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偐万葉田舎家持歌集

全80件 (80件中 1-10件目)

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万葉

2021.10.01
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カテゴリ:万葉
​​​​​ ​日は、月例の墓参。
 今まで気が付かなかったが、我が家の墓の近くのお墓に立派なケイトウの花が​咲いていました。

(墓地に咲くケイトウの花)
 ケイトウは鶏頭で、ニワトリのトサカに似ていることからの呼称であり、鶏頭草、鶏冠草などとも表記する。
 この花は古来から日本にある花ではあるが、万葉集などでは「韓藍
(からあゐ)」と呼ばれているから、韓の国(古代の朝鮮、中国)からやって来た外来の植物である。
 万葉の頃は、韓藍という呼称が示すように、舶来の珍重すべきエキゾチックな花であったのだろう。

(同上)
 その墓前に供えてある花にもケイトウの花が混じっていたから、ケイトウはこのお墓に眠る人が生前こよなく愛した花であったのか、それともお墓を守っているお方が好きな花であるというに過ぎないのかなどと想像したり。
 まあ、何にしても、墓石よりも草丈が高く、立派に育って、いかにも目立って咲いているのでありました。
 万葉の歌でも、恋心を顔に出して目立ってしまうことの比喩としてこの花のことを詠っているものがある。

(同上)
 ケイトウの万葉歌を記して置きましょう。

我がやどに 韓藍(からあゐ)()(おほ)ほし 枯れぬれど 懲りずてまたも ()かむとそ(おも)
                              (山部赤人 万葉集巻3-384

(我が家の庭に鶏頭を蒔き育てたけれど枯れてしまった。しかし、懲りずにまた種を蒔こうと思う。)

秋さらば 移しもせむと 我が()きし 韓藍(からあゐ)の花を (たれ)か摘みけむ
                              (万葉集巻7-1362

(秋になったら移し染めにもしようと、私が蒔いた鶏頭の花を、誰が摘んでしまったのか。)

恋ふる日の ()長くしあれば 我が園の 韓藍(からあゐ)の花の 色に()でにけり
                                 (万葉集巻10-2278

(恋しく思う日々が長くあったので、我が家の庭の鶏頭の花のように顔色に出てしまいました。)

隠​(こも)りには 恋ひて死ぬとも み園生(そのふ)の 韓藍(からあゐ)の花の 色に()でめやも
                               (万葉集巻11-2784

(人知れず恋い死にすることがあっても、お庭に生えている鶏頭の花のように、色に出したりしましょうか。)

​​​​ 前二首は、男性の歌で、韓藍の花を女性に喩えている歌である。
 山部赤人さんは、春には女性をスミレに喩えて「一夜寝にける」と詠んだけれど、秋には「鶏頭の花」に喩えて「もう一度恋を仕掛けよう。」と詠んでいる。まさに懲りぬ人である(笑)。
 二首目のそれは、恋人を横取りされてしまった男の歌ですな。
 後二首は、女性の歌でしょうか。
 恋心を顔色に出してしまいました、という歌と、顔色には出しません、という歌であるが、どちらも切ない自身の恋心を相手に訴えかけている歌であるから、歌の意は同じである。
 まあ、何れの歌も、墓参に関連付けて取り上げるには、いささか不適切な歌でありました(笑)。
 さて、墓参の際の恒例の「門前の言葉」であるが、これは1日の朝ということでもあった所為か、前月の墓参の時の掲示のままでありましたので、撮影はせず、でありました。

(今日の墓地からの眺め)
 朝のうちは台風の影響もあってか、上の写真のように、雲の多い空。
 午後になって雲の切れ間が大きくなり、日差しも。
 時折、強い風が北から吹いて、午後の銀輪散歩で恩智川沿いを北方向に走っている時などは、いつもより強くペダルを踏むも、風の抵抗で速度はかなり減殺されました。まあ、これは朝の墓参とは関係のない話。
 墓地の一番高い位置にあるシンボルツリーのクスノキ。左半分が枯れ始めていることは、以前の記事で紹介しましたが、更にそれが顕著になって来ている気がします。

(今日のクスノキ)
 道の辺の民家の庭先にあるナツメの木の実が茶色に色づいているのを撮影しましたが、帰宅してPCに取り込んでみると、ピンボケ。実に焦点が合っていなかったようで、没に。
 帰途、そのお宅の前を通ると、奥さんがナツメの枝を高枝ハサミで剪定して居られました。お声がけすると「枝に棘があるので、迷惑になってもいけないので、伸びすぎたのを摘んでいます。」とのこと。そうか、ナツメには棘があったのか、と今頃気づいた次第。
 また、もう少し自宅寄りの位置にある大きな池の土手にオキザリスの花が群れ咲いていたので、撮影。

(オキザリス・ボーウィ)
 学名がOxalis bowiei。
 和名は、セイヨウカタバミまたはハナカタバミとのこと。
 園芸種が野生化して土手に群生するようになったのでしょう。
 在来のムラサキカタバミより花も大きく、色も濃いのでよく目立つ。
 カタバミと呼ばずオキザリスなどと呼ぶ点などは、万葉の頃、ケイトウを韓藍と呼んだのと同じ感覚であるのかもしれない。
 ジョロウグモの写真も撮りましたが、これは虫カテゴリの記事用に取って置くこととし、当記事には掲載しないこととします。
 ジョロウグモは女郎蜘蛛というのが普通であるが、上臈蜘蛛が語源だという説もある。
 韓藍も、「み園生の」とあるように、貴族の邸宅の庭である「園・苑」に咲く花であり、庶民の庭や野に咲く花ではない。
 従って、それが比喩される女性も韓風に装った官女や貴族の女性であるから、上臈で、上臈蜘蛛と相通じる。よって、この記事にその写真を掲載しても違和感がないのでは、などと考えもしましたが、それはヤカモチ的屁理屈に過ぎず、一般の理解、感覚とは遊離したものであるだろうと、思いとどまったという次第。
​​​​<参考>万葉関連の過去記事は​コチラ​。​​​​

    墓参関連の過去記事は​コチラ​。






最終更新日  2021.10.01 22:58:28
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2021.08.17
カテゴリ:万葉
​​​ 今日も雨。
 甲子園の球児たちも雨に泣かされているようです。
 銀輪家持も蟄居を余儀なくされての雨障
(あまつつみ)にて、脚力が衰えて行くに任せるのほかなしであります。
 先日(13日)の墓参は雨間を利用してのものでしたが、この「雨間」というのは、雨と雨との間、雨の合間という意味。
 万葉の頃から使われている言葉であるが、万葉の頃は「雨の降っている間」という意味で、現在のような意味で使われるのは平安時代以降ということらしい。

卯の花の 過ぎば惜しみか ほととぎす
      
雨間(あまま)も置かず こゆ鳴き渡る (大伴家持 万葉集巻8-1491
(卯の花が散ってしまうのを惜しんでか、ホトトギスは雨の降る間も休みなくこちらあたりから鳴き渡ってゆく。)

ひさかたの 雨間(あまま)も置かず 雲隠(くもがく)
     鳴きそ行くなる 
早稲田(わさだ)(かり)がね (大伴家持 万葉集巻8-1566

(<ひさかたの>雨の降っている間も休みなく、雲に隠れて鳴いて行く声がする、早稲田の雁が。)

雨間(あまま)明けて 国見もせむを 故郷(ふるさと)
        花橘は 散りにけむかも (万葉集巻
10-1971

(雨が止んで国見もしたいのに、故郷の橘の花は散ってしまったことだろうか。)

十月(かみなづき) 雨間(あまま)も置かず 降りにせば
      いづれの里の 宿か借らまし (万葉集巻
12-3214

(十月の雨が止む時もなく降り続くとしたら、どのあたりの家に雨宿りをしたらいいのだろうか。)

​​ 雨間の訓は「​あまま」とか「あまあい(あまあひ)」であるが、​「あまあい」の方は「雨の合間」という平安時代以降の意味になってからの訓であろう。
 以下は閑人家持の「イマジン」ヒマ論であるが、ヒマ(暇・隙)というのは「合間・あひま」の「あ」が脱落して「ひま」となったものなんだろう。
 物事と物事との時間的な間が「暇」で、空間的な間が「隙」である。
 ヒマとは仕事(なすべきこと)と仕事の間の何もすることのない時間、何をしてもよい時間だとすると、閑人家持のように、そもそも仕事・なすべきことが何とてもない365日連休の人間にとっては「合間」としての時間という意味でのヒマとはちょっと意味が違って来るから、別の言葉で表現する方がいいように思うが、そんな奴のために新語を考えるほど世間はヒマではないから、ヒマでよかろうと言うことなんだろう。
 ヒマがマ(間)に由来するとして、日本人は「間」というものを大切にする民族である。
 あやまち(過ち)、あやまり(誤り)を「間違い」とも言い、「間」を間違うと「間抜け」と馬鹿にされることでも、それが分かるというもの。
 「間」とは、人と人との距離感或いは物事と人との距離感のようなものと言っていいだろうか。
 この距離感に応じて、言葉表現も使い分けなければならない。
 丁寧語、尊敬語、謙譲語などと複雑な敬語表現のある日本語の由縁もここにあるのだろう。
 伝達すべき内容の正しさもさることながら、この距離感に相応した言葉表現がそれ以上に大切にされるのである。
 そして、もう一つは「和」。
 聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と言って以来、日本を大和(大いなる和)と表現して以来、「和す」ことを第一と考えて来た日本人。
 それは、「行間を読む」とか「言外を知る」とか、相手の意を先んじて汲み取り、それに相応しい行動をとる「忖度」という美風ともなった。
 しかし、一方では、それは、近時の官僚の「忖度」によって、忖度の意味も堕落したものとなったように、また「空気を読めない奴」という蔑視的表現が成立する同調圧力の強い社会という負の側面を持つことでもあった。
 まあ、何であれ、この「間」というのは、何とも微妙で曖昧なもので、論理性とか正確性とかとは対極のもの。
 「和」も同様にて、「間」によって保たれているに過ぎない「和」というものは危ういものである。
 雨間の話から脱線して、だんだんと「間」の抜けた方向に話が進んでいるようですから、雨間に戻ることにします。
 外の雨脚がひと際強くなりました。
 昨日、鳴いていたツクツクボウシも、さすがにこの雨では鳴かず、泣いていることでしょう。
 雨間も置かず鳴いているというホトトギスはもちろん、カラスもハトもスズメも皆、どこかで雨宿り。
 雨間を縫っての13日の墓参の折に見かけた蛾の夫婦は今頃はどうしているものやら。

(ノメイガの一種 ホシオビホソノメイガかも知れない。)
 墓参の折に、木の葉が散ったのかと足元を見たら、小さな蛾の夫婦でありました。
 ツトガ科ノメイガ亜科に属する蛾も色々ですが、これはそのうちの一種、ホシオビホソノメイガだろうと思われます。

 今日は、雨間のお話でした。






最終更新日  2021.08.17 15:27:06
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2021.07.13
カテゴリ:万葉

​​ ​今年初めて蝉の声を耳にしたのは、7月10日。
 この時は、アブラゼミとニイニイゼミの声。
 翌日の11日の朝には​自宅に居て、クマゼミの鳴く声が聞かれました。
 今朝も鳴いています。
 ヤカモチ気象台は10日に梅雨明け宣言を発しましたが、大阪の気象台は未だ梅雨明け宣言をしていません。

(今朝の空 午前10時頃)
 肉眼では青色がもっと薄く、薄曇りといった感じでしたが、カメラの方がヤカモチ気象台の宣言を忖度したのか、青色が濃くなっています。
気象台 言はぬ梅雨明け しかすがに 我家の庭に くまぜみ鳴くも(偐家持)
(本歌)うちらし 雪は降りつつ しかすがに
                 
我家わぎへの園に うぐひす鳴くも
(大伴家持 万葉集巻8-1441

 大伴家持さんは貴族、偐家持は庶民。
 貴族の庭は「園、苑」であるが、庶民のそれは「庭、屋前」である。
 「しかすがに」は、相反するものを並べて言う場合に使う語で、「そうではあるけれど」、「だが、しかし」というような意味である。
 副詞「しか」に、動詞「す」の終止形、接続助詞「がに」がくっついて一語化したもの。現在、「さすがに、それは無理だろう。」などと使う「さすがに」は、この「しかすがに」の「しか」が「さ」に変化したものである。
 九州、中・四国は今日梅雨明け宣言したようだから、「さすがに大阪もそろそろ梅雨明け宣言だろう。」という風に言うべきか(
笑)。
​(追記訂正:2021.7.16.)
上記文中の「九州、中・四国」の「四国」は誤りで、四国は未だ梅雨明け宣言されていません。本日(7月16日)現在、梅雨明けが宣言されていないのは、四国、近畿、東海のみであります(関東甲信、東北は本日16日梅雨明け)。​


​​







最終更新日  2021.07.16 13:03:02
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2020.02.21
カテゴリ:万葉
「雪の万葉歌」短歌111首を書き出すということをしていて、気付いたことがあります。
 今月2日の若草読書会で、梅花の歌32首とその序文を話題ににしたことは、既述の通りであるが、この宴が行われたのは天平2年正月13日(730年2月4日)のことである。
 天平に改元されたのは、神亀6年(729年)8月5日のことであるから、天平2年の正月というのは、天平に改元されて初めての正月であったのだということでした。
 令和に改元されて初めての正月が今年の正月であったのだから、令和2年の正月と天平2年の正月は、その点でも共通しているということ。
 まあ、改元が年の途中で行われると、その元号の下での最初の正月が新元号2年のこととなるのは当たり前のことであるから、これに気付かなかったというのは不正確で、そのことに思いが至らなかった、と言うべきか。笑止のことであります。
 時すでに梅の花も多くは散り出しているが、今頃になってこんなことを言い出しているのは間の抜けたことである。しかし、間抜けついでに、遅まきながら、梅花の歌32首の序文を、ブログに書きとどめ、今後の資料とでもして置くか。
<梅花の歌32首の序文(万葉集第8巻)>

天平二年正月十三日、帥老(そちらう)(いへ)(あつ)まり、宴会(えんかい)()ぶ。(とき)初春(しょしゅん)の令(げつ)()(うるは)しく風(やは)らぐ。梅は鏡前の粉に(ひら)き、蘭は佩後(はいご)(かをり)(かを)る。加以(しかのみならず)、曙の嶺に雲移りて、松は(うすもの)を掛けて(きぬがさ)を傾け、夕の(くき)に霧結びて、鳥は(こめのきぬ)(とざ)されて林に迷ふ。庭に新蝶(しんてふ)舞ひ、空に故雁(こがん)歸る。ここに於て、天を(きぬがさ)にし、地を(しきゐ)にし、膝を(ちかづ)(さかづき)を飛ばす。(こと)を一室の(うち)に忘れ、(ころものくび)煙霞(えんか)(ほか)に開く。(たん)(ぜん)として(みづか)(ほしいまま)にし、快然(くわいぜん)として自ら足る。若し(もし)(かん)(ゑん)に非ざれば、何を(もち)てか(こころ)()べむ。詩に落梅の篇を(しる)す。古今それ何ぞ異ならむ。宜しく園梅(ゑんばい)を賦して、(いささ)かに短詠を成すべし。
(天平2年<730年>正月13日、帥老の宅に集まって宴会を開く。あたかも初春のよき月、気はうららかににして風は穏やかだ。梅は鏡台の前の白粉のような色に花開き、蘭は腰につける匂い袋のあとに漂う香に薫っている。しかも、朝の嶺には雲が移り行き、松は雲の薄絹を掛けたように傘を傾け、夕べの山洞<又は「山の峰」か>には霧が立ち込め、鳥は霧の縮緬に閉ざされたように林に迷い飛ぶ。庭にはこの春に現れた蝶が舞い、空には去年の秋に来た雁が北へ帰って行く。さてそこで、天空を覆いとし、大地を敷物としてくつろぎ、膝を寄せ合っては酒盃を飛ばす如くに応酬する。一堂に会しては言葉を忘れ、美しい景色に向かっては心を解き放つ。さっぱりとして心に憚ることなく、快くして満ち足りている。詩歌によるのでなければ、この思いを語ることはできない。詩に落梅の篇を作る。昔も今もどんな違​いがあろう。さあ、園梅を詠んで、ここに短歌を試みに作ってみようではないか。)
※蘭=フジバカマのこと。葉に芳香がある。
 
佩=中国の君子たちが印章や香袋を懸けるためのベルトのこと。
 
翰苑=「筆の苑」。ここでは詩歌のことをさす。
 
詩に落梅の・・=六朝時代の古楽府に「梅花落」を題とする諸作のあることを言っている。

(坂本八幡宮 帥老・大伴旅人の邸宅があった辺りとされる。再掲載)
<参考>太宰府銀輪散歩(4)・大野山霧立ちわたる​ 2015.1.17.










最終更新日  2020.02.21 18:02:58
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2020.02.19
カテゴリ:万葉
​(承前​)
 前頁の続編です。
 雪の万葉歌全111首(但し、短歌に限る。)​のうち第1巻~第10巻所収のもの73首は前頁の「雪の万葉歌(上巻)」に掲載しました。
 本頁では第11巻~第20巻所収の残り38首を以下に掲載します。
 まあ、自身の「資料用」みたいな記事ですから、ご訪問いただいたお方には、「単なる万葉集の歌の羅列に過ぎないではないか。」と失望させてしまう内容ですが、お赦しを。
 雪の写真などで誤魔化して置きましょう(笑)。

(京都・小塩山での雪。古い写真<2012年2月17日>の再掲です。)
<参考>小塩山登山 2012.2.27.

第11巻​​
(なし)
第12巻

み雪降る 越の大山(おほやま) 行き過ぎて
        いづれの日にか ()が里を見む (巻12-3153

第13巻

み雪降る 吉野の(たけ)に ()る雲の
        よそに見し児に 恋ひわたるかも (巻13-3294

第14巻

筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる (いな)をかも
       かなしき児ろが (にの)乾さるかも (東歌 巻14-3351

第15巻(なし)
第16巻​

ぬばたまの 黒髪濡れて 沫雪(あわゆき)
      降るにや来ます ここだ恋ふれば (娘子 巻16-3805

第17巻

園生(そのふ)の 百木(ももき)の梅の 散る花し
     (あめ)に飛び上がり 雪と降りけむ (大伴家持 巻17-3906

降る雪の 白髪(しろかみ)までに 大君(おほきみ)
        仕え(まつ)れば (たふと)くもあるか (橘諸兄 巻17-3922

(あめ)の下 すでに(おほ)ひて 降る雪の
         光を見れば 貴くもあるか (紀清人 巻17-3923

山の(かひ) そことも見えず 一昨日(おとつひ)
       昨日(きのふ)今日(けふ)も 雪の降れれば (紀男梶 巻17-3924

(あらた)しき 年の初めに 豊の(とし)
 
     しるすとならし 雪の降れるは (葛井諸会 巻17-3925

大宮の 内にも外にも 光るまで
    降れる白雪 見れど飽かぬかも (大伴家持 巻17-3926

庭に降る 雪は千重(ちへ)敷く (しか)のみに
      思ひて君を ()が待たなくに (大伴家持 巻17-3960

立山(たちやま)に 降り置ける雪の 常夏(とこなつ)
     見れども飽かず (かむ)からならし (大伴家持 巻17-4001

立山(たちやま)に 降り置ける雪の 常夏(とこなつ)
     ()ずてわたるは (かむ)ながらとそ (大伴池主 巻17-4004

婦負(めひ)の野の すすき押しなべ 降る雪に
       宿借る今日し 悲しく思ほゆ (高市黒人 巻17-4016

立山(たちやま)の 雪し()らしも 延槻(はひつき)
       川の渡り() (あぶみ)()かすも (大伴家持 巻17-4024

第18巻

雪の(うへ)に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
     折りて送らむ ()しき児もがも (大伴家持 巻18-4134

第19巻

わが園の (すもも)の花か 庭に降る
     はだれのいまだ 残りたるかも (大伴家持 巻19-4140

この雪の ()残る時に いざ行かな
      (やま)(たちばな)の 実の照るも見む (大伴家持 巻19-4226

ありつつも ()したまはむそ 大殿の
     このもとほりの 雪な踏みそね (三方沙弥 巻19-4228

(あらた)しき 年の初めは いや年に
       雪踏み(なら)し 常かくにもが (大伴家持 巻19-4229

降る雪を 腰になづみて 参り来し
       (しるし)もあるか 年の初めに (大伴家持 巻19-4230

なでしこは 秋咲くものを 君が家の
      雪の(いはほ)に 咲けりけるかも (久米広縄 巻19-4231

雪の山斎(しま) (いはほ)に植ゑたる なでしこは
     千代に咲かぬか 君がかざしに (蒲生娘子 巻19-4232

うち羽振(はぶ)き (かけ)は鳴くとも かくばかり
      降り敷く雪に 君いまさめやも (内蔵縄麻呂 巻19-4233

鳴く(かけ)は いやしき鳴けど 降る雪の
     千重に積めこそ ()が立ちかてね (大伴家持 巻19-4234

白雪の 降り敷く山を 越え行かむ
       君をそもとな 息の緒に思ふ (大伴家持 巻19-4281

(こと)(しげ)み (あひ)()はなくに 梅の花
     雪にしをれて うつろはむかも (石上宅嗣 巻19-4282

梅の花 咲けるが(なか)に (ふふ)めるは
       恋ひや(こも)れる 雪を待つとか (茨田王 巻19-4283

大宮の 内にも()にも めづらしく
      降れる大雪 な踏みそね()し (大伴家持 巻19-4285

園生(そのふ)の 竹の林に うぐひすは
     しば鳴きにしを 雪は降りつつ (大伴家持 巻19-4286

うぐひすの 鳴きし垣内(かきつ)に にほへりし
       梅この雪に うつろふらむか (大伴家持 巻19-4287

()にも 雪は降れれし 宮の内に
        千鳥鳴くらし ()む所なみ (大伴家持 巻19-4288

第20巻

松が()の (つち)に着くまで 降る雪を
     見ずてや妹が (こも)()るらむ (石川内命婦 巻20-4439

高山の (いはほ)()ふる (すが)の根の
      ねもころごろに 降り置く白雪 (橘諸兄 巻20-4454

()残りの 雪にあへ照る あしひきの
       (やま)(たちばな)を つとに摘み()な (大伴家持 巻20-4471

初雪(はつゆき)は 千重に降りしけ 恋ひしくの
       多かる(われ)は 見つつ偲はむ (大原今城 巻20-4475

み雪降る 冬は今日(けふ)のみ うぐひすの
     鳴かむ春へは 明日(あす)にしあるらし (三形王 巻20-4488

(あらた)しき 年の初めの 初春(はつはる)
      今日(けふ)降る雪の いやしけ吉事(よごと) (大伴家持 巻20-4516

 以上、38首。
  第1巻~第10巻 73首
第11巻~第20巻 38首 合計111首
 雪の万葉歌の数は、梅のそれよりもやや少なく、桜のそれよりもずっと多い、ということが分かりました。







最終更新日  2020.02.19 10:51:46
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2020.02.18
カテゴリ:万葉
​​ 日は、西日本中心に広い地域で雪が降ったようだが、わが大阪は、少なくとも東大阪市平野部はチラとも雪は「降りも来ずけむ」でありました。
 当地は雪は降らなかったのであるが、因みにと、雪を詠んでいる歌、雪という詞が含まれる歌は万葉に何首あるのだろうと、手許の万葉集をパラパラとめくって調べてみると111首ありました。
 見落としている歌がもしあるなら、その分これよりも多くなる。
 長歌で雪が登場する歌は、知っているだけでも5首あり、これら長歌も含めると雪の歌は百十数首あるということになる。
 今後の参考にと、これを記事に書きとめて置くことにします。
第1巻には雪の歌が見当たらず、第2巻の天武天皇と五百重娘
(藤原鎌足の娘にして、天武天皇の夫人、新田部皇子の母でもある。)​との軽妙なやり取りの、あの有名な歌が万葉集最初の雪の歌のようです。そして、最後の雪の歌は大伴家持の万葉集掉尾の歌、新しき年の始めの初春の・・の歌である。
(注)上記は、長歌を度外視してのことです。長歌では第1巻25番の天武天皇御製の吉野での歌に雪が詠われている。また、霰も雪の内と考えれば、同じく第1巻65番の長皇子の歌に「霰」が登場している。
第1巻​
(なし)
第2巻
わが里に 大雪降れり 大原の

    ()りにし里に 降らまくはのち (天武天皇 巻2-103

わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
        雪の
(くだ)けし そこに散りけむ (藤原夫人 巻2-104

降る雪は あはにな降りそ 吉隠(よなばり)
        猪養(ゐかひ)の岡の 寒からなくに (穂積皇子 巻2-203

第3巻

田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ
         富士の高嶺に 雪は降りける (山部赤人 巻3-318

富士の()に 降り置く雪は 六月(みなづき)
    十五日(もち)()ぬれば その夜降りけり (高橋虫麻呂 巻3-320

第4巻

道に逢ひて ()まししからに 降る雪の
     ()なば()ぬがに 恋ふといふ我妹(わぎも) (聖武天皇 巻4-624

第5巻

わが園に 梅の花散る ひさかたの
       (あめ)より雪の 流れ来るかも (大伴旅人 巻5-822

梅の花 散らくはいづく しかすがに
      この()の山に 雪は降りつつ (大伴百代 巻5-823

妹が()に 雪かも降ると 見るまでに
        ここだも(まが)ふ 梅の花かも (小野国堅 巻5-844

第6巻

奥山の 真木の葉しのぎ 降る雪の
     降りは増すとも 地に落ちめやも (橘奈良麻呂 巻6-1010

第7巻(なし)
第8巻​

沫雪(あわゆき)か はだれに降ると 見るまでに
        (なが)らへ散るは 何の花そも (駿河采女 巻8-1420

我が背子に 見せむと思ひし 梅の花
      それとも見えず 雪の降れれば (山部赤人 巻81426

明日よりは 春菜摘まむと ()めし野に
        昨日(きのふ)今日(けふ)も 雪は降りつつ (山部赤人 巻8-1427

沫雪の ほどろほどろに 降りしけば
        奈良の都し 思ほゆるかも (大伴旅人 巻8-1639

我が岡に 盛りに咲ける 梅の花
       残れる雪を まがへつるかな (大伴旅人 巻8-1640

沫雪に 降らえて咲ける 梅の花
      君がり遣らば ()そへてむかも (角広弁 巻8-1641

たな()らひ 雪も降らぬか 梅の花
     咲かぬが(しろ)に そへてだに見む (安倍奥道 巻8-1642

天霧(あまぎ)らし 雪も降らぬか いちしろく
      このいつ(しば)に 降らまくを見む (若桜部君足 巻8-1643

我がやどの 冬木(ふゆき)(うへ)に 降る雪を
       梅の花かと うち見つるかも (巨勢宿奈麻呂 巻8-1645

ぬばたまの 今夜(こよひ)の雪に いざ濡れな
      明けむ(あした)に ()なば惜しけむ (小治田東麻呂 巻8-1646

梅の花 枝にか散ると 見るまでに
       風に乱れて 雪そ降り来る (忌部黒麻呂 巻8-1647

十二月(しはす)には 沫雪降ると 知らねかも
         梅の花咲く (ふふ)めらずして (紀女郎 巻8-1648

今日降りし 雪に(きほ)ひて 我がやどの
        冬木の梅は 花咲きにけり (大伴家持 巻81649

池の()の 松の末葉(うらば)に 降る雪は
        五百重(いほへ)降り()け 明日さへも見む (巻8-1650

沫雪(あわゆき)の このころ継ぎて かく降らば
        梅の初花(はつはな) 散りか過ぎなむ (坂上郎女 巻8-1651

松陰(まつかげ)の 浅茅(あさぢ)が上の 白雪(しらゆき)
     ()たずて置かむ ことはかもなき (坂上郎女 巻8-1654

高山の (すが)の葉しのぎ 降る雪の
      ()ぬとか言はも 恋の繁けく (三国人足 巻8-1655

我が背子と 二人見ませば いくばくか
        この降る雪の 嬉しからまし (光明皇后 巻8-1658

真木(まき)(うへ)に 降り置ける雪の しくしくも
       思ほゆるかも さ()問へ我が背 (他田広津娘子 巻8-1659

沫雪の 消ぬべきものを 今までに
      ながらへぬるは 妹に逢はむとそ (大伴田村大嬢 巻8-1662

沫雪の 庭に降り敷き 寒き夜を
      手枕(たまくら)まかず ひとりかも寝む (大伴家持 巻8-1663

第9巻

御食(みけ)向かふ 南淵山(みなぶちやま)の (いはほ)には
     降りしはだれか 消え残りたる (柿本人麻呂歌集 巻9-1709

越路(こしぢ)の 雪降る山を 越えむ日は
       ()まれる我を かけて(しの)はせ (笠金村 巻9-1786

第10巻

うちなびく 春さり来れば しかすがに
          天雲(あまくも)()らひ 雪は降りつつ (巻10-1832

梅の花 降り(おほ)ふ雪を 包み持ち
       君に見せむと 取れば()につつ (巻10-1833

梅の花 咲き散り過ぎぬ しかすがに
         白雪庭に 降りしきりつつ (巻10-1834

今さらに 雪降らめやも かぎろひの
         燃ゆる春へと なりにしものを (巻10-1835

風交じり 雪は降りつつ しかすがに
         霞たなびき 春さりにけり (巻10-1836

山のまに うぐひす鳴きて うちなびく
         春と思へど 雪降りしきぬ (巻10-1837

()(うへ)に 降り置ける雪し 風のむた
        ここに散るらし 春にはあれども (巻10-1838

君がため 山田の沢に ゑぐ摘むと 
         雪消(ゆきげ)の水に 裳の裾濡れぬ (巻10-1839

梅が枝に 鳴きて移ろふ うぐひすの
           羽白たへに 沫雪そ降る (巻10-1840

山高み 降り来る雪を 梅の花
        散りかも来ると 思ひつるかも (巻10-1841

雪をおきて 梅をな恋ひそ あしひきの
          山片付(かたづ)きて 家居(いへゐ)せる君 (巻10-1842

山のまに 雪は降りつつ しかすがに
          この川楊は 萌えにけるかも (巻10-1848

山のまの 雪は消ざるを みなぎらふ
         川の沿ひには 萌えにけるかも (巻10-1849

雪見れば いまだ冬なり しかすがに
          春霞立ち 梅は散りつつ (巻10-1862

あしひきの 山かも高き 巻向(まきむく)
        (きし)の小松に み雪降り来る (巻10-2313

巻向の 檜原(ひばら)もいまだ (くも)()ねば
         小松が(うれ)ゆ 沫雪流る (巻10-2314

あしひきの 山路も知らず 白橿(しらかし)
         枝もとををに 雪の降れれば (巻10-2315

奈良山の 峰なほ()らふ うべしこそ
          (まがき)のもとの 雪は()ずけれ (巻10-2316

こと降らば 袖さへ濡れて 通るべく
          降りなむ雪の 空に()につつ (巻10-2317

夜を寒み 朝戸を開き 出で見れば
         庭もはだらに み雪降りたり (巻10-2318

夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 雪そ降りたる (巻10-2319

我が袖に 降りつる雪も 流れ行きて
         妹が手本(たもと)に い行き触れぬか (巻10-2320

沫雪は 今日はな降りそ 白たへの
         袖まき()さむ 人もあらなくに (巻10-2321

はなはだも 降らぬ雪ゆゑ ここだくも
           天つみ空は 曇らひにつつ (巻10-2322

わが背子を 今か今かと ()で見れば
            沫雪降れり 庭もほどろに (巻10-2323

あしひきの 山に白きは 我がやどに
           昨日(きのふ)(ゆふへ) 降りし雪かも (巻10-2324

雪寒み 咲きには咲かず 梅の花

       よしこのころは かくてもあるがね (巻10-2329

八田(やた)の野の 浅茅色づく 愛発山(あらちやま) 峰の沫雪 寒く降るらし (巻10-2331

降る雪の 空に()ぬべく 恋ふれども
   逢ふよしなしに 月そ経にける (柿本人麻呂歌集巻10-2333

沫雪は 千重に降りしけ 恋ひしくの
     ()長き(あれ)は 見つつ偲はむ (柿本人麻呂歌集 巻10-2334

吉隠(よなばり)の 野木(のぎ)に降り覆ふ 白雪の
        いちしろくしも 恋ひむ(あれ)かも (巻10-2339

一目(ひとめ)見し 人に恋ふらく 天霧(あまぎ)らし
        降り来る雪の ()ぬべく思ほゆ (巻10-2340

思ひ出づる 時はすべなみ 豊国(とよくに)
         木綿山(ゆふやま)雪の ()ぬべく思ほゆ (巻10-2341

(いめ)のごと 君を相見て 天霧(あまぎ)らし
        降り来る雪の ()ぬべく思ほゆ (巻10-2342

我が背子が (こと)うるはしみ 出でて行かば
         裳引(もび)(しる)けむ 雪な降りそね (巻10-2343

梅の花 それとも見えず 降る雪の
        いちしろけむな ()使(つか)ひ遣らば (巻10-2344

天霧らひ 降り来る雪の ()なめども
        君に逢はむと ながらへわたる (巻10-2345

うかねらふ 跡見山(とみやま)雪の いちしろく
         恋ひば妹が名 人知らむかも (巻10-2346

海人小舟(あまをぶね) 泊瀬(はつせ)の山に 降る雪の
          ()長く恋ひし 君が(おと)そする (巻10-2347

和射美(わざみ)の 峰行き過ぎて 降る雪の
          厭ひもなしと 申せその兒に (巻10-2348

 以上73首(第10巻まで)
 第11巻~20巻は、ページを改め「雪の万葉歌(下巻)」として記事アップすることとします。

(雪の浅間山)






最終更新日  2020.02.19 09:50:16
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2020.01.19
カテゴリ:万葉
​​​ 友人から電話があって、話をしている中で、このところブログの更新が無いが、どうしたのかという話になった。
 別に、どうもしていない、ネタが無いだけと答えたが、ネタが無いからと何日も更新しないでいると、「何かあったのか」というご心配をお掛けするというか、不審を招くようであります(笑)。
 さりとて、ネタが無ければ記事の更新も出来ない相談、ということで、無理矢理に記事を書いてみることに。

 年賀状に万葉集などから新年に相応しいと思われる歌を記すというのが、ここ何年かのわが年賀状のお決まりのパターンである。
 で、過去の年賀状に取り上げた歌を羅列してみようと思い立ったものの、気が付けば、もう分からぬこととなっている年度も多くあることに気が付きました。
 わかる範囲で書き留めれば以下の通りである。

1994
(あらた)しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや()吉事(よごと
                   (大伴家持 万葉集巻20-4516


(因幡国庁跡の4516番歌碑)
鳥取銀輪散歩・因幡万葉の里へ​(2011.10.28.)からの再掲。
  この歌の歌碑の写真は、次の記事にも掲載されています。
  氷見銀輪散歩(1)・家持歌碑めぐり​(2012.11.7.)

1995
(あらた)しき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは
                     葛井諸会 万葉集巻17-3925

1996
あたらしき 年の始に かくしつつ 千年(ちとせ)をかねて たのしきを積め
                          (古今和歌集巻20-1069

1997
不明

1998
(あら)しき 年の初めは (いや)年に 雪踏み(なら)し 常にかくにもが
                    大伴家持 万葉集巻19-4229

1999
不明
2000
不明

2001
霞立つ 春のはじめを 今日のごと 見むと思へば 楽しとぞ()
                      (大伴池主 万葉集巻20-4300

2002
山の()に 雪は降りつつ しかすがに この河楊(かはやぎ)は 萌えにけるかも
                               (万葉集巻10-1848

2003
時は今 春になりぬと み雪ふる 遠山のべに 霞たなびく
                   (中臣武良自 万葉集巻8-1439

2004
睦月立つ 春の始めに かくしつつ あひし笑みてば ときじけめやも
                        (大伴家持 万葉集巻18-4137

2005
うちなびき 春来たるらし 山のまの 遠き木末(こぬれ)の 咲き行く見れば
                         尾張連 万葉集巻8-1422

2006
父の喪中

2007
不明

2008
不明

2009
風まじり 雪は降りつつ しかすがに 霞たなびき 春さりにけり
                            (万葉集巻10-1836

2010年
​不明
※下記の歌かもしれない。​​​

昨日(きそ)そは 年は()てしか 春霞 春日(かすが)の山に はや立ちにけり
                            (万葉集巻10-1843
2011年
​不明​※下記の歌かもしれない。

浅緑 ()めかけたりと 見るまでに 春の(やなぎ)は もえにけるかも
                            (万葉集巻10-1847)
2012

不明​※下記の歌かもしれない。​
 山の()の 雪は()ざるを みなぎらふ 川の(やなぎ)は もえにけるかも
                            (万葉集 巻10-1849

​2013年
あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(ほよ)とりて 插頭(かざ)しつらくは 千歳寿()ぐとぞ
                        (大伴家持 万葉集巻18-4136

2014
不明

2015
不明
※下記の歌かも知れない。

たまきはる 命は知らず 松が枝を 結ぶ心は 長くとぞ思ふ
                    (大伴家持 万葉集巻6-1043)

2016年
​不明 
※下記の歌かもしれない。
門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春は来にけり
                            (西行 山家集上春5)

2017
母の喪中

2018
ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山 かすみたなびく
                      (後鳥羽院 新古今和歌集巻1-2

2019
袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
                         (紀貫之 古今和歌集巻1-2

2020
いつしかと 春来にけりと 津の国の 難波(なには)の浦を 霞こめたり
                             (西行 山家集8

 ​次の歌も過去に使用した記憶があるが、何年のことかは定かではない。
  上の不明とある年度のどれかに該当するのだろうと思う。




初春
の 初子(はつね)今日(けふ)の 玉箒(たまばはき) に 
                     (大伴家持 万葉集巻20-4493


<追記>
 年賀状と言えば、ブロ友となった後に、ご縁があって、年賀状を交換することになったお方が何人か居られます。そんな中のお一人で、2012年5月7日の記事を最後にブログの記事更新をお休みされている木の花桜さんから年賀状を頂戴しました。賀状によると、別の分野でお元気にご活動されているようで、何よりと嬉しいことでありました。








最終更新日  2020.01.20 01:00:29
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2019.01.05
カテゴリ:万葉
​​​​​ 例年通り、ヤカモチの正月は寝正月でありました。
 二日に、家族と枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社と地元の三社を散歩がてらに歩いて回ったのを別にすれば、概ね「寝正月」という次第。​

(枚岡公園から大阪平野を望む)


(同上)
 若草読書会の新年会が来月・2月3日(日)にある。新年会は、いつの頃よりか、ヤカモチが万葉関連の話をすることになっている。
 いつもは、早めにテーマを決めて、歌に関連した土地を訪ねて「取材」まがいのこともするのであるが、今回はなかなかテーマが思いつかず、年末ぎりぎりになって「万葉集から聞こえて来る音100選」と決めました。万葉集から「音」を感じる歌を100首選び出して資料を作成し、当日は、その中から適当に任意の歌何首かを鑑賞しようという趣向。
 このテーマだと「現地取材」も必要なかろうという次第(笑)。
 そんなこともあって、家でゴロゴロしつつ、万葉集から100首を選び終えましたが、その中にこんな1首もありました。

(こも)りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
                          (大伴家持 巻8-1479

(屋内に引きこもってばかりいると鬱陶しいので、気を晴らそうと外に出て立って聞いていると、来て鳴くヒグラシの声よ。)


 この歌に追和して歌を作れば、こうなるか。
こもりのみ居ればブログのネタもなし銀輪駆けて出で立つべしや(蜆家持)
こもりのみ居ればいぶせみ出で立ちて呼子鳥鳴く声をし聞かむ(鳥家持)

 ネタが無いのもネタのうち、ということで、呼子鳥に「かこつけて」記事をし書かむ、という次第。
 万葉集に登場する呼子鳥の歌と言えば、この歌が先ず思い起こされる。

大和には鳴きてか()らむ呼子鳥(よぶこどり)(きさ)の中山呼びぞ越ゆなる
                    (高市黒人 万葉集巻1-70

(大和で鳴いてから来たのだろうか。呼子鳥が象の中山を鳴きながら飛び越えて行くのが聞こえる。)

 呼子鳥については一般的にはカッコウのことと解されているが、ツツドリ説、ホトトギス説、ウグイス説などもあって未詳の鳥である。
 万葉の頃は、ホトトギスとカッコウの区別はなかったという説もあるから、余り真剣に議論しても始まらない気もする。まあ、今でもヤカモチなんぞはツツドリとカッコウの区別などはできないのであるから、人を呼ぶように鳴く鳥は全て呼子鳥でいいという立場であります(笑)。
 カッコウという鳥の名は「カクコフ(かく恋ふ)」と鳴く、その鳴き声に因んでの名らしい。
 ワンワンとかニャーとかチュンチュンとか動物の鳴き声の擬声語、サヤサヤとかザーザーとか風や雨など物の音の擬音語、ペコリ(頭を下げる)、ポッカリ(月が出る)、(肌が)スベスベなど物事の様子・状態を表す擬態語などを総称してオノマトペと言うが、カッコウはそのオノマトペであるという次第。牛をモー、犬をワンワン、猫をニャンニャンと言ったら、幼児ならいざ知らず、いい大人なら馬鹿にされるのであるが、カッコウについてはそういう心配はない。ミンミン蝉、ツクツクボウシなども同じである。
 これらオノマトペに意味を与えるのが「聞きなし」である。
 ホトトギスは「テッペンカケタカ」と鳴く、ウグイスは「法華経」と鳴くなどがそれであるが、カッコウの「かく恋ふ」はロマンチックでいい。
 万葉歌での「聞きなし」では烏のそれもある。

烏とふ大をそ鳥の真実(まさで)にも来まさぬ君をころくとそ鳴く (万葉集巻14-3521

(烏という大馬鹿鳥が本当にはお出でにならない貴方であるのに「来る」と鳴く。)

 「ころく」は「児ろ来」、「自(ころ)来」または「此ろ来」である。
 古代の人は、鳥は自由に山を越えて飛んで行くことから、遠い空間を自由に行き来する存在ということで、恋しい妻や夫に思いを伝えてくれると考えていたようであり、また空間のみでなく時間をも飛び越え、過去や常世(死者の世界)へも自由に行き来するとも考えていたようです。ゾロアスター教などの鳥葬もそのような考え方があってのものであり、神武天皇を熊野から大和へと道案内したのも八咫烏という鳥でなければならなかったのでありました。

(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし()()へるごと
                     (額田王 万葉集巻2-112

(昔のことを恋い慕っているであろう鳥はホトトギス。その鳥が鳴いたのでしょう、私が昔を恋いしく思っているように。)

 ホトトギスは原文では霍公鳥と書かれている。音読みすればカッコウドリである。万葉人はホトトギスもカッコウも区別しなかったという説に従えば、ここでのホトトギスは「かく恋ふ」(このように恋しく思っている)と鳴くカッコウのことであろう。テッペンカケタカ(てっぺん駆けたか)と鳴いたのでは、下記のように銀輪家持風になってしまって、締まらないことになる(笑)。

銀輪に恋ふらむ鳥はホトトギス けだしや鳴きし銀輪駆けたか (銀輪家持)

 そろそろ銀輪始動と参りますかな。
​​​​​​(注)ホトトギスは、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、子規、田鵑などとも​表記す
   る。

​​​     ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説​​に
   もと​
づく。長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀
)があり、そこ
   に杜宇と
という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼
   ばれた。

   後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中
   に隠
棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身​
​​し、農耕を始め
   る季節が
来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くよ
   うになったと
言う。また後に蜀が秦​​
​​によって滅ぼされてしまったことを知った
   杜宇の化身のホトト
ギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。=
   何よりも帰るのがいち
ばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、
   などと言い、ホトトギスの
口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようにな
   った。(​​​​​​​​​​​Wikipediaより)
​​
​​​
​​​​​​
​​
​​​​
<追記>
ホトトギスの「聞きなし」の例
下線部分
(近藤信義「万葉からの視線ー桓武天皇歌のホトトギスー」より、但し現代語訳はヤカモチによる。)

ほととぎす()()(とよ)​​もす卯の花のともにや()と問はましものを(巻8-1472
ホトトギスが来て鳴き声を響かせている。「ウノハナノトモニヤコシ(卯の花と一緒に来たのか)」と尋ねたいものだ。)​​​​

(いとま)なみ()​​ざりし君にほととぎすわれかく()と行きて告げこそ(巻8-1498
(暇がないからとお出でにならない君に、ホトトギスさん、「ワレカクコフ(私はこんなに恋しく思っています)」と行って知らせておくれ。)

()(くれ)​​の夕闇なるにほととぎす何処(いづく)を家と鳴き渡るらむ(巻10-1948
(木の下陰の夕闇なのに、ホトトギスは「イヅクヲイヘ(何処が<自分の>家か)」と鳴き続けている。)​​

わが(ころも)君に着せよ​とほととぎすわれをうながす袖に()()つつ(巻10-1961
(「ワガコロモキセヨ(私の衣を君に着せよ)」とホトトギスが私を催促して鳴きます。来て袖にとまりながら。)

春さればすがるなす野のほととぎすほとほと妹に逢はず来にけり(巻10-1979
(春が来るとすがる蜂がブンブン翅音を立てる野のホトトギス、「ホトホト(ほとんど)」彼女に逢わずに帰って来るところだった。)

信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く声聞けば時すぎにけり(巻14-3352
(信濃の須賀の荒野でホトトギスの鳴く声を聞くと、それは「トキスギニケリ(時が過ぎたなあ)」だった。)

橘は(とこ)(はな)にもがほととぎす住む()鳴かば聞かぬ日なけむ(巻17-3909
(橘がいつも咲いている花であればなあ。そうなら、ホトトギスが「スム(<此処に>住む)」と来て鳴くだろうから、毎日その声を聞かないという日はないのに。)







最終更新日  2019.01.07 09:20:58
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2018.11.03
カテゴリ:万葉
​​​​ 園中央公園に荻の群落がありました。
 ネットフェンスで囲まれた区域で立ち入ることはできないのだが、ネットフェンスの隙間から、これを覗き見ることができるし、フェンス近くに生えているものにはその穂に触れたりもできる。
 このネットフェンスには以前は葛(クズ)が繁茂してその内側が全く見えない状態であったのだが、最近になって、この葛が全て除去されて囲いの内側が見えるようになった結果、内側に群生している荻が見えるようになったという次第。
 銀白色の豊かな穂が風に靡く姿が美しい。​

(荻)​​

(同上)
 ススキが群生していると思っていたが、よく見ると荻であった。
 オギとススキの違いは、茎を1本ずつ立てて、ススキのように株立ちはしない、花穂がススキよりも大きい、などであるが、ノギ(芒)がススキの穂にはあるが、オギにはこれがないということが区別する上で一番手っ取り早い方法である。
(注)ノギとは「イネ科の植物の小穂を構成する鱗片(頴)の先端にある棘状の突起のこと。」(Wikipediaより)
<参考>​ススキとオギの見分け方​​

(同上 穂にはノギが見られない。)
 爪と瓜の漢字を混同しないために「爪にツメなし。」と言ったりするが、ススキとオギの区別についても「オギにノギなし。」と言うようです。


(同上)
 荻は万葉集に登場する万葉植物でもあります。

神風(かむかぜ)の 伊勢の浜荻(はまをぎ) 折り伏せて
旅宿(たびね)
やすらむ 荒き浜辺に (碁檀越(ごのだんをち)の妻 万葉集巻4-500

(畏き風の吹く伊勢の浜の荻を寝床代わりに折り敷いて、旅の宿りとしようか。荒々しい浜辺で。)

 南北朝時代の連歌集に「草の名も所によりて変はるなり難波の葦は伊勢の浜荻」(菟玖波集)というのがあり、伊勢の浜荻とは難波で言う葦のことだと言っている。
 葦と荻とは名前を異にする同じ草だと言う訳である。
 万葉でも、次の東歌では同じ草だと見ていたことが覗える。

妹なろが 使ふ川津の ささら荻
あしと人言(ひとごと)
 語りよらしも (東歌 万葉集巻14-3446

(あの子が使う船着き場の小さな荻葦のことを、悪いと人々は語り合っているらしいよ。)

 一方で、「葦辺の荻」と「葦」と「荻」とを別の植物と認識している歌も存在するから、やはり荻は「荻」であって、「葦」の別名という訳ではないのである。

葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の
吹き来るなへに 雁鳴き渡る (万葉集巻10-2134

(葦辺の荻の葉が音をたて、秋風が吹いて来るのにつれて、雁が鳴き渡って行くことよ。)


(同上)​​

(同上)
 姿形はススキに似て、生息場所は葦のそれと似ている。
 で、ススキと間違えられたり、葦とごっちゃにされたり、と些か影の薄い植物である。
 もう一つ、漢字の「荻」というのも「萩」に似ていて、一瞬「萩」と読み違えたりもする。訓も「オギ」と「ハギ」は似ている。名前からして紛らわしいのもこの植物にとっての不運であったかも知れない(笑)。
 銀白色の美しい穂を靡かせても「ススキ」と見てしまわれ、「荻だ!」と主張したら「ナニ、萩?」と見間違えられる、という次第。
 我々は生まれた瞬間の第一声が「オギャー」、つまり「オギや」と叫んでいるのに、その後、オギのことは忘れてしまうのである。
 まあ、そんなことには少しも気にとめず、今日もあの銀白色の美しい穂を秋風に靡かせて、オギは我々の目を楽しませてくれるのであります。​

(同上)
萩尾花 それこそ秋と 人は言へ 荻の花穂を 秋とや言はむ (荻家持)​​​​​​​​
​​
<参考>
万葉関連の過去記事は​コチラ​。






最終更新日  2018.11.03 21:56:49
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2018.10.11
カテゴリ:万葉
(​承前​)
​ 一昨日(9日)の堺市少林寺銀輪散歩の続きです。
 少林寺を後にし、付近を銀輪散歩。与謝野晶子が最初に恋をした男性、河野鉄南が住職をしていた寺、その鉄南の紹介で彼女が与謝野鉄幹と出会った寺でもある、その寺はこの付近にあるのではないか、と思い付いての散策でしたが、その寺の名が思い出せないので、探しようもない(笑)。
 大安寺や南宗寺などを覗いて写真も撮りましたが、今日の記事では取り上げないこととします。帰宅して、寺の名前を調べたら、覚応寺でありました。後日、機会があれば訪ねることとし、その折には南宗寺の写真なども使いましょうかね。覚応寺は南宗寺から北へ2kmほど行った処にある寺にて、全く見当はずれの地域でそれを探していたことになる(笑)。尤も、名前も思い出せないのであるから、それほど真剣に探していたというのでは勿論ない。
 既に、時刻は正午を過ぎていたので、昼食をとるべしで、堺東駅前方向へと走る。これは、帰途方向でもあり、もう一つの目的地、方違神社のある方向でもある。
 南海堺東駅の北側、県道12号の高架下を潜った先にあるレストランが目に入ったので、そこで昼食とする。店の建物は道路から少し奥まった場所にあり、前が広い駐車場になっていて、駐輪にも都合のいい立地。ヤカモチが昼食場所に選ぶ店の決め手は食べ物がどうと言う前に、適切な駐輪場所があるかどうかにかかっているのである。
 店の名はと見ると「floresta キッチンコドモ」とある。
 「コドモ?」、子ども向けの店?と思ったが、駐輪して、ロックして、店に入ろうとして「コドモ」に気付いたのであってみれば、子ども向けでも何でもいい、という次第で、店の中に。普通のレストランでした。気のせいか子ども連れの客が多いようにも感じたが。
 ブロ友のひろみの郎女さんなら、ここで食レポとなるのだろうが、ヤカモチ・ブログでは、この部分はカットとなるのがお決まりなのであります。
 昼食後、少し後戻りして、南海電車の線路を越えて反対側にある方違神社へ行こうとするが、踏切ではなく地下通路となっていて、階段である。階段を下りようとすると、下からご老人が自転車を押しながら上って来られる。
 見ると階段の中ほどで悪戦苦闘、手が震えて何やら足許も覚束ない感じ。MTBを上に停めて、手助けに入る。「手伝いましょう。」ご老人に代って彼の自転車を上まで運ぶ。「助かりました。」とご老人は人の好さそうな笑顔。情けは人のためならず、というのは「他人に情けをかけると、回り回って自分にもいいことが巡って来る」というような意味のようだが、相手の笑顔によって既にこちらが幸せを貰っているのだから、回り回ってを待つまでもないのである。
 この地下通路、線路に直角ではなく斜めに通じている。線路を渡る側は「直角に渡るもの」という潜在意識が働くので、反対側の地表に出た時は、一瞬、方向感覚が狂うのである。方違神社への道としては、これほど適切な道もあるまい、と言うものである(笑)。​

(方違神社)​​

(同上・説明碑)
 上の説明にある通り、この付近は摂津、河内、和泉の三国の境に位置し、それが三国丘や堺の名前に繋がっているという訳である。
 この神社を訪ねる気になったのは、今年7月14日に阪大OB・OG九条の会に参加した折に、同期の永〇君と席が隣り合わせとなり、雑談する中で、三国山の万葉歌の話になり、三国丘のことを詠った歌だと彼が言ったからである。小生は、この歌は福井県の三国の山だと思っていた。三国山は所在不詳としながら、福井の三国港東北の山か、とする注釈や解説しか目にしていなかったからだ。
<参考>​三人会と九条の会​​ 2018.7.15.
 三国山というのは北海道から九州まで全国に18あるという。ここ三国丘はこれに含まれていないから、このようなのも含めればもっと多いのだろう。
 三つの国が接する地点を言う普通名詞であるならば、固有名詞とは無関係に候補地はもっと多くあって何の不思議もなく、この歌が誰によって、何処で詠まれたものなのか、その詠まれた背景や事情が如何なるものなのか、が不明であるのだから、北海道などは除くとしても、全国、何処の三国山であってもいいことになるというものである。「ここでは福井県の三国の山か」などと言っている注釈書も、その根拠は示されていない。
 この神社には、その万葉歌碑もあるとのことだから、大阪・堺の三国丘説もあるのだろう。同期の永〇君は三国丘高校の出身。三国丘高校は、この神社の南側にある反正天皇陵の更に南側にある。彼にしてみれば、母校の名前でもある三国丘こそが万葉の三国山という大阪・堺説は譲れないということであるのかもしれない。​

(同上・手水舎)
 手水舎にある井戸の枠石にも大きく「三国山」と刻まれている。
 歌碑は何処に、と探したが見当たらない。
 探索と撮影を諦めて、帰宅して調べると、歌は、冒頭の写真に写っている社名標石に刻まれていることが判明した。
 自転車・MTBを駐輪させている側の面に刻まれているので、生憎と歌碑文言の面は写真には写っていないという次第。
三国山 木末
(こぬれ)​に住まふ むささびの
          鳥待つごとく 我待ち痩せむ (万葉集巻7-1367)

(三国山の梢に住んでいるムササビが鳥を待つように私はあなたを待ち焦がれて痩せることでしょう。)​​

(同上・拝殿)
 神功皇后御馬繋之松というのもありました。​

(​神功皇后御馬繋之松)
​​​​​ 神功皇后に因む伝承遺蹟は北九州から瀬戸内にかけて色んなものがあるようですが、これもその一つでしょうか。
 方違神社の境内から南隣の反正天皇陵を撮影。レンズに微小の埃が付着していたか、中央に何やら亡霊が現れてしまいました。皆さんのPCまたはスマホの画面が汚れている訳ではありませんのでご安心下さい。​

(反正天皇陵)
 反正天皇は、父・仁徳天皇と母・磐之媛皇后との間の子。
 同母兄の履中天皇亡き後即位した第18代天皇である。
 神社の境内の柵越しにご挨拶、立ち寄らずに帰ることとする。
 帰途は、再びあべの筋に出て、北上。長居公園通りで右折しこれを東に。長居公園に立ち寄って、ぐるり一周。​

(長居公園)
 あびこ筋に戻り、今度はあびこ筋を北上。勝山通りに出た処で右折、これを東に。後は適当にジグザグしながら中央環状道路に。
 時刻が未だ早かったので中央大通りまで出て、馴染みの喫茶店・ペリカンの家に立ち寄り、珈琲休憩。暫しブロ友でもある店主のももの郎女さんと雑談してから帰宅でありました。(完)​






最終更新日  2018.10.11 21:17:10
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