読書会の新年会の余興にと作った「お蔵百人一首」に所収の歌であります。
 「お蔵百人一首」はもう賞味期限切れになっていますが、「河内温泉大学図書館」にてご覧いただけます。

 今回の小生の風邪は咳のみにて、洟も熱も下痢も吐き気もないのでありますが、浅野内匠頭は、吐き気も時にあるようにて、

風邪さそふ 洟よりもなほ 咳はまた
            吐き気の名残り いかにとやせむ
                      (浅野嘔吐頭長咳)

 (本歌) 風さそふ 花よりもなほ われはまた
             春の名残りを いかにとやせむ
                (浅野内匠頭長矩 「仮名手本忠臣蔵」)

 次は、ブロ友のくまんパパさんの元旦のブログに紹介されていた大伴家持の歌、万葉集の棹尾を飾る歌に対してのコメントとして作りました戯れ歌です。

あらたしき 年の始めの 初春に 風邪引きたるか いや咳夜ごと
                                     (偐家持)

 (本歌) (あらた)しき 年の(はじめ)の 初春の 今日ふる雪の いや()吉事(よごと)
                    
(大伴家持 万葉集巻20-4516)

 偐家持、咳で夜ごとゼイゼイ言って居ります(笑)。
 という訳で、銀輪散歩もままならず、
 こんな事で記事と致して置きます。

北アルプスA(大).JPG
(北アルプス)

 







最終更新日  2014.10.12 08:23:41
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2011.12.30
カテゴリ:和歌・俳句・詩

明日のみに 年も()つるか 来るつ年
              ひとみな
()きく あれと祈らむ (偐家持)

 いよいよ今年も、今日、明日でおしまい。
 新しい年となります。
 今年最後のブログ記事といたします。
 今年一年ご訪問下さった皆さま、コメントを頂戴いたしました皆さま、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。
 今年は東日本大震災という未曽有の大災害に見舞われ、多くの方がお亡くなりになりました。そして、今なお復興の道筋が判然とせぬもどかしい状況の中で、被災地の皆さんが健気に頑張って居られます。
 思いやるということのほか何ほどのことも出来ぬヤカモチでありますが、新しい年に於いても、被災地のことを常に心にとめてまいりたきものと存じます。
 今年の漢字が「絆」であったように、不幸がはからずも人と人の結び付きを強く感じさせてくれるということでもありましたが、新しい年は「幸」で人と人が繋がって行くということでありたいものであります。
 どうぞ、皆さまよい新年をお迎え下さいませ。

 今日は、午前中に恒例の墓参をし、その足で山裾の野道を散策して参りました。それを記事(記事という程のこともないものではありますが)にまとめて、この一年の締めくくりといたします。

大阪平野.JPG
(墓から望む2011年12月30日朝の大阪平野)

押し照るや 難波(なには)の海は 遠そけど
             人の営み 絶えずもあらめ (偐家持)

001センダン.JPG
(センダン)センダンは万葉では楝<おうち>で登場します。

001センダン (2).JPG
(同上)

来るつ年 (とよ)にぞあれと (あふち)の実
           空高々に 数多(さは)にぞなれる (偐家持)

水仙 (3).JPG水仙 (4).JPG
(水仙)

  道の辺に水仙が咲いていました。顔を近づけてみると甘くやさしい香りに包まれました。

()きみ(たま) さきがけ咲ける 水仙の
            花とや待たむ あらたまの年 (偐家持)

水仙 (2).JPG(同上)

 







最終更新日  2015.02.13 09:05:14
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2011.12.02
カテゴリ:和歌・俳句・詩
  本日は何と言ってテーマもこれなくあれば、偐家持が作りたる長歌をここにまとめて置くことといたします。既に何処かのページに掲載されているものの再掲載でありますが、一堂に集めてみるというのも面白いかと。そう面白くもないか(笑)。

     若草の里の賦

春されば 花咲き匂ひ 朝風に 鳥もや来鳴く 夏されば 青葉さやぎて 夕風の 木陰に憩ひ 秋されば もみぢ葉燃ゆる 夕映えの 山ぞゆかしき 冬されば かぎろひ立ちて 山の端に 雲ぞたなびく 神さぶる 生駒高嶺の 帯にせる 恩智の川の 川の辺に 生ひて年経る 若草の 里ぞうるはし 思ふどち 恋ひて集ひし 語らひの とよのあかりを いや重ね 我妹我背子 絶えず通はめ

     反歌

若草の 里にぞ匂へ 咲く花の 色それぞれに 今盛りなり
若草の 道にぞ咲きし 花影の 絵筆の君の 千代にやゐませ

     竹田城址之賦

春されば 桜花咲き 秋されば もみぢ葉匂ひ 夕べには 月の船ゆき (あした)には 波立つ雲の 但馬なる 竹田の城に 播磨路ゆ 我が恋ひ来れば たたなづく 山は襞なし (めぐ)りゆく 川は帯なし 吹く風は 草に戯れ 飛ぶ鳥は 木末(こぬれ)にさやぐ 円山の 清き流れに 出で立ちて 振り放け見れば 虎臥(とらふ)すや 雄々し城址 高々に 空にぞ立ちて 鳴く蝉の 声のしぐれの 九十九(つづら)折る 山道(やまぢ)をゆけば 八重垣の 石は幾重ぞ 天空(てんくう)に 浮かべる城か 面影を 今に残せる 石垣に 偲べと云ふや 撫子(なでしこ)の 花は咲きけり 夏草は 風にぞ遊ぶ 松が枝の 影に渡りて 白雲は 流れぞゆかむ 青き空 照る日が(もと)に はるけくも 川面(かはも)は光り いや遠に 町はありけり いや遠に 道は靡けり もののふの 夢のいかにと 思へかも 竹田の城の 見れば悲しも

     反

我妹子を 思ひつゆけば 虎臥(とらふす)の 城に恋ふらむ 風の吹くらし
円山の 光れる川面 渡りゆく 風とならまし 銀輪の夏

 

     青雲会に寄す歌

春されば 桜花咲き 秋されば もみぢ葉匂ふ 待兼の 丘にぞ共に 学びたる 友のえにしや 若き日の 思ひな忘れそ あづまなる 我が背我妹子 青雲の たなびく空の 絶ゆるなく 継ぎて見が欲し のちにもあはめ

     反歌

足柄の み坂に秋の 雲立てば 相見む時の 君と偲ばむ

待兼の 丘の秋萩 今日咲きて 君待つらむぞ 青雲の庭

 

     独鈷山(       とっこさん)の賦

信濃(しなぬ)なる 神のみ坂に 出で立ちて ふりさけ見れば 朝風に 霧は立つらし 夕風に 雲は燃ゆらし  九十九(つづら)谷 か寄りかく寄り 春花の 咲ける盛りも 秋の葉の (にほ)へる時も いにしへゆ いや高々に 尊きと 人は見るらむ いや(さか)と 神は()ぐらむ 我が山の 独鈷(とっこ)の山は 神さびにけり

     反歌

秋深み 独鈷(とっこ)の山の 夕暮れは 恋ひや益される 雲燃えゆけば

 

     無題

風吹けば 風がまにまに 雨降れば 雨がまにまに 雲のごと 吹かれも行かむ 水のごと 流れも行かむ 何気なく 我もありたし 野の花と 咲きても散れる 身にしもあれば


     鶴見緑地の賦

光る(はね) 風車の丘と 人いへる 鶴見の丘は 春花の 咲ける盛りも 秋の葉の 匂へる時も 夏草の 繁き盛りも 冬雪の 降り来る日にも それぞれの ()しき色あり 出で立ちて ふりさけ見れば たたなづく 木々のほつ枝に 朝風は さやにぞ澄める 夕風は やはらに吹ける ()(くれ)の つづらの道は なつかしく もとほり行けば 大池の 水面(みなも)に映す 島山の 影も清めり 行く人の 影も絶えざり こちごちに 花も咲くあり 百鳥(ももどり)も 数多(さは)にぞ鳴ける 神さぶる 生駒高嶺(たかね)も はるけしと 遠み青みて 見ゆるあり 絶えず通はむ 鶴見野の 継ぎて見まくの 欲しき丘なり

     反歌

ゴミ山の 昔は知らず 鶴見丘 今は木の花 咲くやよき山

 

     木曽川の賦

しなざかる 信濃の木曽の 鉢山を 母とやすらむ 神さぶる 木曽の御嶽(みたけ)の  王滝を 父とやすらむ 山峡(やまかひ)を めぐりへ廻り 美濃尾張 伊勢の平野(ひらの)を 潤しつ 揖斐と長良を 従へて とどろの波の 伊勢の()に 注ぎたりける  木曽川は 春さり来れば 咲く花の 寝覚めの床に 散り流る 夏さり来れば  若鮎は さはにた走る 青葉陰(あをばかげ) 秋づきたれば はやばやに 山ゆもみぢの  降りも来て 冬さり来れば 雪深く ()ふ人絶えて 寝にやつく 川にぞあれり そらにみつ 大和の夜明け 見きとてか 暗き山路の 旅人の 道のしるべと 眺めやる 人も憩へり (いにしへ)ゆ ()の穂満つ田も 菜畑(なはたけ)も みなこの川の めぐみなり 見る人こぞり 褒めよこの川

     反歌

木曽川の 岸辺に立ちて 眺むれば 水面(みなも)の風は 木間(こま)ゆ光れり

木曽川の 春浅ければ ()の下は 枯草踏める 音のほかなき


 

  ついでに「漢詩もどき」も掲載して置きます(笑)。

     杜甫甫蝶之賦 (偐家持)

翅破菊芋在    翅破れて菊芋在り

野秋天空高    野は秋にして天空高し

感時花求蜜    時に感じて花に蜜を求め

恨季鳥驚心    (とき)を恨みて鳥に心を驚かす

夏日去一月    夏の日去りてひと月

盡家書万金    家書万金も盡く

鱗翅掻更短    鱗翅を掻けば更に短く

欲不勝飛翔    飛翔に()へざらんと欲す

      春望 (杜甫)

 国破山河在  国破れて 山河あり

 城春草木深  城春にして 草木深し

 感時花濺涙  時に感じては 花にも涙をそそぎ

 恨別鳥驚心  別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす

 烽火連三月  烽火 三月に連なり

 家書抵万金  家書 万金に(あた)

 白頭掻更短  白頭 ()けば更に短く

 渾欲不勝簪  (すべ)て (しん)()えざらんと欲す

 







最終更新日  2015.03.07 15:13:08
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2011.10.11
カテゴリ:和歌・俳句・詩

 智麻呂邸に立ち寄った後、恩智川沿いを少し銀輪散歩してから家に帰りました。真っ赤な夕日が西の空に沈んで行き、見返すと、それと入れ替わるようにして、生駒山の上にポッカリと月が出ました。
     ポッカリ月が出ましたら、
     自転車漕いで帰りませう。
 何やら調子の良い言葉が口をついて出ると思ったら、何のことはない、中原中也の詩の一部をなぞっているのでありました。処どころうろ覚えのその詩を口ずさみながら、暮れ行く恩智川辺を家路へと辿りました。

10月11日(旧暦9月15 日)の月 (3).JPG
​(生駒山の上に満月が・・)​

 今日は旧暦の9月15日。満月なのでした。
 中原中也の詩「湖上」のポッカリ出る月も、やはりこのような満月でないといけませんでしょうな。大伴家持が「ひと目見し人の眉引き」を思い出した「初月(三日月)」では、似合わない。

        湖上   (中原中也「山羊の歌」より)

   ポッカリ月が出ましたら、
   舟を浮べて出掛けませう。
   波はヒタヒタ打つでせう、
   
風も少しはあるでせう。

​​   沖に出たらば暗いでせう、
   櫂から滴垂(したゝ)​​る水の音は
   昵懇(ちか)​​しいものに聞こえませう。
   ――あなたの言葉の杜切(とぎ)​れ間を。​​​
​​
​​

​​​​   月は聴き耳立てるでせう、
   すこしは降りても来るでせう、
   われら接唇(くちづけ)する時に
   月は頭上にあるでせう。​
​​​

​​​   あなたはなほも、語るでせう、
   よしないことや拗言(すねごと)​​や、
   洩らさず私は聴くでせう、
   ――けれど漕ぐ手はやめないで。​​
​​

​​​​   ポッカリ月が出ましたら、
   舟を浮べて出掛けませう、
   波はヒタヒタ打つでせう、
   風も少しはあるでせう。​​​​

(18歳の中也)
<書斎の奥にあった中原中也全集(角川書店)の扉写真をデジカメで撮影しましたが、これは著作権法に抵触するのかな。さにあらば、削除しますが・・(笑)>

​ 中也の詩で月が照っている詩は次の2篇が思い浮かぶが、これは愛児、文也を亡くした後の作であるから、同じ月でも上の詩とはガラリ様相を異にする。​

      月の光 その一 (中原中也「在りし日の歌」より)

   月の光が照ってゐた
   月の光が照ってゐた

      お庭の隅の草叢(くさむら)
      隠れているのは死んだ兒だ

   月の光が照ってゐた
   月の光が照ってゐた

      おや、チルシスとアマントが
      芝生の上に出て来てる

   ギタアを持っては来てゐるが
   おっぽり出してあるばかり

      月の光が照ってゐた
      月の光が照ってゐた

 (注)チルシス=ヴェルレーヌの詩「マンドリン」の中の人物。ウェルギリウス
         の「牧歌」に出て来る羊飼い。
    アマント=同じく「マンドリン」の中の人物。こちらは、タッソーの牧歌
         「アミンタ」の主人公。アミンタのフランス語読みである。

      月の光 その二 (同上)

   おゝチルシスとアマントが
   庭に出て来て遊んでる

   ほんに今夜は春の宵
   なまあつたかい
(もや)もある

   月の光に照らされて
   庭のベンチの上にゐる

   ギタアがそばにはあるけれど
   いつかう弾き出しさうもない

   芝生のむかふは森でして
   とても黒々してゐます

   おゝチルシスとアマントが
   こそこそ話してゐる間

   森の中では死んだ子が
   蛍のやうに
(しゃが)んでる

<関連記事>2007.9.13. 「中也と泰子」
      2007.8.29. 「落陽は・・・」
      2007.5.14. 「中原中也の紛れ来て」

 <追記・注>
「18歳の中也」の写真が横倒しになった歪んだ画像になってしまっていたので、2020年10月28日これを復元修正しました。
過去記事の写真が歪んでいたりすること​ 2020.10.12.







最終更新日  2020.10.28 17:12:30
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