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2022.05.15 コメント(6)
全9件 (9件中 1-9件目) 1 能・狂言
カテゴリ:能・狂言
一昨日(5月28日)は、大学同期との会食があり、心斎橋まで出掛けて来ました。出席者は、守麻呂(元銀行)、佐麻呂(元銀行)、宅郎女(弁護士)、文麻呂(府会議員)、黒麻呂(元大阪府庁)、広麻呂(元銀行)、前麻呂(元旅行社)、古麻呂(大学教授・元法務官僚)、中麻呂(元警察官僚)、谷麻呂(元航空会社)、道麻呂(元商社)とけん家持の12名。多くが「元○○」で、現役は12名中3名。勿論、けん家持も元○○のグループである。
昨日(5月29日)は、大槻能楽堂の第490回自主公演能(午後2時開演)を観賞して来ました。演目は「朝長」。 <参考> 大槻能楽堂公式サイト 開演に先立って、万葉学者で文化功労者の中西進先生の解説がありました。
2009.09.26
カテゴリ:能・狂言
本日は我が家から徒歩数分の距離にある枚岡神社で毎年開催されている、薪能の日。 能の「龍田」は、 <東大阪市と能との関係>
2009.06.06
カテゴリ:能・狂言
![]() 昨日は、第468回大槻能楽堂自主公演能ナイトシアターに行ってまいりました。 能・天鼓は、後漢時代の中国の話をもとに世阿弥元清が創作した曲にて、そのあらすじは次の通り。 後漢の世に、天から降り下った鼓を持つ天鼓という少年がいた。彼が見事に打ち鳴らす鼓の評判を聞きつけた帝はその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒み、鼓を持って山中に逃げるが、探し出されて呂水の江に沈められてしまう。
![]() ![]() ![]() (難波宮址) 難波宮は、大化改新の後、孝徳天皇が営んだ長柄豊崎宮と聖武天皇の難波宮があるが、その二つが重なって発掘されている。 孝徳天皇が、中大兄皇子と対立し、皇后の間人皇女ほか役人を引き連れ中大兄が明日香に帰ってしまい、一人取り残されることとなり、憤怒と悲嘆の余り病死してしまったのも、この宮であったのですな。彼の死がその息子、有間皇子の悲劇に繋がり、万葉集の名歌も生まれることとなったのではある。 鉗着け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか (日本書紀孝徳天皇4年7月条) この宮跡と大槻能楽堂の間の道を東に行くと、史蹟・越中井がある。昔、ここには細川越中守忠興の屋敷があり、その屋敷の台所の井戸を今に遺すと伝えられ、徳富蘇峰筆の碑が立っている。細川ガラシャ夫人が自らの命を絶った最後の地でもある。これまた悲劇の女性につながる場所でありました。
2009.01.28
カテゴリ:能・狂言
今日から謡曲の稽古は「松浦佐用姫」です。1月14日の日記にも書きましたが小生のリクエストによる曲目ですから、楽しみです。 松浦佐用姫 別名 松浦之能、松浦鏡、佐用姫 (ワキ) 唐土船の名を留めし、唐土船の名を留めし松浦ハいづ このようにして、旅僧(ワキ)が登場。松浦潟を訪れ、名所の雪景色を賞でていると、海士乙女(前シテ)が釣竿を持って登場、降る雪の中、玉島川辺の松浦潟に夕月を待つ。 所の者(アイ)が登場し、狭手彦の船出を見送った佐用姫が鏡を抱いて身を投げたことを語る。 これが、この能のあらすじである。 松浦佐用姫伝説については下記をご覧下さい。
最終更新日
2009.01.30 09:27:48
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2008.11.16
カテゴリ:能・狂言
今日は中学時代の同級生S姉から頂戴した招待券で、能の鑑賞。会場が奈良県新公会堂。若草山の麓にある。奈良公園の紅葉を愛でつつの会場への道のりが既にして紅葉散歩である。 「阿漕」は観世流の謡の本を持って行ったが、謡い方も異なり、言葉も部分的に違い、これからの稽古の参考にという目論見の方は少し外れた形に。しかし、雰囲気はよく分かり、面白く拝見させて戴きました。 午後1時開演、5時半終演。会場を出るとすっかり暗くなっていました。会場では、中学時代の恩師の奥様がご友人と一緒にいらしていて、「やあ。どうも。」ということでもありました。 帰途、ちょっと横道に入って、ライトアップされている興福寺五重塔を撮影して来ました。
2008.10.07
カテゴリ:能・狂言
今日は謡曲の稽古の日。自宅の生駒山麓の東大阪市から江坂までマウンテンバイクで往復しました。午後3時15分に自宅を出発して、銀輪散歩を兼ねて、あちらこちらに立ち寄りつつ走って5時53分に稽古場としている先生の事務所に到着。帰りは6時55分出発。すっかり暗くなった街路をゆっくり走る。 このコースは、神崎川と淀川とJR線を渡る際に階段を登り降りしなくてはならないので、そこだけは自転車を肩に担がなくてはならないのが難点だが、全体的にはアップダウンもそれ程なく、楽なコースである。帰宅すると9時23分。昼間だと2時間位でゆけるのだが、夜間はやはり30分位余分にかかる。 (教科書) さて、謡曲であるが、今、稽古しているのは「善知鳥」。「うとふ(ウトオ)」と読む。 世阿弥元清の作で、荒筋は次の通り。 越中の立山で禅定をした旅の僧が山を降りて来ると一人の老人が現れて、陸奥へ下られるのなら、昨秋に死んだ外の浜の猟師の家を訪ねて、蓑笠を手向けるよう伝えて下さいと頼む。証拠のためにと、老人は自分の着物・麻衣の袖をほどいて僧に渡す。僧はこれを引き受ける。(中入り) 旅僧は猟師の遺族を訪ねて、老人の伝言を伝え、蓑笠を手向け、囘向していると、猟師の亡霊が現れ、娑婆で猟師を渡世とし、善知鳥を殺した報いを受けて、地獄で、化鳥となった善知鳥に苦しめられていると訴え、僧の助けを求めて消え失せる。 まあ、何とも暗い内容の話である。 内容はさて置き、なかなかうまく謡えない。教本の記号がまだよく理解できてないようですな。 <檜書店発行「善知鳥」(観世流大成版)の挿絵より> <参考>善知鳥神社
2008.07.31
カテゴリ:能・狂言
(大槻能楽堂外観)
今日は谷町四丁目の大槻能楽堂の7月公演「蝋燭能」に行って来た。
演目は「鞍馬天狗」である。
あらすじは、
平治の乱に敗れた源義朝の遺児、紗那王(牛若)が命救われ、鞍馬寺に預けられていた頃の話。 春花の盛りの或る日、紗那王は平家の稚児達と一緒に東谷の僧に連れられて、西谷へ花見にやって来る。 そこへ不気味な山伏がやって来て、興をそがれた僧は稚児を連れて帰ってしまう。 残ったのは紗那王のみ。 二人は一緒に花の名所を見て歩く。 山伏は紗那王の境遇に同情し、自分は大天狗であると明かし、平家討伐の兵法を伝授すると約束して立ち去る。 紗那王が薙刀を持って待っていると、大天狗が各地の名だたる天狗をひきつれてやって来て、紗那王に兵法の秘伝を教え、将来の武運を守護すると約束して、再び飛び去ってゆく、
というもの。
動きも激しく、アヒ狂言も入り、稚児役の子方(子役)も可愛らしく、楽しく、分かりやすい能である。
(能舞台・上演風景を撮りたいところなるも、撮影禁止につき休憩時間にちょいと。)
2007.10.21
カテゴリ:能・狂言
![]() 終わって会場を出ると奈良の夕照。これも幽玄なり。 虞美人の 花は咲けども 日の暮れて 奈良の大路の 夕照夢幻
最終更新日
2008.11.19 12:27:24
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2007.08.11
カテゴリ:能・狂言
生国魂神社境内で開催された大阪薪能を観て来た。清経、生国魂、船弁慶と狂言「鏡男」
狂言の「鏡男」は越後の昔話と同じモチーフだったが、どちらが古いのだろう?船弁慶は平家の怨霊が薙刀を振り回す場面が見物。「その時義経少しも騒がず…」というのは此処に出て来るのであったか! 後の席の90才という老人と開演前に暫く話したが、彼はこの場面だけを見たくて来たと言うてました。 我輩の謡曲の先生は隣で「次は船弁慶をするぞ」と言ってましたから、九月からの稽古は船弁慶になりますナァ。 生国魂の 社暮れゆきて 清経の 立ち現れぬる 夏の夜の夢 このブログでよく読まれている記事
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