○○してよ! は 命令 ではなくて 願望
こんにちは☺️人を喜ばせることを趣味として始めた焼きいもです。今日は「○○してよ!」の言葉の受け止め方を変えていきます。人に喜ばれるためには、自分を整えることが大事です。自分を常に整った状態にするために相手からの言葉に、自分が傷つかないようにしたり言葉の受け止め方を変えたりして受けるダメージを減らすことが大事になってきます。ということで 今回は「○○してよ!」の言葉の受け止め方を変えていきます!【結論】「○○してよ!」はただ 発言者の願望を言っているのであって"命令" ではない。まずは、こんなシチュエーションでの「○○してよ!」 カラオケ店で、友達の何人かで楽しくカラオケをしている時 Aさんに 「この曲歌ってよ!」と言われた このシーンで Aさんがあなたに "命令"したと感じましたか?歌ってくれたらラッキー!ぐらいの "期待をして言った" と感じましたか?今回のシチュエーションでは、対等の関係であり、楽しくカラオケをしている というところからすると友達同士のじゃれ合い 程度の 「願望」の意味合いを強く感じ取れると思います。ただ、私は、親・子 や 先生・生徒、上司・部下の関係では、しばしば 命令に感じてしまいます。"やって欲しい"という願望や期待に応えようとして相手の期待する行動を取りたい!相手の期待する行動をしなければ嫌われる!と思うからです。ですから「○○してよ!」は ただの願望であっても「○○しなければ いけない」という命令 義務として受け取ってしまっていました。それに気づいてからはこちらが主導権を握っていること対等の関係として接すること「○○してほしい」と変換して受け取ることなどを意識することで、相手の願望として受け取れるようになってきました。もし、言われたとしても「○○してほしいってことね」「するかしないかは、私が決めよう」「いつも言ってるから、口癖みたいなものだね」と、受け止め方を変えています。また、「○○してよ!」を言う人は願望 期待を込めて言っているのであって、さらに、願望を強要するためであっても言うことを止めることは できません。私も たまに言っていますしね😅そこで、言う時には、どう気をつけるのが良いかというと願望を無理強いしない相手が行動に取り掛かっているときに 言わない何度も 同じことを言わないなどです。1は、願望を聞いてもらおうとして 相手が言うことを聞くまで言い続けるみたいなことです。これは、子供が「お菓子買ってよ!」と何度も言う行為と同じです。2は、今 まさに 行動をしている人に対して 言うのは、全く意味がありません。願望はすでに 叶っています。3は、習慣化していることを、いつもおなじタイミングで言うことです。例えば、寝る前にいつも「電気を消してよ!」と言うことです。子離れしていない親心みたいなものです。【まとめ】「○○してよ!」は願望である。相手の願望や期待に 無理して応えようとしなくてOK!習慣化して言ってくる人は、その人の口癖だと理解する。今日は、この辺で✋ありがとうございます☺️