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偐万葉田舎家持歌集

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能・狂言

2010.05.30
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カテゴリ:能・狂言

 一昨日(5月28日)は、大学同期との会食があり、心斎橋まで出掛けて来ました。出席者は、守麻呂(元銀行)、佐麻呂(元銀行)、宅郎女(弁護士)、文麻呂(府会議員)、黒麻呂(元大阪府庁)、広麻呂(元銀行)、前麻呂(元旅行社)、古麻呂(大学教授・元法務官僚)、中麻呂(元警察官僚)、谷麻呂(元航空会社)、道麻呂(元商社)とけん家持の12名。多くが「元○○」で、現役は12名中3名。勿論、けん家持も元○○のグループである。
 
次回は11月19日、心斎橋の大成閣(大阪市中央区東心斎橋1丁目18-12)にて、午後6時からです。楽浪さん、次回は出席してね(笑)。その他、同期のみなさん、もしこのページをご覧になられましたら、当日は予定を空けて置いて下さい。

枚岡梅林の梅の実.jpg
(枚岡梅林の梅の実・・記事と無関係です。本日の散歩から。)

 昨日(5月29日)は、大槻能楽堂の第490回自主公演能(午後2時開演)を観賞して来ました。演目は「朝長」。

 <参考> 大槻能楽堂公式サイト

  能「朝長」パンフレット.jpg

 開演に先立って、万葉学者で文化功労者の中西進先生の解説がありました。
 
朝長は源朝長のことで、源義朝の第2子である。兄が悪源太義平、弟が頼朝、義経である。平安末期、公家政治から武家政治へと転換してゆく時代、平治の乱で敗れた義朝は息子達と東国へと落ち延びようとするが、傷を負った朝長は、足手まといになることを憂え自害する。
 
能のあらすじは、「嵯峨清涼寺の僧が朝長が自害したと聞き、亡き跡を弔うため、青墓の宿へとやって来る。朝長の墓前で弔っているところへ、青墓の宿の長者が現れ、共に朝長の死を悼み、僧を伴って宿へと帰る。僧が観音懺法によって弔うと、朝長の霊が現れ、弔いに感謝し、修羅道の苦しみを述べ、自害の有様を見せ、回向を頼んで消え失せる。」というもの。
 青墓というのは今の大垣市青墓町のこと。また訪ねてみたい場所ができました(笑)。

開演前の能舞台・演台は開演前の講演用のもの.jpg

<参考> 源朝長  平治の乱







最終更新日  2016.03.01 13:02:44
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2009.09.26
カテゴリ:能・狂言

 本日は我が家から徒歩数分の距離にある枚岡神社で毎年開催されている、薪能の日。
 演目は、狂言「左近三郎」と能「龍田」。
 写真撮影禁止とあって、開演前の状態、未だ「火入れ式」もしていない状態の写真を掲載して置きます。開演30分前ですが、もう一杯の人でした。
第18回ひらおか薪能.JPG

 さて、演目の、狂言「左近三郎」のあらすじは、
 猟師の左近三郎は狩に行く途中で一人の僧と出会い、これをからかってやろうと道中を共にする。禅僧と知って、酒は呑むか、魚は食べるか、妻はいるかと質問し、僧が「出家の身、そんなことする訳ない。」と否定するごとに、弓矢で脅し、無理矢理に肯定させて、からかう。そんな中で彼は僧に檀家にして欲しいと願うが、僧は殺生を生業とする猟師は檀家にはできぬと断る。猪
(しし)を射殺すと猪(しし)になってしまう、という僧に、左近三郎は、それなら、僧を射殺せば僧になれるのかと僧に弓矢を向ける。そんな禅問答のようなやりとりをしながら、次第に打ち解け、仲良くなって歩いてゆく。
 というもの。
 殺生を禁ずるのが仏教の教えであるが、一方で輪廻転生も説くから、殺すことはその転生を助けることでもあるということにもなる。この辺りの仏教の教えの矛盾をからかったものでもあるということらしいが、まあ、狂言としては、理屈に走り過ぎて、それ程面白いものではありませんな。

 能の「龍田」は、
 旅の僧が龍田明神に参詣せむと龍田川の畔にやって来ると、川向こうから女が川を渡ってはいけないと声をかける。この川に散り浮く紅葉は龍田神社の神体であるから、神慮も思わず渡ると神と人との中が絶えることになると言う。僧は今はもう冬で紅葉もなく薄氷が張っているから大丈夫だろうと言う。そこで、女は「龍田川紅葉を閉ずる薄氷渡らばそれも中や絶なん」という藤原家隆の歌を引いて、渡るなと戒める。女は、最初は巫女と名乗っているが、やがて、自分が龍田姫であることを明かすと社殿の中に入ってしまう。僧が在の人から龍田明神の謂れを聞きながら、神のお告げを待っていると、龍田姫が現れ、龍田明神社のことや龍田の山川を詠んだ歌のことなどを語り、あらためてこの川を渡るべきでないと語り、神楽を舞いつつ、夜明けの風に散りまがう紅葉の中を神上がりする。
 というもの。
 和歌を引用しての風流問答も面白く、龍田姫の舞う神楽なども見どころですが、来月、龍田万葉ウォ-クを案内する予定の偐家持としては、とてもタイムリーな演目でした(笑)。
「能楽百番」月岡耕魚・能「龍田」(国立能楽堂所蔵).jpg
月岡耕魚「能楽百番・龍田」(国立能楽堂所蔵)

<東大阪市と能との関係>
 三重県伊賀市の上島家に伝えられている「観世系図」によると、観阿弥の母は玉櫛荘(現、東大阪市玉串町)の出身であるそうな。その系図によると、観阿弥の母は河内玉櫛荘の橘入道正遠の娘である、となっている。
 橘正遠は楠正成の父に当たるという説もあるので、この説によれば、観阿弥の母は、楠正成の姉か妹ということになり、観阿弥は正成の甥ということになりますな。まあ、こんなことから、「東大阪は能のふるさと」を合言葉に、市民ボランティアの手で、この枚岡薪能が開催されているという次第なのであります。







最終更新日  2016.05.20 12:58:06
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2009.06.06
カテゴリ:能・狂言

  昨日は、第468回大槻能楽堂自主公演能ナイトシアターに行ってまいりました。
 演目は狂言が「長光」、能が「天鼓」。
 前シテ・後シテの浅井文義先生は、小生の謡曲の師匠H先生の師匠であるということもあって、H先生と小生と一緒に謡曲を稽古しているB氏の3人で観能せむとて、出掛けたもの。早くに着き過ぎたので、難波宮址など周辺を少し散策してから、大槻能楽堂へ。H先生とB氏はすでに来て居られて、会場にて合流。<大槻能楽堂ホームページ

 能・天鼓は、後漢時代の中国の話をもとに世阿弥元清が創作した曲にて、そのあらすじは次の通り。

 後漢の世に、天から降り下った鼓を持つ天鼓という少年がいた。彼が見事に打ち鳴らす鼓の評判を聞きつけた帝はその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒み、鼓を持って山中に逃げるが、探し出されて呂水の江に沈められてしまう。
 かくて帝は鼓を手に入れるが、誰が打っても音が出ない。そこで、天鼓の父親の王伯に打たせてみようと、勅使を遣わせる。王伯は己れの嘆き悲しみを述べるが、勅使に促されて鼓を打つと、妙なる音が鳴った。その音を聞き哀れを催した帝は、涙しつつ、管弦講で天鼓の霊を慰めると約束して、王伯を家に帰す。
 呂水の堤に鼓を置き、供養を始めると、天鼓の霊が現れ、供養に感謝し、鼓を打ちながら、舞楽を奏するが、夜明けに消えてゆく。この天鼓の霊の舞が見もの。笛が盤渉
(ばんしき)調という常より高い調子となり、シテは橋掛を使ったり、鼓を打ったりして、鼓を愛しむ心が強調される。なお、盤渉は水に関係ある場合に用いられる調子とのこと。

大槻能楽堂能舞台.JPG
(大槻能楽堂・能舞台)

能公演パンフレット.JPG(パンフレット)

難波宮址 (3).JPG
難波宮址 (2).JPG
(難波宮址)

 難波宮は、大化改新の後、孝徳天皇が営んだ長柄豊崎宮と聖武天皇の難波宮があるが、その二つが重なって発掘されている。
 孝徳天皇が、中大兄皇子と対立し、皇后の間人皇女ほか役人を引き連れ中大兄が明日香に帰ってしまい、一人取り残されることとなり、憤怒と悲嘆の余り病死してしまったのも、この宮であったのですな。彼の死がその息子、有間皇子の悲劇に繋がり、万葉集の名歌も生まれることとなったのではある。 

(かなぎ)着け 吾が飼ふ駒は 引出(ひきで)せず

       吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀孝徳天皇4年7月条)

 この宮跡と大槻能楽堂の間の道を東に行くと、史蹟・越中井がある。昔、ここには細川越中守忠興の屋敷があり、その屋敷の台所の井戸を今に遺すと伝えられ、徳富蘇峰筆の碑が立っている。細川ガラシャ夫人が自らの命を絶った最後の地でもある。これまた悲劇の女性につながる場所でありました。

越中井.JPG
(越中井)
越中井 (3).JPG越中井 (5).JPG

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
          花も花なれ 人も人なれ  (細川ガラシャ辞世の歌)

 帰宅する頃は夜も更けて、雲間に月が美しく。
月にむら雲.JPG
<参考> 難波宮址
     細川ガラシャ夫人

 







最終更新日  2016.07.07 18:01:11
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2009.01.28
カテゴリ:能・狂言

003.JPG

  今日から謡曲の稽古は「松浦佐用姫」です。1月14日の日記にも書きましたが小生のリクエストによる曲目ですから、楽しみです。

松浦佐用姫 別名 松浦之能、松浦鏡、佐用姫
  
      作者 世阿弥と考えられている。
    
      曲柄 四番目執心物
    
      季節 冬
    
      所   肥前国松浦潟
    
      前シテ 里女
    
      後シテ 松浦佐用姫の霊
    
      ワキ   旅僧

(ワキ) 唐土船の名を留めし、唐土船の名を留めし松浦ハいづ
      くなるらん
名ノリ)これハ行脚の僧にて候。我東国より都に上り、また西国
           修行と志
し候ほどに筑紫に下り博多の浦に逗留仕りて
           候。
           肥前の国松浦
潟ハ聞えたる名所にて候へば、急ぎ尋ね行
           き一見せばやと存じ候。
(道行) 箱崎や明け行く空の旅衣、明け行く空の旅衣、げに不知
           火乃筑紫潟、
わだの原行く沖つ舟、潮路遥かの浦伝ひ、
     松浦潟にも着きにけり、松浦潟にも着きにけり。・・・・・・

  このようにして、旅僧(ワキ)が登場。松浦潟を訪れ、名所の雪景色を賞でていると、海士乙女(前シテ)が釣竿を持って登場、降る雪の中、玉島川辺の松浦潟に夕月を待つ。
  
僧は乙女に名所を尋ねると、乙女は、鏡を抱いて松浦川に身を投げた佐用姫を祀った「鏡の宮」への参拝を勧め、領巾山の伝説<狭手彦が唐土使として船出する時、佐用姫がこの山上で領巾を振って別れを惜しんだこと>を語り、山上憶良の万葉歌を詠吟して、往事を懐旧する。
  
さらに詳しく佐用姫と狭手彦との別離の物語を乙女が語り、僧が鏡の謂われを尋ねると、乙女は妄執からの救済の引導を求め、僧から伝法のしるしの袈裟を授かる。乙女はその布施として形見の鏡を見せることを約束して姿を消す。
002.JPG  

  所の者(アイ)が登場し、狭手彦の船出を見送った佐用姫が鏡を抱いて身を投げたことを語る。
  
乙女が佐用姫の幽霊であることを知った僧が待っていると、その夢に、鏡を持った佐用姫(後シテ)が登場し、僧に約束の鏡を示す。
  
神鏡を拝した僧は鏡の中に狭手彦の姿を見る。佐用姫は恋慕の執心を嘆き、懺悔として往事の有様を再現する。佐用姫は領巾振りと鏡を抱いての狂乱と投身を見せ、水底に沈んでゆく・・というところで僧は夢から覚める。

  これが、この能のあらすじである。

001.JPG

松浦佐用姫伝説については下記をご覧下さい。
唐津万葉の会
平成万葉の旅
唐津ポータルサイト

大伴旅人と松浦佐用姫伝説

 







最終更新日  2009.01.30 09:27:48
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2008.11.16
カテゴリ:能・狂言

 今日は中学時代の同級生S姉から頂戴した招待券で、能の鑑賞。会場が奈良県新公会堂。若草山の麓にある。奈良公園の紅葉を愛でつつの会場への道のりが既にして紅葉散歩である。
 演目は「竜田」と「阿漕」、狂言は「二九十八」。
 「竜田」は、諸国に経を納める僧が竜田明神に参るべく竜田川を渡ろうとすると、巫女が現れ、古歌を引用して川を渡ることを咎め、橋を渡って明神へと参るよう僧を導く。そして自分は竜田姫であることを明かし消える。夜、神殿から竜田姫の神霊が現れ、社の由緒を語り、紅葉を愛でて神楽を舞う、というもの。竜田姫は秋の女神、紅葉の精である。
 「阿漕」は、伊勢参詣の僧が伊勢国阿漕ヶ浦で漁師の老人と出会う。老人は、昔阿漕という男が毎夜、禁漁区で漁をしていたが、露見し沖に沈められたという、浦の名の由来を語る。そして自分がその阿漕の霊であるとほのめかして消え失せる。そこで僧が供養をすると、阿漕の霊が現れる。すると、辺りには地獄の情景が出現、魚は悪魚毒蛇となって霊を責め苛む。やがて霊は僧に更なる供養を願って、波の底に入ってゆく、というもの。
 「竜田」は竜田姫の神楽舞、「阿漕」は四ッ手網という網に魚を追い込む漁の様子を再現する動きなど、興味深い。

 「阿漕」は観世流の謡の本を持って行ったが、謡い方も異なり、言葉も部分的に違い、これからの稽古の参考にという目論見の方は少し外れた形に。しかし、雰囲気はよく分かり、面白く拝見させて戴きました。

 午後1時開演、5時半終演。会場を出るとすっかり暗くなっていました。会場では、中学時代の恩師の奥様がご友人と一緒にいらしていて、「やあ。どうも。」ということでもありました。

 帰途、ちょっと横道に入って、ライトアップされている興福寺五重塔を撮影して来ました。

004奈良県新公会堂(小).jpg
(奈良県新公会堂)

003奈良(小).jpg005nara.jpg
(奈良公園の紅葉)
008奈良(小).jpg007奈良、鹿(小).jpg009nara(小).jpg
(もみぢ踏み分け鳴く鹿も、今日は「日曜日」ですかな?)
006奈良(小).jpg001興福寺五重塔(小).jpg
(左 もみぢ)
(右 興福寺五重塔)







最終更新日  2008.11.17 17:06:14
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2008.10.07
カテゴリ:能・狂言

  今日は謡曲の稽古の日。自宅の生駒山麓の東大阪市から江坂までマウンテンバイクで往復しました。午後3時15分に自宅を出発して、銀輪散歩を兼ねて、あちらこちらに立ち寄りつつ走って5時53分に稽古場としている先生の事務所に到着。帰りは6時55分出発。すっかり暗くなった街路をゆっくり走る。

  このコースは、神崎川と淀川とJR線を渡る際に階段を登り降りしなくてはならないので、そこだけは自転車を肩に担がなくてはならないのが難点だが、全体的にはアップダウンもそれ程なく、楽なコースである。帰宅すると9時23分。昼間だと2時間位でゆけるのだが、夜間はやはり30分位余分にかかる。

197善知鳥.jpg

(教科書)

  さて、謡曲であるが、今、稽古しているのは「善知鳥」。「うとふ(ウトオ)」と読む。

  世阿弥元清の作で、荒筋は次の通り。

越中の立山で禅定をした旅の僧が山を降りて来ると一人の老人が現れて、陸奥へ下られるのなら、昨秋に死んだ外の浜の猟師の家を訪ねて、蓑笠を手向けるよう伝えて下さいと頼む。証拠のためにと、老人は自分の着物・麻衣の袖をほどいて僧に渡す。僧はこれを引き受ける。(中入り)

旅僧は猟師の遺族を訪ねて、老人の伝言を伝え、蓑笠を手向け、囘向していると、猟師の亡霊が現れ、娑婆で猟師を渡世とし、善知鳥を殺した報いを受けて、地獄で、化鳥となった善知鳥に苦しめられていると訴え、僧の助けを求めて消え失せる。

まあ、何とも暗い内容の話である。

内容はさて置き、なかなかうまく謡えない。教本の記号がまだよく理解できてないようですな。

198善知鳥.jpg

199善知鳥.jpg

<檜書店発行「善知鳥」(観世流大成版)の挿絵より>

<参考>善知鳥神社







最終更新日  2008.10.08 08:55:06
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2008.07.31
カテゴリ:能・狂言

003大槻能楽堂.JPG

 

(大槻能楽堂外観)

 

  今日は谷町四丁目の大槻能楽堂の7月公演「蝋燭能」に行って来た。

 

004蝋燭能.JPG

 

   演目は「鞍馬天狗」である。

  

   あらすじは、 

  

   平治の乱に敗れた源義朝の遺児、紗那王(牛若)が命救われ、鞍馬寺に預けられていた頃の話。

   春花の盛りの或る日、紗那王は平家の稚児達と一緒に東谷の僧に連れられて、西谷へ花見にやって来る。

   そこへ不気味な山伏がやって来て、興をそがれた僧は稚児を連れて帰ってしまう。

   残ったのは紗那王のみ。

   二人は一緒に花の名所を見て歩く。

   山伏は紗那王の境遇に同情し、自分は大天狗であると明かし、平家討伐の兵法を伝授すると約束して立ち去る。

   紗那王が薙刀を持って待っていると、大天狗が各地の名だたる天狗をひきつれてやって来て、紗那王に兵法の秘伝を教え、将来の武運を守護すると約束して、再び飛び去ってゆく、

  

   というもの。

  

   動きも激しく、アヒ狂言も入り、稚児役の子方(子役)も可愛らしく、楽しく、分かりやすい能である。

002大槻能楽堂.JPG

 

(能舞台・上演風景を撮りたいところなるも、撮影禁止につき休憩時間にちょいと。)







最終更新日  2008.08.01 00:40:43
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2007.10.21
カテゴリ:能・狂言
今日は今は亡き中学時代の恩師の奥様と能の鑑賞に。演目は「芭蕉」と「項羽」。幽玄の世界に遊ぶ。途中少し居眠りも。
終わって会場を出ると奈良の夕照。これも幽玄なり。

虞美人の 花は咲けども 日の暮れて 奈良の大路の 夕照夢幻






最終更新日  2008.11.19 12:27:24
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2007.08.11
カテゴリ:能・狂言
生国魂神社境内で開催された大阪薪能を観て来た。清経、生国魂、船弁慶と狂言「鏡男」
狂言の「鏡男」は越後の昔話と同じモチーフだったが、どちらが古いのだろう?船弁慶は平家の怨霊が薙刀を振り回す場面が見物。「その時義経少しも騒がず…」というのは此処に出て来るのであったか!
後の席の90才という老人と開演前に暫く話したが、彼はこの場面だけを見たくて来たと言うてました。
我輩の謡曲の先生は隣で「次は船弁慶をするぞ」と言ってましたから、九月からの稽古は船弁慶になりますナァ。

生国魂の 社暮れゆきて 清経の 立ち現れぬる 夏の夜の夢






最終更新日  2008.12.20 11:33:57
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